昨日マダムがコラムで紹介していた「Happy Tree Friends」は観ましたか?
ぼくはさっき初めて観たのですが、怖いですね。愉快ですね。何より怖いですね。
さて、千原兄弟のコントDVD「15弱」を観ましたので、簡単にレビューをします。
<ウィキペディアの紹介>
http://ja.wikipedia.org/wiki/15%E5%BC%B1
<レビュー>
千原兄弟のコントです。
トーク番組の彼らは面白いですね。
千原ジュニアは鉄板ネタをたくさん持っていますよね。
しかしコントのほうをぼくはあんまり観たことがなかったんです。
それで試しに観賞したわけですが、良い意味で予想通りでした。
なかなか斬新な切り口で、ちょいとブラックな感じ。
ひとつひとつはわりとあっさりしていて、パッと思いついたひとつのアイデアで一発勝負するネタが多いです。
長いコントはひとつもないので、割と気楽に楽しめます。
それでいて非常に良く出来ていて、濃厚な味わいがあります。
あとから思い出してはそのたびに「良く出来ているなあ」と感心します。
とりあえず「コイツ」「世界の未来」「マスカ!?」の三本は名作だと思います。
その他、「Yの新しいやつ」「黒子・有限会社ダイトー」「ナイトラウンジ美鈴」なども秀逸です。
こういう言い方をすると、「結局かよ」って思われるかも知れないですが、ダウンタウン好きな人は確実に楽しめるんじゃないでしょうか。
では。
★★★☆☆
出会いの季節ね。
まぁ春のテンションで知り合った人なんて秋が暮れる頃には挨拶もしなくなるものだけれど。
春のテンションで知り合った男と一気に親密になって夏あたりに肉体関係を持っちゃう
なんてことは絶対にやめた方がいいわよ。
まぁアテシの経験から言うと急激に親しくなった相手とは同じくらいの速度で冷めていくわね。
ただその分勢いがあるせいでたいした相手でもないのに行くとこまで行っちゃったりするんだけど。
ま、他の女がどうなろうと知ったこっちゃないのだけれど。
さて、今月のマダムのおすすめは"Happy Tree friends"よ。
もう言うことはないわ。とりあえずこれを見てちょうだい。4分くらいだから。
天空の城ラピュタを観ました。
<作品詳細・解説>
天空の城ラピュタ(1986) - goo 映画
莫大な財宝が眠るという空中の浮島を探しに冒険の旅に出る少年、少女を描くアニメ。脚本、監督は「風の谷のナウシカ」の宮崎駿が担当。
少女シータは黒メガネをかけた男たちに捕われ、飛行船の中にいた。そこに女海賊のドーラを首領とする一味が乗り込んで来た。撃戦のさなか、シータは窓から船外に逃げだすが足場を失い落ちていく。だが、彼女の身体はふわりふわりと地上へ舞い降りて行き、その胸にはペンダントが青白い光を放って揺れていた。スラッグ渓谷にある鉱山町では、空から降ってきた光とシータを見た見習い機械工のパズーが、後を追い気を失った彼女を助けた。翌朝、パズーの家で目を覚ましたシータに、彼は自分の死んだ父親が見たという伝説の島の話をした。それはラピュタと呼ばれる財宝の眠る空中の浮島で、パズーはラピュタを信じてもらえず死んだ父の汚名をはらすため、いつの日かラピュタを見つけたいと思っていた。そこにドーラ一味が乗り込んで来た。彼らはシータのペンダントを狙っていたのだ。パズーはシータを連れ、坑内機関車で逃げだすが、行く手には別の敵、黒メガネの男たちが国防軍の装甲列車で現われた。再び逃げたパズーとシータは深い谷底へ落ちてしまう。だが、シータのペンダントが光を放つと二人の身体は空中に浮いていた。深い廃坑の底に降りた二人は、鉱山師のポムじいさんに出会い、彼からペンダントの石がラピュタを空中に支えている飛行石だと聞かされる。地上に出た二人は、黒メガネの男たちに捕われ、国防軍ティディス要塞へ連行された。パズーは地下牢に閉じ込められ、シータは軍の特務将校ムスカに空から降って来たラピュタの紋章の刻まれたロボットを見せられた。政府はこれによりラピュタの存在を確心し、軍を使って探索に乗りだしていたのだ。ムスカは、シータが母親からペンダントを譲られた時に授けられた名前のことを知っており「君はラピュタ王国の王女なんだ」と告げる。彼はパズーの命と引き換えに、ラピュタの位置を示す呪文を教えるよう迫るのだった。理由のわからないまま釈放されたパズーは、待ちぶせしていたドーラ一味と共にシータ奪還に同行することにした。軍は巨大飛行戦艦ゴリアテでシータを連れ、ラピュタをめざした。途方に暮れたシータは、幼い頃祖母に教わった困った時のおまじないをつぶやいた。すると胸のペンダントが強烈な光を発し、まっすぐ天の一点を指した。ムスカはペンダントを手に入れると飛行石の指すラピュタめざしてゴリアテを発進した。シータを救け出したパズーも、ドーラたちとラピュタをめざす。見張り台に立ったパズーとシータは、ドーラの命令で台を凧のように母船から切り離し雲の上に出た。突然の嵐に巻き込まれた彼らは、美しい花畑の中で目を覚ます。ついにラピュタに辿り着いたのだ。シータは突如あらわれたムスカたらに捕えられ、パズーは縄に縛りつけられたドーラたちを助ける。シータを連れたムスカはラピュタの中枢部にいた。彼はシータに、自分もラピュタの王家の一族のひとりだと告げる。そして、ラピュタの超科学兵器を操作する。かつてラピュタは、それで全世界を支配していたのだ。スキを見てムスカからペンダントを奪い返すシータ。ムスカの撃った弾が彼女のおさげを吹きとばした時、パズーが駆けつけた。パズーとシータはペンダントを手に滅びの呪文を叫ぶ。そのとたん光が爆発し、ラピュタを支えていた巨大な飛行石は上昇しはじめた。フラップターで逃げのびたドーラたちは、上昇していくラピュタを見ていた。そこにパズーとシータを乗せた凧が飛んできた。
<レビュー>
本作を観て確信した。
この作品こそがぼくの人生最高の映画であり、この先ラピュタ以上に愛せる映画には二度と出会えないだろう。
逆に言えば、この辺がぼくの限界であり、ひいてはぼくという人物の限界なのである。
でもどうだってよいのだ。
もう何度この作品を観たかわからないが、いまだに観るたびに胸がときめくのである。
このいまだ色褪せないときめきをどうしてくれよう。
ああ、シータ。君は初恋の人だ。
パズー。君はヒーローだ。ぼくの理想像だ。
君の勇気がぼくはずっと欲しかった。
それだけじゃない。
あの映画のすべてが少年だったぼくの憧れでした。
そして、いまでも憧れなのです。
この作品はレビューできません。
文字を無駄に消費するだけです。
一番好きなセリフを、おそらくすべての映画の中で最も好きなセリフを、最期に記しておきます。
(洞窟の中、二人がパンを食べるシーンで、シータがパズーに謝ったときの、パズーの返答)
シータ「ごめんね。わたしのせいでパズーをひどい目にあわせて・・・。」
パズー「ううん。君が空から落ちてきたとき、ドキドキしたんだ。きっと、素敵なことが始まったんだって。」
★★★★★
駿河シカヲ
駿河シカヲです。
ガス・ヴァン・サントの「パラノイド・パーク」を観ました。
<公式HP>
http://paranoidpark.jp/index.html
<作品解説・詳細>
パラノイドパーク - goo 映画
16歳の少年アレックスは始めたばかりのスケボーに夢中。その日も、スケボー少年の聖地・パラノイドパークに向かった。しかし頭をよぎるのは家族の事や彼女のジェニファーの事ばかり。不良グループに声をかけられたアレックスは、スリルを味わうために貨物列車の飛び乗りに参加する。その時、ふとした偶然から鉄道警備員を死なせてしまう。不安に駆られながらも、何事もなかったかのように日常生活を送るアレックスだったが…。
『エレファント』や『ラストデイズ』など、若者の心の揺らぎや痛みを、彼らと同じ目線に立って描くことで定評のあるガス・ヴァン・サント監督作品。ある一夜の“事件”で、いきなり人生の試練に直面する事になった少年の揺れ動く気持ちを、監督独特のスタイリッシュな映像で映画化(35ミリとスーパー8を駆使して、その研ぎ澄まされた映像を作り出したのはクリストファー・ドイル)。主役に抜擢された地元ポートランド出身の新人、ゲイブ・ネヴァンスが、危うさを内包した10代の心模様を見事に演じた。また、ニーノ・ロータの映画音楽や、エリオット・スミスのナンバーなど、その音楽の使い方にも注目したい。
<レビュー>
映画の中で、「ナポレオン・ダイナマイト(バス男)」からの引用があったようだ。
気づかなかった。
「ナポレオン・ダイナマイト」をもう一度観る必要があるし、いずれそのうえで本作を観直そうと思う。
ガス・ヴァン・サントは語ろうとしない。
かといってありのままを撮ろうとはしないわけで、つまるところ独自の視点に立っていることは確かであるが、何も語ろうとしない。
言うなれば、いびつなドキュメンタリーだ。
いや、ドキュメンタリーではない。間違いなく、映画である。
「エレファント」も「ラストデイズ」も本作も、肝心なところが空白だ。
さっきも述べたように、作る側が語ろうとしないからだ。
だから、怖い。
ゾッとする。
これは何なのだと惹きこまれる。
苛立ちの一歩手前で、観るものは惹きこまれる。
美しいショット、美しい音楽、そういった装飾にだまされる。
時系列を巧妙に組み替え、ちょっとした混乱をまねく。
客観的に事態をを提示しているようで、実のところ小賢しく、ぼくらを騙しにかかる。
メッセージをダイレクトに伝えようとする愚直さを周到に避ける手法は、ある意味で映画なんだなと思う。
素晴らしい。
★★★★★
駿河シカヲ
先日花見をしました。
マダムも来ました。
葉桜でした。
で、今日は奥原浩志監督の「青い車」です。
深夜映画の録画です。
<作品解説・詳細>
青い車(2004) - goo 映画
漫画家よしもとよしともの同名傑作を、海外映画祭でも高い評価を受けてきた「タイムレス・メロディ」の奥原浩志監督が映画化。日常の中にある孤独や退屈や諦めと、それでも生きていかなければならない現実をクールに描く。ARATA、宮崎あおい、麻生久美子、そして田口トモロヲと、日本映画界をリードしつづける役者陣がそろった。音楽を担当するのは、映画初挑戦となる曽我部恵一。
子供のときの大事故で片目に大きな傷を負ったリチオ(ARATA)。その頃から、死に損なったような今の自分を、子供の自分がどこからか見ているような気がしている。傷を隠すために大きなサングラスをしているリチオは、バツイチの店長マチダ(田口トモロヲ)がやってる中古レコード店に勤めながら、時々クラブでDJをしている。いいようのないイラ立ち。ただなんとなくやり過ごす日々。恋人は、不動産会社に勤めるアケミ(麻生久美子)。順調ともいえるし、倦怠ともいえる関係。アケミには高校生の妹・このみ(宮崎あおい)がいる。ある日、このみとリチオは街でばったり会う。名前も覚えてくれていないリチオをこのみは昼食に誘い、その後リチオの部屋へ行く。サングラスをとったリチオの顔が見たいと言うこのみ。リチオは自嘲気味に笑うと、このみにキスする。ゆっくりと外されるサングラス。現れた片目の傷。このみはリチオの顔を見て言う「かけてない方がいい」。アケミは、リチオの手首にある無数の傷に気付きながらも、いつも聞けずにいた。「ずっと幸せだったらいいな」ぼんやりとアケミがつぶやく。リチオは答える「そうな…」。アケミにもこのみにも言えない苛立ちを抱えたまま、毎夜不穏な夢に悩まされていたリチオは、もう会うのをやめようとこのみに告げる。そんなとき、出張で熱海に向かっていたアケミが、交通事故で死ぬ。リチオは、夜ひとりで青い車を走らせてカーブに差し掛かると目を閉じ、急ブレーキを踏んだ。よみがえるアケミの笑顔。ふと見ると、助手席には子供の頃の自分が座っている。リチオは、その子に言う「…教えてやるよ。あれからどんなことがあったか」。そんなある日、両手いっぱいの花束を抱えたこのみが、リチオの前に現れた。その花束を、海に投げるのだと言う。ふたりは青い車に乗って、高速道路を走らせる。やがて広がる輝く海。このみの目からこぼれ落ちる涙。このみはリチオに、ある告白をする。
<レビュー>
奥原浩志は巧い。
何が巧いかというのは、現代的な若者の日常を描くのが巧い。
意地悪く言えば、若者の、その、まあその「いかにも」って感じの、こう、邦画好きでややサブカル好きの、ロッキンオンとかにのってるバンドとか聴いていて、ちょいお洒落気味な感じの若者が好きそうな映画を撮るのが巧い。
でも悪口みたいに思われるから、ちゃんと言っておくと、ぼくは好きな監督である。
それだけじゃないからである。
登場人物は、頭がイカれる寸前で平静を保ちながら生きている。
これは佳作「タイムレスメロディ」でも傑作「波」でもそうだった。
完全に発狂までいかない、いや、いけない感じがリアルで共感できるポイントなのだが、
「青い車」の致命的とも言える欠点(とみせかけて欠点ではない)は、主要キャスト(麻生久美子、宮崎あおい、ARATA)がマズいってことだ。
何がマズいかっていうと、演技が悪いわけじゃなくて、華がありすぎるってことだ。
冷静に考えて下さい。
とある姉妹がいて、姉が麻生久美子で妹が宮崎あおいだったら、どうですか。
その二人と恋人関係になるのがARATAだとしたら、ぼくらがその世界に入り込む余地はないでしょう。
だから、若者のみなさん注意してください。
これはリアルな感触の映画のようで、実はぼくらの住む世界とはまったく異空間なのです。
感情移入してはならないのです。
みなさん怖い怖い怖い映画ですよ(淀川風)。
スターを配して、しれっとこういった日常的映画が撮られてしまっていることにもっと気付いてゆきたいです。
これより低予算で撮られた「波」は「青い車」と同じく、破滅すれすれの日常を描いた青春群像劇なのだが、キャストがほどよく視覚的な魅力を欠いているぶん、リアルではあります。
リアルだから良いというわけでもないけれども。
ただ、やはり本作は「波」や「タイムレスメロディ」ほど好きにはなれないのです。
ちなみに音楽は曽我部恵一です。
いかにもって感じでしょう。
曽我部さんが悪いわけじゃありません。
劇中歌は良い曲です。
ただ、いかにもな感じを打破するような何かが全体的に足りない。
良い意味での裏切りを期待したいのだけど。
でも、やっぱりさすが。
八方塞がりの日常の、気付きたくない怖さに気付く。
うすら寒い感覚は、確かに残った。
でも評価は辛口。
一回目なら星四つだったが、二回目となると厳しいかなあ。
★★★☆☆
駿河シカヲ
マダム葵よ。
っていうか暑いわね、日中は。
桜もすっかり散っちゃって。
この時期になると思い出すわ。
あの男のことを。死ねばいいのに。
ま、それはそれ、置いておきましょ。
えぇ。
でも、そうね、あれはちょうどクリスマスの頃だったわね。
あの男に出会ったのが。死ねばいいのよ男はみんな。
クリスマスといえば、Catch me if you can よね。
なかなか面白いわよね。あの映画。
実在した、というか今も存命の天才詐欺師を映画化したもので監督はスティーヴン・スピルバーグ。
出演はレオナルド・ディカプリオちゃんとトム・ハンクスね。
とは言ってもアテシ別にまじめにレビューする気ないのよね。この映画に限らず。
まじめなレビューはシカヲちゃんが書いてくれるし。
この映画のこともそのうち書いてくれるんじゃないかしら。
アテシ最近この映画見直してみて、ネットでいくつかこの映画に関してのページを見てみたのね。
色々な人が書いてたわ。
でね、でもね、まぁどの作品についてのレビューでも言えるけど、ちょっとした勘違いとか、見落としとか、やっぱりあるのよね。
まぁ仕方ないことなんだけど。
お金払って読んでいるわけじゃないんだから別に構わないし訂正もしないけどね。
ただ、その勘違いが作品の評価とかに関わっちゃったりするともどかしいわよね。
あの映画で、レオナルドちゃんずっとラベルを剥がし続けるのよね。
最初にお父さんが壇上で挨拶してるときからワインのラベル剥がしてたじゃない。
で、一番最後に自分自身の写真も剥がすでしょ。
そのことについて言及してるレビューはほとんどなかったわね。
一番象徴的なところなのに。
トム・ハンクスのノックノックジョークがよくわかっていない人も多かったかしら。
ノックノックジョークって言うのは定型ジョークで、型にはめて色々なパターンがあるのよね。
たとえば
knock, knock,
who's there?
Abby
Abby who?
Abby birthday to you!
ようは駄洒落なのよ。2行目と4行目は言われた方が答えないとならないの。
アメリカ人にknock, knockって言えばどんなときでもwho's there?って返ってくるわよ。
逆にアメリカ人がknock, knockって言ってきたらどんなときでも一応who's there?って返すといいわ。
そうしたらまた何か言ってくるから、言われたままwho?をつけて返すの。
そうするとオチが来るから、くだらなくても意味わからなくても笑ってあげるといいわ。
とにかくアメリカ人ならわかりきってる定型なのよ。
トムちゃんはただGo fuck yourselvesって言いたかっただけなのね。
日本語で言ったら、そうね
ピザって10回言って。
ピザピザピザ・・・・・・・・・はい。
死ねばいいのよ!
見たいな感じよ。
訳って難しいわよね。
アテシが例えば海外で見た映画を、日本で字幕で見たりすると、違和感あったりすることあるのよ。
アテシが英語を聞いて持った役のイメージと、翻訳者が持ったイメージの違いとかね。
日本語で彼が喋ったらこんな感じなんだろうなっていう漠然とした感じと違う口調で喋られたりするとちょっと違和感があるわ。
まぁでも明らかにもうちょっと何とかできるんじゃない?って字幕もあるけどね。
でも字幕屋さんも大変なのよ。
あれってばね、1秒4文字の原則例外無しで四苦八苦してるのよ。
しかも台詞によってはダブルミーニングやトリプルミーニングだったり、クライアントに無茶な要求されたり、蔓延るアホに合わせて字幕のレベルを落としたりね。
たとえばこの映画で言ったら、わかりやすいのはあれね。
レオナルドちゃんが初めて飛行機に乗って、アテンダントさんにネックレス渡してその夜セックスをするというところがあるじゃない。
このネックレス君の?
って言って首にかけるんだけど、私のじゃないわってことで
No no no no no
って言うのよね。で、そこでシーンが切り替わってベッドシーンになって、いいわいいわの意味で
yes yes yes yes
になるじゃない。
せっかく対比させてるんだから字幕も何とかならなかったのかしらね。
字幕だと
違うわ違うわ
いいわいいわもっともっと
だったのよ。
せめて
違うわ違うわ
そうよそうよ
くらいならいいと思ったのに。
まぁ細かいこと挙げればもっと色々あるんだけど。
でもね、さっきも言ったけど字幕屋さんも大変なの。
血を滲ませて書いているの。
だからこれからは字幕を見たら泣きなさい。
字幕があるだけで泣きなさい。
男は死になさい。
それではごきげんよう。
久しぶりにギターを二時間弾きました。
今回はジャック・ドワイヨン監督「ポネット」です。
観るたびに物凄く泣きます。
<作品解説・詳細>
ポネット(1996) - goo 映画
たった4歳で最愛の母の死に向かい合い、それを乗り越えた少女の心の冒険を描いた感動の物語。何百人のも子供たちから“死"についてどう考えているかを聞き、粗筋だけを用意して、台詞は準備期間に子供たちの話から拾い集めたという。主役のポネットを演じるヴィクトワール・ティヴィソルのみずみずしく自然な演技が驚異的で、96年ヴェネチア国際映画祭で主演女優賞を受賞した(最年少)。監督・脚本は「ピストルと少年」「愛されすぎて」のジャック・ドワイヨン。製作は「愛されすぎて」のアラン・サルド、撮影はカロリーヌ・シャンプティエ、音楽は「ピストルと少年」のフィリップ・サルド、編集はジャクリーヌ・ルコント、衣裳はアンリ・ベルトン、幼児精神科医はマリー=エレーヌ・アンクルウェ。録音はジャン=クロード・ラルーとドミニク・ヘネキン。共演は映画監督でもあるグザビエ・ヴォーヴォワ、「絹の叫び」のマリー・トランティニャンほか。
プロヴァンスの田舎の村、秋。交通事故で突然ママ(マリー・トランティニャン)を失った4歳の少女ポネット(ヴィクトワール・ティヴィソル)は、パパ(グザビエ・ヴォーヴォワ)からそのことを聞かされても、死がまだよくわからないから、泣くこともできない。とまどうポネットは、人形のヨヨットと一緒に、ママの帰りを待つことにする。パパはポネットをおばさんに預け、仕事でリヨンに向かった。年上の従姉妹デルフィーヌとマチアスがどんなに遊ぼうと誘っても、ポネットは庭で、部屋で、一人でママを待ち続ける。おばさんはポネットを膝に抱いて、ママはもう帰らないこと、ママはイエス様と天国にいることを優しく諭すが、ポネットは「おばさんはなぜ天国に行かないの? ママはあたしといたかったのに、今はなぜ違うの」と訊ねる。従姉妹が教えてくれた、好きな人が甦るおまじないも効かない。ポネットは小さな頭を働かせ、自分なりの考えを作っていく。「死んだ人が戻ってこないのは、生きている人が、その人をほんとうに待っていないからよ」。周りは皆、途方に暮れてしまう。休暇をとってポネットに会いに来たパパも、頑にママを待ち続けるポネットに苛立ち、怒りだす。「ママは天国だ。おまえはパパの世界に住んでいる。命のある世界だ。そんな考えだと、ずっと悲しいままだぞ」と。泣きじゃくるポネット。ポネットは従姉妹と共に寄宿学校に入った。そこは現実と夢想とが混じり合う、子供たちだけの世界。自分の空に閉じこもるポネットをデルフィーヌがさりげなくかばい、子供たちも自分たちなりにポネットを受け入れていく。ポネットは、礼拝堂にあるイエス像に魅せられ、「全能の神様。ママは死にました。神様と一緒のはずです。ママに私とお話するよう伝えてください」と、一生懸命にお祈りする。ユダヤ人の少女アダから「神様の子供になるテストに合格したら願いが届く」と聞き、いろんな試練に取り組むが、何も変わらない。そして、アントワーヌに「ママが死ぬのは子供が悪い子だからだ」と言われ、ポネットは自分を攻めるようになる。マチアスが優しく慰めてくれても、傷は癒えない。ポネットはリュックをしょって、一人寄宿舎を後にする。ママのお墓の前で泣きじゃくるポネット。「ママ、ここに来て」、それに答えるかのように、静かな奇跡が訪れ、ママが目の前に現れた。そして、ポネットはようやくママの死を受け入れ、克服することができた。
<レビュー>
観たら必ず号泣してしまう映画がぼくには二つあって、ひとつは「蛍の墓」、そしてもう一つが本作なのです。
つまり、小さな子供がかわいそうな目に遭う映画を観ると、ぼくは何より子供が不憫でしかたがなくなって泣いてしまうのであります。
恋愛モノの映画で恋人が死んでどうこうってのでは滅多に泣かないんですけどね。
こういうのは作品の出来不出来にまったく関わらず、問答無用で泣いてしまいます。
人にはそれぞれ涙腺を刺激するツボがあるのでしょうね。
で、今回も開始五分で泣きました。
ポネットが、父親から母の死を告げられて、泣きながら父親に「一緒に頑張ろうね」と言うシーンです。
これがねえ、とにかくこの主演の女の子がおそろしく自然に泣くんです。
本当にあれは演技なのか、と疑うほど自然なんです。
劇中彼女は何回も泣くんですが、とにかく自然に泣くんです。
凄いです。
彼女が泣くたびにぼくも泣きます。
一番泣いたのは、ポネットがお母さんのお墓で、泣きながら土を掘り返すシーンです。
出来ることなら、お母さんに会わせてあげたい。
でも、無理なのです。
何故って、お母さんは死んだのです。
でも、ポネットは「死」という概念がまだ理解できていない。
だから、お母さんに会えると思っている。
彼女は「ママに会わせてください」と神様に真剣に祈るのです。
でも会えない。
なんてかわいそうなんでしょう。
会わせてあげたい。
ぼくも心から願うのです。
この映画は、四歳の女の子の驚異的な演技力に注目されがちですが、
ぼくが個人的にそれと同じぐらい素晴らしいと思ったのは、カロリーヌ・シャンプティエのカメラワークです。
アップのショットが多いのは普段なら疲れるのですが、今回に限って大正解だと思います。
落ち着いたロングショットが少ないのは不満と言えなくもないですが、ただし無垢で危うげで幼いポネット個人と外の世界との隔たりを感じさせることが出来ているのは文脈ではなくカメラワークによる力なのではないか、そう思わせるようなものがあります。
それから、わりとカメラが左右上下に動くので、普段ならこういうのは落ち着かないから好きじゃないんだけど、この人の撮影は非常にスムーズというか、瑞々しいというか、とにかく良いと思います。
そりゃあ好みから言えば、もっと小津安二郎みたいにどっしりと固定して撮って欲しい気もするけれども。
ポネットを演じた女の子ですが、アップで見たとき、ときおり表情がびっくりするほど大人びているときがあってハッとします。なんでしょう、あれ。
さすがフランス人。というか欧米人。
ネタバレですが、ポネットは最後、死んだお母さんに会います。
もちろん幻想です。
ただ、どうなんでしょう、お母さんは若い頃着ていた赤い服をポネットに着させていなくなるのですが、ポネットは赤い服を幽霊にもらったことになるわけです。
ファンタジーで終わってしまいましたね。
これは如何に。
母親を亡くした小さな子供が、その死をどのように受け入れるかという主題にたいして、解決にあたり最後ファンタジー的要素を介入させてしまったのですが、それは果たして良かったのでしょうか。
ぼくには分かりません。
★★★★★
最近4、5時間睡眠が完全に板についてきました。
慣れるって凄いです。
絶対に無理だと思っていても慣れるんですね。
でも週末はたくさん寝ます。
ガイ・リッチーの「ロック、ストック&トゥー・スモーキング・バレルズ」を観ました。
<作品解説・詳細>
ロック、ストック&トゥー・スモーキング・バレルズ(1998) - goo 映画
カード賭博で借金を抱えて一獲千金を狙う4人組の若者とたくさんのギャングたちが入り組んで争奪戦を繰り広げる様を、巧妙でスピーディな展開で綴った犯罪アクションの快作。監督・脚本はミュージックビデオやCMで活躍してきた新鋭ガイ・リッチーで、製作のマシュー・ボーンと組んで映画化を実現。製作総指揮は「フォレスト・ガンプ 一期一会」のスティーヴン・ティッシュ、自ら本作に出演を申し出たというアーティスト・俳優のスティングの妻であるトルーディ・スタイラー(「グロテスク」)、ピーター・モートン、アンガッド・ポール、スティーヴン・マークス。撮影はティム・モーリス=ジョーンズ。音楽はデイヴィッド・A・ヒューズとジョン・マーフィで、ストゥージズ、ジェームズ・ブラウンはじめ新旧の凝った選曲で聴かせる。美術はイアイン・アンドリュース、「普通じゃない」のイヴ・マヴラキス。編集はニヴン・ハウィー。衣裳は「ピーターズ・フレンズ」のスティーヴン・コリー。出演は新鋭ニック・モーラン、「スパイス・ザ・ムービー」のジェイソン・フレミング、「日蔭のふたり」のデクスター・フレッチャー、「スカートの翼ひろげて」のスティーヴ・マッキントッシュ、元サッカーの名選手ヴィニー・ジョーンズほか。
※ストーリーの結末が記載されているので注意!
ロンドン、イーストエンド。ヤミ商売で小金を稼ぐチンピラ4人組、リーダー格のエディ(ニック・モーラン)、トム(ジェイソン・フレミング)、ベーコン(ジェイソン・ステイサム)は、ポルノ王として町を牛耳るハチェット・ハリー(P・H・モリアーティ)相手にカード賭博で勝負を挑むが、ハリーの用心棒バリーの八百長にひっかかり、50万ポンドと巨額の借金をつくってしまう。ハリーはかつて張り合ったことのあるエディの父親JD(スティング)の酒場を借金のカタに取り上げてしまおうという腹だったのだ。返済期間はたった1週間と決められ、窮した4人だが、エディの隣のフラットに住む麻薬の売人ドッグとブランクが、ウィンストン(スティーヴ・マッキントッシュ)が上流階級の子弟仲間で営むマリファナ工場を襲う計画を話しているのを偶然盗み聞き、ブツを横どりすることに決める。ギリシャ人のニックから犯行用に骨董品の2丁の散弾銃を買い取る4人だが、実はそれは骨董マニアのハリーが必死に探しているお宝だった。バリーに命じてディーン&ゲリーのベンツ兄弟に盗ませたはいいが、手違いでニックから4人にわたったというわけだ。さて、首尾よくドッグたちから横どりは成功し、地元の麻薬王ロリー(ヴァス・ブラックウッド)にブツを渡したはいいが、それはウィンストンがロリーに渡すはずの品物だった。激怒したロリーはエディのフラットを襲うが、部屋にいたのはブツを4人に横どりされたドッグたちだった。さらにそこにハリーに雇われたビッグ・クリス(ヴィニー・ジョーンズ)とその息子も来た。さて、祝杯をあげていた4人がフラットに戻ると、そこは激しい銃撃戦で死体の山。金も麻薬も銃も消えていた。とっさに事態がのみこめない4人だったが、大金と麻薬を求めて町へ繰り出す。かくして大混乱の末、当事者のギャングたちは不測の最後を遂げていき、4人は命こそ助かるが予想外の結末を迎えてしまうのだった。
<レビュー>
困ったことになりました。
書くことがないんです。
何故なら、先日観た同監督の「スナッチ」とほぼ同じ感想だからです。
要するにこの「ロック、ストック~」を下地にして新たに作りなおしたのが「スナッチ」なのですな。
似たようなシーンがたくさんあるし、キャストもかぶってるし、これはもうなんとも言えないですな。
で、どっちが面白いかといえば、こういうのはだいたい最初に観たやつのほうが面白いに決まっているわけです。
だから「スナッチ」のほうがぼくは新鮮に楽しめたのですが、だからといって「スナッチ」が「ロック、ストック~」よりも優れているかといえば、おそらくそんなことはないんです。
どうしたもんでしょうね。
ところでガイ・リッチー監督はマドンナの元旦那さんです。
最近離婚してニュースになりましたね。
話は変わるけれど芸能人の離婚・結婚・交際ニュースってマジでどうでもいいですね。
玉置浩二と石原真理子復縁はどうでも良すぎて笑ったけど。
まあそれはいいとして、ガイ・リッチーは本作とスナッチで名をあげたものの、その後はてんで駄目なようです。
何がどう駄目になっていったのかはちょっと気になります。
この二作品は結構面白いんだけどなあ。
2002年の「スウェプト・アウェイ」というのはクズ同然の超駄作のようです。
それはそれでちょっと気になります。
ということで、無理やりレビューを書きました。
話が面白いです。
散らかった話が最終的に見事に収束してゆく気持ちよさを味わいたい人に、これと「スナッチ」はおすすめです。
★★★★☆
駿河シカヲ
ウディ・アレンの代表作の一つ、「アニー・ホール」を鑑賞。
<作品解説・詳細>
アニー・ホール(1977) - goo 映画
大都会ニューヨークに生きる男と女の出会いと別れをコミカルに描くラブ・ストーリー。製作総指揮はロバート・グリーンハット、製作はチャールズ・H・ジョフィ、監督は「スリーパー」のウディ・アレン、脚本はウディ・アレンとマーシャル・ブリックマン、撮影はゴードン・ウィリスが各々担当。出演はウディ・アレン、ダイアン・キートン、トニー・ロバーツ、キャロル・ケイン、ポール・サイモン、ジャネット・マーゴリンなど。
ニューヨークとは限らない。大都会とは少々変わり者でも生きていける所だ。山の手に住むユダヤ系のアルビー(W・アレン)もそんな1人。彼はTVやナイトクラブのトークショーで稼ぐ漫談芸人。歳の頃は40、離婚歴1回のド近眼メガネ人間だ。そんな風采の上がらない小男の彼だが、なぜか女の子には人気がいい。彼の周りにはいつも女の子がウロチョロ。そんな彼がある日、友人のTVディレクターのロブ(T・ロバーツ)達とテニスに行って、1人の美人と出会った。会話もユニークな彼女の名は、アニー(D・キートン)。どこか屈託のない童女の雰囲気の彼女に出会ってからアルビーが変わった。アニーとのデートが日課の一つになったのだ。2人が同棲生活に入ったのはそれから間もなく。お互いにのぼせあがっていた2人も時がたつにつれて、お互いのアラが目についてきた。アルビーの周りには、あいかわらずTV局の女ロビン(J・マーゴリン)や、アリソン(C・ケーン)がいて、アニーは気になり、アルビーもアニーのつかみどころのない生き方がわからない。ましてアルビーは、男の独占欲にめざめてきたのだ。行きづまった2人の関係。2人は精神分析医の所に行き、2人の溝は埋まったかに見えた。だがそんなある日、アニーがいつものようにクラブで歌っていると、プロ歌手トニー(P・サイモン)が彼女の歌をほめ、カリフォルニアにくるようにすすめる。彼女は有頂天になり、精神状態も全快へとむかったが、アルビーはまだダメ。彼はアニーとトニー、果てはロブの仲まで疑い出したのだ。もうこうなってはおしまいだ。2人は別居を決意し、アニーはカリフォルニアに飛んで行った。一方、残されたアルビーを襲う寂寥感。アニーの後を追い、カリフォルニアに行き、やり直そうとアニーに迫るアルビーだったが、今のアニーは歌手としての成功の方が気になっていた--。
<レビュー>
一般的に名作と呼ばれているものを貶すのは非常に難しい。
この作品は、だいたい誰が見ても面白いと思うだろうし、ウディ・アレンって才能あるんだろうなあと思うだろうし、アイデアがいちいち気が利いてちょっとしたものだなあと思うだろう(観客に話しかけるのはゴダールですね)。
ぼくも当然そう思ったのだけれども、なぜか評価する気になれない。
ただただ、気に入らないということです。
申し訳ないです。
映画の中でシリアスに、本気でふざけている姿勢は間違いなく素晴らしいと思うのです。
精神科に10年以上通い続けているニューヨーカーの放つ自虐的なギャグは痛々しくも軽快で、なおかつ哲学的な領域に及んでいる。
誰彼かまわず見るものすべてを皮肉り、インテリな自分を皮肉り、世界を皮肉り、恋愛そのものだけは肯定する愚直さは惹かれるべき部分だ。
でも、映画として、もっと素直に感動に直結できる何かを感じなかったみたいです。僕はね。
あと、あんまり言いたくないんだけど、この主人公のような人間は面倒くさいから友達にはなりたくないですね。
面倒くさいですよね。
頭の良い奴に皮肉ばかり言われたら嫌な気分にもなりますよ。
本当はこういう純粋さ、愚直さを人として褒めるべきなんだろうけど。
こういう言い方は卑怯ですけれども、僕なんかは馬鹿ですからね。
太刀打ちできないんですよね。
頭の回転も遅いしボキャブラリーも少ないし。
まあ、どうでもいいけれども。
クリストファー・ウォーケンが出ています。
★★★☆☆
ロバート・ロドリゲスの「シン・シティ」を観ました。
ロバート・ロドリゲスは初めてです。
<作品解説・詳細>
シン・シティ(2005) - goo 映画
犯罪の街"シン・シティ“を舞台に、愛を貫こうとする3人の男たちの生きざまを描くアクション・ドラマ。監督・製作・脚本・撮影・音楽・編集は「レジェンド・オブ・メキシコ/デスペラード」のロバート・ロドリゲス。監督・製作・脚本・原作はコミック・クリエイターのフランク・ミラー。特別監督は「キル・ビル」シリーズのクエンティン・タランティーノ。出演は「ホステージ」のブルース・ウィリス、「レジェンド・オブ・メキシコ/デスペラード」「マイ・ボディガード」のミッキー・ローク、「キング・アーサー」のクライヴ・オーウェン、「ファンタスティック・フォー/超能力ユニット」のジェシカ・アルバ、「21グラム」のベニシオ・デル・トロ、「エターナル・サンシャイン」のイライジャ・ウッド、「ホワイト・ライズ」のジョシュ・ハートネット、「ジャスト・マリッジ」のブリタニー・マーフィ、「ワイルド・スピードX2」のデヴォン青木、「アレキサンダー」のロザリオ・ドーソン、「ターミネーター3」のニック・スタール、「キル・ビル Vol.2」のマイケル・マドセン、「バレット・モンク」のジェイミー・キングほか。
醜い傷跡が顔に残る仮出所中のマーヴ(ミッキー・ローク)に愛をくれたのは、高級娼婦のゴールディ(ジェイミー・キング)だった。しかし彼女は殺され、罪をきせられたマーヴは復讐を心に誓う。農場で殺人鬼ケヴィン(イライジャ・ウッド)にハンマーで倒されたマーヴは、この男こそゴールディ殺しの犯人と確信。脱出したマーヴは、黒幕がロアーク枢機卿(ルトガー・ハウアー)であることを突き止める。街に戻ったマーヴを、ゴールディの姉ウェンディ(ジェイミー・キング、二役)が迎える。再び農場へ向かったマーヴは、ケヴィンを殺害し、ロアークの元へ進むが、結局警察に捕らえられ、すべての罪を被ることになる。マーヴは処刑される前に、面会に来たウェンディを、ゴールディとして受け入れるのだった。ある時、ドワイト(クライヴ・オーウェン)は、恋人のシェリー(ブリタニー・マーフィ)につきまとう男、ジャッキー・ボーイ(ベニシオ・デル・トロ)を痛めつける。退散したジャッキーは、ドワイトの昔の恋人ゲイル(ロザリオ・ドーソン)が仕切る娼婦たちの自治区、オールド・タウンへ。実は警部補であるジャッキーは、殺人兵器ミホ(デヴォン青木)に殺され、オールド・タウンの協定が崩れる危険に。街を手に入れようと画策するキャング一味との全面戦争となり、ドワイトと娼婦たちは、ギャングたちを皆殺しにするのだった。ハーディガン刑事(ブルース・ウィリス)は、引退の日にも幼女殺人犯ロアーク・ジュニア(ニック・スタール)を追っていた。誘拐された11歳のナンシーを救出したハーティガンだが、相棒ボブ(マイケル・マドセン)の裏切りの銃弾に倒れ、ロアークに罪をきせられる。8年後、出所したハーディガンは、19歳のストリッパーに成長したナンシー(ジェシカ・アルバ)と再会。2人は互いの強い愛を確認し合い、やがてロアーク・ジュニアに復讐を果たす。だが自分が生きている限りナンシーに危険が及ぶと考えたハーディガンは、彼女を送り出してから、自殺するのだった。
<レビュー>
観始めて十分ぐらいは、モノクロの色彩がわざとらしくて、これは嫌いだな、俺としては無しだな、とか思っていたのだが、いつの間にかシンシティの世界に入り込んでしまって、嫌悪感は微塵もなくなっていた。
単純に面白いではないか。
ロバート・ロドリゲスはインタビューで、「本を映画にするというより、映画を本にしたかった」と言っていた。
なるほど。
っていうか、シンシティというコミックすらぼくは知りませんでした。
原作者のフランク・ミラーも共同で監督しているのですね。なるほど。
あと、どっかしらタランティーノの映画っぽいと思っていたら、タランティーノも一部で監督しているんですね。
つうかタランティーノとロドリゲスは仲がいいんですね。
全体的にバカっぽいところ(悪い意味じゃない)が共通しているしね。うなずける話ですね。
ぼくはその辺のことを全然知りませんでした。
ジェシカ・アルバという女優は間違いなく日本人好みの顔だと思います。
当然ぼくも好きです。
これだけで★ひとつ上乗せです。
ベニチオ・デル・トロはやっぱりあの劇画的な風貌がたまんないですね。
こういう作品には合いますね。
ブルース・ウィリスはやっぱりヒーローの役ですね。
彼はあれしかできないですね。あれしか似合わないですね。
でも最期死にましたね。怖い怖い映画ですね(淀川風)。
ミッキー・ロークの使い方は最高ですね。
彼は間違いなくスターではないですね。
これからは「哀しき巨人」というニックネームにしたいですね。
先日プロレスに出てましたね。
相変わらずの猫パンチでしたね。
最終的に物語をシメたのはジョシュ・ハートネットでした。
奴は始めと終りのおいしいところだけドロボーみたいに奪っていったのです。
というわけで、面白かったです。
どこが面白いのか全く伝わっていないでしょうけれども、面白かったです。
あまりに適当なレビューでした。
★★★★★
駿河シカヲ
最近明らかにレビューが適当になっているわけです。
この悪い流れはしばらく止められそうにありません。
なぜなら疲れているからです。
キム・ギドク監督の「春夏秋冬そして春」を観ました。
これはもう何回も観ています。たぶん全シーン覚えています。
ただ、好きであればあるほど、書くことがなくなってゆくのです。
<作品詳細・解説>
春夏秋冬そして春 - goo 映画
春-深い山あいの湖に浮かぶ寺で、老僧と幼い見習い僧が暮らしている。幼子はふといたずら心で、小さな動物の命を殺めてしまう…。夏-子どもは青年になっている。そこへ同年代の女性が養生のためにやって来て、寺に暮らすことに。青年の心に欲望、そして執着が生まれる。秋-寺を出た青年が十数年ぶりに帰ってくる。自分を裏切った妻への怒り。老僧は男を受け入れ、荒ぶる心を静めるようにさとす。冬-湖面を氷が覆う。壮年となった男の前に、赤子を背負った女が現れる。そして春…。
『魚と寝る女』『悪い男』など、それまでそのショッキングな内容で私たちを驚かせてきた韓国の異才、キム・ギドク。1年に1本というハイペースで作品を作り続け、近作はベルリンやベネチアなどの映画祭で受賞が続き、いま、世界でもっとも注目されている監督である。さて、この新作は今までの作品とは大きく作風を変え、詩情溢れる芸術作品になっており、今までのギドク・ファンは驚くだろう。
舞台は山中の湖に浮かぶ寺とその周辺だけ、登場人物も限られている。四季の移り変わりを人生になぞらえるため、撮影は1年に及んだ。ギドク監督自身も「冬」に登場する壮年の僧役で出演という熱の入れようだ。人は業のもとに生まれ、欲から執着が生じ、それが満たされないと憎しみや怒りが現れる。人は誰しも心の平安を求めてやまないが、それがかなうのはいつのことか…。心に沁みる作品だ。
<レビュー>
「サマリア」はキリスト教の映画であり、「春夏秋冬そして春」は仏教の映画である。
諸行無常、諸法無我、涅槃寂静、一切皆苦、有為転変、教外別伝、即心是仏、唯仏与仏、色即是空、一念三千、因陀羅網といった仏教的な四文字熟語を思い浮かべる、そんな映画である。
一見非常に美しい世界。
圧倒的な詩情が溢れている。
だが、バイオレンスな人間の本質を暴くキムギドクのことだから、それに加えて過剰な暴力性がにじみ出ていて面白い。
演出がいちいち上手い。
もうこれは北野武よりも安定感がある。
これは監督のどの作品にも言えることだが、シンボリックなエピソードと小ネタが非常に分かりやすく感動的なレベルで魅せてくれるので、変に頭の固そうな芸術映画にならない、高尚なテーマでも普通の面白い映画として楽しむことができる。
この辺の才能が現代の監督ではずば抜けていると思う。
舞台となる寺は湖上に浮かんでいる。
ボートで寺と俗世を行き来するわけだ。
映画にはしばしば「どこでもドア」的な媒介アイテムが重要なポイントになっている。
それは、道だったり、車だったり、ポストだったり、携帯電話だったり、橋だったり、手紙だったり、襖だったり、店だったりする。
今回はボートが象徴的な媒介アイテムとして登場する。
ボートに乗ってドラマを持った人が寺にやってきて、新たなドラマが作られる、ボートに乗って人が去り、残された人間のドラマが作られる。
主語と補語をつなぐbe動詞みたいにボートは湖を往来する。
やがて秋、和尚はボートに火をつけて死に、冬、ボートは和尚とともに凍った湖の中に消え、物語はいったんそこで消滅(中断)するかにみえるのだが、やがて誰もいなくなった寺にキムギドク本人扮する男がやってくる。
かつて和尚に育てられた男だ。
殺人を犯し、刑期を終えて帰ってきたのである。
春を迎え、雪解けとともに再び物語が始まる。
この世は続いてゆく。
その無常観がまさに仏教であり、ことによると暴力的で痛々しい。
★★★★★
駿河シカヲ
山崎真実さん主演のアクション映画「ペルソナ」を観ました。
<作品解説・詳細>
ペルソナ - goo 映画
プロジェクト・ペルソナ。謎の人体実験に巻き込まれ、ひとりの女子大生・日和の人生は急変した。実験によって人間離れした格闘センスと“別の人格”を埋め込まれた彼女は、研究所から脱走する。次々と襲い掛かる追っ手たち、その攻撃をかわし、男たちをなぎ倒してゆく日和。だが一方で“もうひとりの人格”が、彼女の心と体を蝕んでゆく。そんな彼女の危機を、若き医者の幸一郎が救った。いつしか幸一郎は日和と行動を共にし、どこか他人とは思えない懐かしい感情が芽生え、互いに惹かれ合ってゆく。だが、追っ手からの攻撃は激しさを増す。はたして彼らが逃走するはるか雪原の向こうに“未来”は訪れるのか…。
新体操で鍛えた抜群の運動神経によって、激しくもしなやかなアクロバティックなアクションを披露するのは、映画初主演となる山崎真実。世界的アクション監督・谷垣健治も山崎のアクションセンスには脱帽したほど。監督は、映画とゲームの融合「THE呪いのゲーム」で各方面に話題を呼んだ実力派・樫原辰郎。山崎の“心と体のアクション”を、このふたりの映画監督がフィルムに焼き付けた。そして、医者の幸一郎役を萩原聖人が熱演、愛する妻を失った男の哀しみを情感たっぷりに魅せてくれる。その他、鈴木砂羽、佐野史郎、二階堂智、森次晃嗣、木村祐一といったベテラン・個性派が脇を固める。(作品資料より)
<レビュー>
ぼくは山崎真実さんのファンです。
しかもかなりのファンです。
大好きです。
だから観たのです。
これは彼女のファンでなければ楽しめないようなレベルの映画です。
題材はそこそこなのでうまくやれば素晴らしい作品になる要素もあると思うのですが(とは言いつつも二重人格云々の話はありふれている。ただし面白くなる要素はある)、どうも監督の演出に余裕が感じられないし、なんだか一本調子でつまらないのです。
しかし、山崎真実のアクションはなかなかカッコいい。
これだけ動けるアイドルはそういないですね。
アイドル映画にしてはやけにシリアスで雰囲気がある(無駄なシャワーシーンはあるけど)。
脇を固める役者陣も豪華。
けっこうマジな感じで作ったのでしょう。
ラストシーンなんかは結構良かった。
でも、大事な何かが完璧に抜け落ちている。
だってつまらないんだもの。
つまらないならつまらないで、せめてなにかしらの大胆に飛躍するようなビックリシーンがあれば良いのに、監督が相当真面目な人のようで、優等生にも不良にもなれない感じ。
マッドサイエンティスト役の佐野史郎はなんでいつもあんな役しかやらないのだろう。
たしかに言うことないぐらいに似合っているけれども、もういいよって気もする。
二回目の格闘(病院)で、中でドンパチやっているのを病院の外から撮っているシーンは、
一瞬「ソナチネ」を思い出しました。
映画的な記憶の連鎖です。
大した感じではないけれどもソナチネが素晴らしいせいで、印象に残っています。
★★★☆☆
駿河シカヲ
休日をのびのびと満喫しました。
今回はガイ・リッチー監督「スナッチ」です。
<作品解説・あらすじ>
スナッチ(2000) - goo 映画
ロンドンの暗黒街を舞台にしたスタイリッシュなクライム・ムーヴィー。監督・脚本は「ロック、ストック&トゥー・スモーキング・バレルズ」のガイ・リッチー。製作はマシュー・ヴォーン。撮影はティム・モーリス=ジョーンズ。出演は「ファイト・クラブ」のブラッド・ピット、「ラスベガスをやっつけろ」のベニシオ・デル・トロ、「60セカンズ」のヴィニー・ジョーンズ、「レインディア・ゲーム」のデニス・ファリーナ、「スペース カウボーイ」のラデ・シェルベッジヤ、「ロック、ストック&トゥー・スモーキング・バレルズ」のジェイソン・ステイサムほか。
ロンドンの下町イースト・エンド。非合法ボクシングのプロモーター、ターキッシュ(ジェイソン・ステイサム)と相棒トミー(スティーヴン・グレアム)は、裏会社の大物になろうと、ノミ屋経営で大儲けしている悪党ブリック・トップ(アラン・フォード)に接近し、彼のために八百長試合を仕込むことになる。当日使うボクサーを連れパイキー流浪民のキャンプを訪れた彼らだが、トラブル発生。ボクシングで勝負させたものの、パイキー青年ミッキー(ブラッド・ピット)がボクサーをノック・アウトしてしまったのだ。一方、ベルギーでは86カラットのダイヤが盗まれる事件が起きており、強盗団の一人、4本指のフランキー(ベニシオ・デル・トロ)は、ダイヤをNYのボス、アヴィー(デニス・ファリーナ)に届けねばならなかったが、途中で小粒の盗品をさばくためにロンドンに寄り、非合法ボクシングの賭けで罠にはめられる。フランキーからの連絡が途絶えて業を煮やしたアヴィーが、ロンドンにやってくる。こうして事態は大混乱に陥っていくのだった。
<レビュー>
パルプフィクションみたいだ。オーシャンズシリーズっぽい(12あたり?)ところもあるような。
いや、それよりも、日本のドラマでこんなのをよく見るな。
クドカンが絡んでいるやつ。
例えば木更津キャッツアイとか、池袋ウエストゲートパークとか。
矢継ぎ早に繰り出されるエピソードをスタイリッシュ(という言い方は嫌だけど)なカット割りでテンポ良くまとめる。
そうか、つまり日本のいくつかのドラマはこの軽快なノリに影響を受けているのか。
内容はびっくりするほど中身がないけれども、そんなのは全然オッケーなのだ。
中身があるようなのを狙ってスッカラカンになってしまったダメダメな映画よりはずっとまし。
とても良い気分転換になりました。
ブラピも楽しそうだし、間抜けな黒人ギャングも良かったし、ジェイソンステイサムはちょっと硬かった気がするけれど(まあ彼だけ悪人なのに悪人になりきれていないのは主人公だからだろう。ちょっと損な役回り)、みんなだいたい悪くてずるくて賢くて馬鹿で楽しくて、まあとにかく全体的に良いんじゃないでしょうか。みたいな。
話が込み合っていて分かりづらいって人もいるみたいだけれど、そこまでじゃない気もする。
無理して全部分からなくても十分楽しめるんじゃないでしょうかね。
あと、人がちゃんと死ぬのが良かった。
別にリアリズムは求めていないけれども、あれで人が死ななかったらズルい気がする。
ちょっと甘いかもしれないけれど、星四つあげよう。
「ロックストック~」のほうも観てみようかな。
★★★★☆
駿河シカヲ
池田敏春監督「ハサミ男」を観ました。
<作品詳細・解説>
ハサミ男 - goo 映画
相次いで惨殺された2人の女子高生。喉元にハサミが十字架のように突き立てられた遺体の様子から、マスコミは犯人を“ハサミ男”と名付ける。やがて警察の捜査の遅れに非難が集まる中、第三の事件が起こってしまう。夜の公園に十字に横たわる少女の遺体を発見したのは、知夏という若い女性と安永という長身の男。2人はある理由から被害者の少女の身辺を探っているうちに、偶然に遺体の発見者となったのだった。重要参考人として警察の監視下に置かれた知夏と安永は、事件の真相を突き止めねばならない立場に追い込まれてゆく…。
第13回メフィスト賞を受賞し、ミステリーファンの間で大きな話題を集めた殊能将之の「ハサミ男」を映画化したサイコ・スリラー。いわゆる“叙述トリック”を用いた新本格派ミステリは映像化不可能とされることが多いが、本作はそのトリックを逆用した映像のレトリックをて、原作のサイキックな世界に奥深く分け入ることに成功している。この映画化を成功させたのは、ジャンル映画の鬼才として一部に絶大な支持を得る池田敏春監督。
風景、静物、人物の表情をシュールな感覚で折り重ねながら、禍々しい死のイメージと登場人物の心の闇を夢幻的に交感させてゆく手口は、なるほど鬼才の妙技だ。また出演者にも、豊川悦司、麻生久美子、阿部寛といったフォトジェニックな俳優たちが集い、心の内側にひそむ悪意や悲哀をエキセントリックな個性で演じている。
<レビュー>
原作未読。
本来ならそれでも構わないのである。
しかし、今回に限ると原作を読んでおきたかった。
何故なら、原作(殊能将之著、メフィスト賞受賞作)が物凄く面白いらしいのである。
そして、原作の面白さが映画を圧倒的に上回っているらしいのである。
なるほど確かにストーリーだけみると凄くよく出来たミステリーだと思う。
ぼくは評判の悪い映画のほうで、肝心のオチを知ってしまった。
だから原作はこの先読まないだろう。
ちなみに殊能将之のHPの日記が面白い。
昨年友人に教えてもらって以来、いつも拝見している。
だのにぼくは殊能将之の小説を読んだことが無い。
安っぽい映画である。
ところどころ映画的な演出はあるが、どこかしらテレビのサスペンス劇場的な安っぽさがあるのだ。
というよりこういった類の駄目さ加減は悲しくてやるせなくて好きだ。
テレビドラマが映画になった時の駄目さ加減は許せないことが多いのだが、こういう二時間ドラマ的な安っぽさには妙な哀愁がある。
最期の象徴的な十字架のシーン。
これはダーティハリーっぽい。
ところどころこういったシンボルをだしてくるところは、やはり映画的な見せ方なのだろう。
麻生久美子は時折ぞっとするほど美しい。
瞬間的な閃光を発する。
つまり美人なのだ。
そして豊川悦司は相変わらず立っているだけでサマになる。
★★★☆☆
ハサミ男
仕事の都合で自宅ではなく三島市にて宿泊です。
妙にテンションあがります。
今回はくりぃむしちゅーの有田哲平氏の初監督作品「特典映像」です。
DVD作品です。
これを映画とカテゴライズするべきなのか分かりませんが、まあそのへんはどうでもいいのです。
総合レビューサイトなのです。
<「特典映像」スペシャルウェブサイト>
http://www.jvcmusic.co.jp/aritakantoku/
<レビュー>
いわゆる擬似ドキュメンタリーという形のコメディーである。
有田哲平が「左曲がりの甲虫」という映画の監督をするにあたり、有田監督がキャスト集めなどに奔走する姿を特典映像に収めた、という設定。
こういうのを観ると、やはりダウンタウンのガキ使いを思い出してしまう。
そう言えば松本人志の「大日本人」も擬似ドキュメンタリーであった。
では、順番にひとりずつとりあげてゆこう。
①矢作兼(おぎやはぎ)
おぎやはぎ矢作への出演交渉。
台本を見せると、アクションシーンを増やしたほうがいいとか、ストーリーについてあれこれ難癖をつけてくる。
うぜー。
②岡田圭右(ますだおかだ)
ますだおかだ岡田への出演交渉。
やたらとあれやこれやとギャランティーの保障に結びつけて言及してくる。
ケチで知られている岡田らしいなあ。
非常にやらしい。
けっこう笑った。
③山崎弘也(アンタッチャブル)
とあるフレンチレストランへのロケハン。
そこの店長(山崎)に、撮影で店を貸し出すと同時に、役者でもないのに本人が店長役で出演するものと誤解されて面倒くさいことになる。
上巻では一番笑った。
こらえきれずに有田氏が何度も笑っていた。
④清水ミチコ
子役オーディション会場。
過保護の母親(清水ミチコ)がオーディション中にも関わらず子供の横についてあれやこれや言ってくる。
こんな奴がいたらウザいな。
⑤劇団ひとり
主演女優との初顔合わせ。けれども女優のマネージャー(劇団ひとり)が合わせてくれない。
どう考えても楽屋の中にいるのに入らせてくれない。
マネージャーと女優があきらかにデキているのが面白い。
有田氏が実際に体験したのだろうか。
劇団ひとりが伝家の宝刀である泣きの演技を披露。
これは力技。
無理矢理笑わされた。
⑥堀内健(ネプチューン)
喫茶店にてカンヌ帰りのカメラマンと打ち合わせ。
しかし喫茶店のボーイ(堀内)にことごとく邪魔をされる。
まさにホリケンワールド。
アリケンコンビではいつも有田がツッコミになるしかない。
⑦大竹一樹(さまぁ~ず)
結局キャストが決まらないままクランクイン初日。
とりあえずオープニングショットだけを撮るためにロケ現場に。
しかし途中でロケ車が一般の乗用車にぶつけてしまう。
ロケ車の運転手(大竹)がかたくなに自分の非を認めず、日が暮れてしまう。
大竹なので普通に面白いが、大竹だったらもっと面白くてもいいはず。
⑧秋山竜次(ロバート)
日が暮れてロケ現場につくと、カメラマン(秋山)が待っていた。⑥で打ち合わせていたカメラマンはホリケンの一件に怒っておりてしまったので、代役である。
こいつが職人気質の堅物で、まためんどくさい。
秋山は変なキャラを演じるのが非常に上手いので笑える。
職人ぶっていて撮影がおそろしく下手糞なところにも笑った。
⑨上田晋也(くりぃむしちゅー)
ロケ地となる千葉県某市の有力者である市会議員(上田)への挨拶へ。
これは凄く良かった。
上田はかなりおおげさにデフォルメされた、いかにもワンマンな団塊モーレツ親父を演じているのだが、
それが仕事先の上司である課長に似ていた。
「~という部分で」を連発するところが似ていた。
⑩伊集院光
この回が最も秀逸。
配給会社の役員(伊集院)に呼び出された有田たちは、そこで驚愕の事実を告げられる・・・。
全巻において、MVPは間違いなく伊集院である。
別に伊集院より笑えるのはいくつもあったけれど、笑い以外の部分は伊集院が最後に全部持っていった感じ。
とにかく巧い。話が巧い。伊集院の真骨頂である。
この回で何故映画本編ではなく特典映像だけがリリースされてしまったのか、というのがすべて分かる。
以上です。
お笑いDVDとしてはすごく良い出来だと思います。
もの凄くユルいですが。
はじめは北野武や松本人志の流れで一流芸人有田が映画に挑戦する、という感じなのだが、いつの間にかグダグダになってゆくさまが如何にも有田っぽくていいなあと思います。
幻の本編である「左曲がりの甲虫」が観られる日は来るのだろうか・・・。
★★★☆☆
茶ーっす。茶っちゃっ茶ーっす。
駿河シカヲです。
スティーヴン・スピルバーグの「激突!」を観ました。
助監督のジェームズ・ファーゴってたしかダーティハリーの何作目かで監督していたなあ。
<作品解説・詳細>
激突!(1972) - goo 映画
車を連転する人間なら少なからず経験する大型トラックの無謀運転ぶりを自ら体験しヒントに執筆したリチヤード・マチソンが、ハイウエイでのトラブルが殺意にまで発展する現代の恐怖をスリリングに描く。製作はジョージ・エクスタイン、監督はスティーヴン・スピルパーグ、原作・脚本はリチャード・マシスン、撮影はジャック・マータ、音楽はビリー・ゴールデンバーグ、編集はフランク・モリスが各々担当。出演はデニス・ウィーバー、ジャクリーヌ・スコット、エディ・ファイアーストーン、ルー・フリッゼル、ルシル・ベンソン、キャリー・ロフティンなど。
※ストーリーの結末が記載されているので注意!
デビッド・マン(デニス・ウィーバー)は、知人から借金を取りたてるために、高速伝いにカルフォルニア州を南に向っていた。その途中、40トンタンク・ローリーに道をはばまれたマンは、アクセルを踏んでタンク・ローリーを追い抜いた。これが事件の発端だった。タンク・ローリーは轟音をたてて抜きかえすとデビッドの車すれすれにまわり込み、再び前方をふさいだ。この無鉄砲な運転ぶりに腹を立てたデビッドはタンク・ローリーを追い抜き、スピードをあげてタンク・ローリーとの距離をできるだけあけようとした。数分後にデビッドはガソリン・スタンドで給油している間に妻(ジャクリーヌ・スコット)に電話し、昨晩議論したことについて話しあった。スタンドを発車して間もなく、例のタンク・ローリーがなおも追いかけてくるのに驚いた。やがてタンク・ローリーはデビッドの車を追い越し、スピードを落して道をふさぐ。こんなことをしていたのでは約束の時間に間にあわない。狭い先の見えないカーブにさしかかった時、運転手(キャリー・ロフティン)は手を振ってデビッドに追い越しをゆるす。彼が隣りのレーンに乗り入れ、角を曲がると、青いセダンが矢のように向ってくる。一瞬のうちにデビッドは元のレーンに車を戻し、数インチの差で対向車をかわす。デビッドは運転手が明らかに殺意を抱いていることに気づき茫然とする。ドライブ・インに入り、気をしずめたデビッドの眼は駐車場に止まっているタンク・ローリーに釘づけになった。運転手の顔は判らなかったが、こちらを向いてニヤニヤ笑っている男に喰ってかかった。だが一瞬殴りとばされたのはデビッドの方だった。再び旅は始まった。途中、悪路に車輪をとられたスクール・バスに合い、後から押したものの彼の車の馬力では動きそうになかった。ふと気がつくといつの間にかタンク・ローリーが迫ってぎていた。あわてて逃げだしたデビツドが、ふり返ると、タンク・ローリーがバスを押して道路に戻してやっているところだった。デビッドはその隙に目的地へと急ぐ。突然、踏切で列車の通過を待っていたデビッドの車にトラックが体当りをかけてきた。40トンの車に後から押されては、いくらプレーキを踏んでも乗用車は前に押しだされる。デビッドの車は徐徐に列車に近づいてゆく。間一髪で列車をやり過ごし、踏切から飛ぴだしたデピッドの車の横を、タンク・ローリーは何ごともなかったように走り去った。恐怖を感じたデビッドは、次のガソリン・スタンドで給油をすると、公衆電話で警察に通報しようとしたが、ボックスめがけてタンク・ローリーが飛び込んでくる始末だった。やがて、坂にかかり、デビッドドの車は白煙をふきあげながらスピードが落ちていった。以前、ラジエター・ホースを取りかえる必要があるといわれていたことを忘れていたのだ。もはやこのままでは走れない。このままでは確実に追いつかれる。デビッドは脇道にそれ、崖の一歩手前でタンク・ローリーを待ち構えた。数分後、タンク・ローリーはデピッドの車めがけて走ってきた。デビッドはタンク・ローリーめがけて車を走らせ激突寸前のところで飛びおりた。タンク・ローリーは、車と共に崖下に落ていった。
<レビュー>
ぼくが物心ついた頃にはすでにハリウッドを代表する巨匠だったスピルバーグ。
そして今でも映画界のトップを張っているスピルバーグ。
しかしそんな巨匠の最高傑作は、ぼくが生まれる約十年前に作られたこのデビュー作なのである。
話はいたってシンプル。
主人公の乗用車がタンクローリーを追い越したことをきっかけに、
終始タンクローリーに追い回されるという1つのネタだけで成り立っている。
それなのに最後まで飽きないで興奮するのだ。
ありとあらゆる手段をつかって魅せる、魅せる、魅せる。
タンクローリーの運転をしている人間の顔は、最後まで分からない。
不気味だ。
まるで怪物に追われている気分になる。
全体的に演出は派手ではなく、抑えめであり、そこが良い。
シンプル・イズ・ベストである。
ただ、B級なテイストのはずなのにそうなっていないのはスピルバーグの才能によるところなのだろうが、
穿った見方をすれば、ある意味ではB級に徹しきれない監督なのである。
ラストの崖におちてゆくタンクローリーはまさに恐竜だ。
スローモーションが非常に効いている。
ジョン・ウーの腐ったスローモーション(ジョン・ウーのスローモーションは犯罪的にダサい)よりもずっと効果的で、やはりスピルバーグは魅せることを分かっている。
確実に言えることは、緊張感や迫力を演出するのにCGもVFXも必要ないということ。
CGやVFXは映像に何かしらの違和感を演出する機能でしかなく、逆にそういった意味ではどんどん取り入れてもらいたい。
本来リアルでないのが映画なのだから、CGは面白い道具である。
関係ない話になった。
久しぶりにジョーズも観たくなった。
やっぱりスピルバーグは面白いなあ。
★★★★★
駿河シカヲ
今回はサム・ペキンパーの生涯の最高傑作として名高い「ワイルドバンチ」です。
<作品解説・詳細>
ワイルドバンチ(1969) - goo 映画
ストーリーはロイ・N・シックナーとワロン・グリーン、脚色はサム・ペキンパーとワロン・グリーン、監督は「ダンディー少佐」のサム・ペキンパーで、悪党たちのアクション篇。撮影は「墓石と決闘」のルシエン・バラード、音楽は「野望の系列」のジェリー・フィールディング、美術はエドワード・キャレアの担当。出演はウィリアム・ホールデン、アーネスト・ボーグナイン、ロバート・ライアン、エドモンド・オブライエンほか。製作は新鋭フィル・フェルドマン。
※ストーリー全文が記載されているので注意!
1913年、テキサスとの国境の町。パイク(ウィリアム・ホールデン)をリーダーに、ダッチ(アーネスト・ボーグナイン)ら5人組は鉄道の駅舎で、突如、物騒な強盗作業を開始。まんまと事を運んだかにみえたが、鉄道会社の経営者が雇った3人の腕ききガンマンたちに逆襲されて大混乱。こちらのリーダーは仮釈放中のソーントン(ロバート・ライアン)である。パイクたちが再び集まったのは老ガンマンのサイクス(エドモンド・オブライエン)の牧場だった。そしてサイクスも仲間に割り込んできた。再び旅が始まった。ソーントンとバウンティハンターたちが追う。1ヵ月以内にパイク一味を捕まえればソーントンの罪は帳消しになるのだ。やがてパイク一味はメキシコ人の小さな村にたどり着く。そこは一味の1人、エンジェルの故郷だ。だがエンジェルの恋人テレサが、マパッチをリーダーとする野盗の群れに掠われた。一味は彼を追って、さらに奥地へ。だがパイクもマパッチも、悪党であることに変わりはない。やっとのことで追いつき、商談らしきものが成立したが、そこは双方だまし合い。あげくの果てに悪と悪との壮烈な戦いとなり、すべてが死に絶えるというさま。そこへソーントンの一行がやって来た。死体をめぐって仲間割れ。ソーントンだけが生き残った。だが、そこへ現れたのが、サイクス老人だ。彼はパイク一味の仲間入りしたにもかかわらず同行せず、すべてが死んだ後に1人でやって来て、原住民と商取り引きを始めた。金のないソーントンなど手を出すすべもない。悪の中でも最高の悪が勝った開拓時代の1エピソードである。
まったく見当外れかもしれないけれども、最後の西部劇と呼ばれたこの作品(といっても92年のイーストウッド「許されざる者」が本当の意味において西部劇を終わらせたとも言われる)は、黒澤と北野の橋渡し的な側面があるように思うのです。
要は黒澤明が作った凄く面白いチャンバラ劇がペキンパーの「ワイルドバンチ」を経てノーフーチャーでデッドエンドな「ソナチネ」や「BROTHER」につながっているという仮説なのです。
この場合「ソナチネ」よりも娯楽要素の強い「BROTHER」だけをとりだしたほうが良いかもしれません。
もっとも北野武がペキンパーを観ているかどうかはまったく疑わしいことであり、むしろ黒澤―北野ラインの間に偶然ワイルドバンチを入り込ませる余地をみつけてしまった、と考えるのが妥当なところでしょう。
ただ、北野武がサム・ペキンパーを観ているという証拠はないけれども、少なくともサム・ペキンパーは黒澤明の影響を、たとえば有名なスローモーション映像などで、はっきりと映画の中において表明しておるのです。
そして、この「ワイルドバンチ」は北野武の「BROTHER」に似ています。
それが一番大事。
強盗団もやくざもしょーもない連中です。本当にどうしようもないならず者です。
そいつらが自分勝手でわがままな美学のために死んでゆくという様、そしてカタルシスの感じ方が同種のものであるように思ったのです。
この映画は単純に面白いという点でおすすめ。
最初の襲撃シーンの直前の緊迫感にはわくわくするし、最期の、衝動的にキレて間違った正義を掲げて勝てる見込みのない相手に突っ込んでゆくシーンは身震いします。
活劇としての醍醐味が十分に味わえるのです。
ただし、これは古き良き西部劇では、ない。
ジョン・ウェインもスティーブ・マックイーンも出る幕はない。
描かれているのは、地獄のような天国なのです。
★★★★★
フラストレーションが溜まっております。
どうも最近アレなんですよね。
そういえばマダムにもこないだ言われたのです。
「シカヲちゃん、アナタ最近妙に文章がとげとげしくない?」とね。
だから、ぼくはね、言ってやりましたよ。
バカヤロー!っつって。
というか嘘です。
ノープランで適当なことを書いているとすぐに書くことが無くなる。
ジョン・ウー監督「レッドクリフ part.1」を観ました。
<作品解説・詳細>
レッドクリフ Part I - goo 映画
西暦208年。曹操軍に追われる劉備軍は孫権軍と同盟を結ぶため、軍師の孔明を孫権のもとに遣わした。しかし孫権軍では曹操に脅威を感じているものの非戦を唱える臣下が多く、同盟は容易に成立しそうもない。そんな中、孔明は赤壁で孫権軍の司令官・周瑜と出会い、そのカリスマ性に魅了される。一方の周瑜も孔明の人柄と戦術眼に驚嘆し、その存在を意識するようになる。そして二人は信頼を深め、共に戦う事を決意するのだった。
日本でも高い人気を誇る中国の史伝・英雄譚「三国志」。その中でも最も有名な合戦である「赤壁の戦い」を、名匠ジョン・ウー監督の手で映像化。壮大な戦いと戦の最中に繰り広げられる人間模様を2部構成で描いていく。第1部にあたる本作は周瑜、孔明を中心に「赤壁の戦い」に至るまでの経緯を丁寧な描写で追う。周瑜を演じたトニー・レオンは芯のしっかりとした演技でカリスマ性を見事に表現。一方、諸葛孔明を演じた金城武は常に微笑をたやさぬ悠然とした演技で、希代の名軍師の懐の深さを印象づけることに成功した。名将たちが奮戦する戦闘シーンも迫力満点。『Part II』の公開が楽しみになる作品に仕上がった。
<レビュー>
良くも悪くも、ほぼ完全に予想通りです。
三国志は好きなので、まあ普通に楽しめたが、それ以上のサムシングは無かったです。
もともと期待していた作品が、蓋をあけるとやっぱり期待通りだったということで、全然悪くないんだけど、なんか貶したいんですね。
所詮感想文なんていうのは、そのときの精神状態によりけりなんですね。
だから、この映画を今から徹底的にこき下ろしてみようと思います。
と思ったけど疲れるのでやめよう。
本当はもうどうでもいいのです。
別に更新するのはまた今度でいいのです。
非常にわかりやすい演出。
とにかくわかりやすい。
キャラクター付けがしっかりしているので、外国映画にありがちな、誰が誰かわからないということが無い。
ゲームの三国無双的な感じで(やったことないけど)、武将の個人としての強さが戦いの優劣を左右する。
普通はありえないんでしょうけれどもね。
ただ、全体的にどうせなら蒼天航路ぐらいまでおおげさにやって欲しかったな。
あと、中村獅童が呉の甘興という架空の武将として登場するのですが、どうせなら黄蓋の出番を増やして欲しかったです。ほとんど出てこないんだもの。まあそれはパート2に期待しよう。
ちなみに中村獅童は中国語が流暢でないので、彼だけ吹き替えで、すごく違和感があります。
しかし映画というのはそういった違和感をスルーする能力が求められる娯楽である、と無理矢理片付けてしまえば、ぼくの修行不足ということになるので、まあオッケイとしよう。
★★★★☆
駿河シカヲ
これから飲み会です。
ちょっと気が重い。
鈴木清順「殺しの烙印」を観ました。
殿堂入りの大傑作です。
まだ観たことのない人は、あらすじ詳細は見ないほうがいいかも・・・。
<作品解説・あらすじ>
殺しの烙印(1967) - goo 映画
新人の具流八郎がシナリオを執筆し、「けんかえれじい」の鈴木清順が監督したアクションもの。撮影は「続東京流れ者 海は真赤な恋の色」の永塚一栄。
※あらすじの結末が記載されているので注意!
プロの殺し屋としてNO3にランクされている花田は、五百万円の報酬である組織の幹部を護送する途中、NO2とNO4らの一味に襲撃された。花田の相棒春日は倒れたが、組織の男の拳銃の腕前はすばらしいもので、危うく危機を脱した花田は、その男を無事目的地に送り届けた。仕事を終えたあとの花田は緊張感から解放されたためか、妻の真美と野獣のように抱き合うのだった。ある日、花田は薮原から殺しの依頼を受けた。しかも、四人を殺して欲しいというのだ。花田は自分の持つ最高のテクニックを用いて、次々と指名の人間を消していった。しかし、最後の一人である外人を殺すのに手間どり、結局失敗してしまった。殺し屋に失敗は許されない。組織は女殺し屋美沙子を差向けてきた。家に逃げ帰った花田に妻の真美が拳銃を向けた。真美も殺し屋だったのだ。九死に一生を得た花田は美沙子のアパートに転げこんだ。そんな花田を美沙子は射つことが出来なかった。その夜、二人は殺し屋の宿命におびえながらお互いを求めあった。やがて花田殺しに失敗した美沙子は組織に捕われ、彼女を救いに行った花田は組織の連中と対決したが、そこに現われたのは、かつて花田が護送した男大類だった。大類こそ、幻の殺し屋といわれるNO1なのだ。大類は対決の場所として後楽園ジムを指定した。花田は腕は大類の方が一枚上であることを悟り、捨身戦法で対決しようと覚悟した。それが効を奏し、大類は花田に倒されたが、花田も大類の一弾を受けていた。ジムの中によろめき立っている花田の前に美沙子が現われたが、すでにその見分けのつかない花田は彼女を射った。そして花田も、「NO1は誰だ!」と絶叫してその場に崩れ落ちていった。
この話の世界では、殺し屋にランキングがあって、主人公(NO.3)をはじめとする殺し屋たちは、NO.1を目指してしのぎを削っているのであります。
なんかもう爆笑ですね。
陳腐な設定と簡単なあらすじだけ見ると、完全にB級のフィルム・ノワールなのだが、これがもう凄いのです。
大傑作なのです。
凄すぎてぼくは観終えた後に、明日辞表を提出して殺し屋になろうかなあと思ってしまいましたよ。
常々思っているのですが、映画において大切なのは、「何を語るか」ではなく、「どう語るか」なのです。
これは黒沢清が言っていたことです。
ぼくはそれをさらに強く確信しましたよ。
話なんてある程度破綻していようが単純だろうが構わないのですね。
監督も役者も、与えられたプロットをどう料理するかというのが大事なのです。
この話も一見非常にアホなのですが、見せ方が凄いので、ちょっと泣けるのです。
鈴木清順監督はとにかくイメージの連鎖が洗練されています。
雨の女がシャワーをあびた女に切り替わる。これは水というイメージ。
炊飯器を抱きしめる男が、次のシーンで女を抱いている。非常に巧妙です。
なんというか邦画離れしたヴィジュアルなのですね。
もちろんこれにはファム・ファタール的存在の真理アンヌのエキゾチックな風貌が一役買っているという部分もあります。
それにしても、このイメージ連鎖の感覚的なセンスはゴダールをはじめとしたヌーヴェルヴァーグのセンスに引けをとらないぐらいに優れています。
鈴木監督はこのあと大正三部作を撮って、その素晴らしいセンスを芸術的な方向で昇華させるのですが、ぼくはむしろこういったエンターテイメント向きの作品に芸術的センスを盛り込んでゆく職業的な姿勢が好きです。
日本でこういった芸当ができるのは、やはり今のところ、さきほどあげた黒沢清ぐらいでしょう。
鈴木監督が「殺しの烙印」で見せた素晴らしい意匠が、日本の監督に受け継がれてゆくことを願っているのでありす。
ちなみに主人公の宍戸錠は、炊飯器の匂いがたまらなく好きという設定なのであります。
これがまた笑えるのです。
ことあるごとに、女に「飯、飯だ!飯を炊け!」と言うのですが、それが妙に生活感があって好きです。
そして、何と言っても主題歌の「殺しのブルース」が本当に素晴らしい!
笑えるうえにかっこいいのです。
歌詞だけ最後に載せておきます。
<殺しのブルース>
(一番)
男前の殺し屋は 香水の匂いがした
「でっかい指輪をはめているな」
「安かねえんだ」
「安心しろ そいつには当てねえよ」
まがったネクタイを気にして 死んだ
(二番)
寝ぼけ顔の殺し屋は 寒そうに震えてた
「女を抱いてきたのか」
「あたりきよ」
「湯たんぽを抱きな」
熱い鉛を抱いて 死んだ
★★★★★
押井守監督の渾身の力作「スカイ・クロラ」を観ました。
宮崎駿なんてくそくらえだって思っているのでしょうか。
愛憎入り混じったライバル関係なのでしょう。
<作品解説・詳細>
スカイ・クロラ The Sky Crawlers - goo 映画
ショーとしての戦争が行われる、仮初めの平和の時代。永遠に年をとらない「キルドレ」のユーイチは、新たに兎離州基地に配属となった。過去の記憶のない彼だが、初めて乗る機体も身体に馴染み、エースの座に着く。基地司令のスイトはそんなユーイチを複雑な眼差しで見つめていた。そんなある日同僚のパイロット、ユダガワが撃墜され死亡してしまう。墜とした相手は、「ティーチャー」となのる敵のエースパイロットだった……。
世界中のクリエイターからリスペクトを受ける押井守監督が撮りあげた鮮烈な物語。森博嗣の小説を原作に、「キルドレ」呼ばれる年をとらない若者たちが、戦闘機のパイロットとして戦いながら生きる意識を変化させていく姿を描く。澄み渡る蒼穹の中を時にあがき、時に愛を求めながら飛ぶキルドレの若者たちは、そのまま生きづらい現代社会で彷徨する現代の若者たちと重なっていく。キャラクターの心情は淡々と描かれる一方、空中戦のスピード感は圧巻。プロペラ機がまるで生き物のように縦横無尽にスクリーンを飛び交う。声優には菊地凛子や加瀬亮ら有名俳優たちをキャスティングし、独特の雰囲気を生み出した。
<レビュー>
年明けあたりに森博嗣を読もうと思って、図書館へ行き、適当に選んで「フラッタ・リンツ・ライフ」を借りたのである。
森博嗣のことをよく知らないぼくは、その時点ではまだその本がスカイクロラシリーズの一つであることを知らなかった。
帰ってさっそく読む。
実はそこまで期待していなかったのだが、予想外に面白く、ぼくはそれからしばらく、つい最近まで森博嗣のスカイクロラシリーズにハマっていたのだ。
シリーズ全巻読み終え、外伝の「スカイ・イクリプス」も読み、そしてようやく、満を持してDVD化された本作を鑑賞した、という流れなのであります。
全然かまわないレベルの話なのだが、原作と違う点はいくつかある。
結末が大きく異なるというのは、実はたいした話ではない。
読み終わった後、観終えた後、同じような種類のやりきれなさと切なさが残った。
つまり、どっちにしろ救いようがない話なのである。
原作との一番大きな違いは何か。
原作の空気感は絶妙に再現されているのだが、だんだん物語の主題が「父殺し」に巧妙に滑ってゆく点である。
「父」というのは、敵の会社のエースパイロットである「ティーチャー(原作ではティーチャ)」である。
ティーチャーは最強の絶対的なパイロットとして君臨している。
主人公のカンナミ・ユーイチ(原作ではユーヒチ)は、そのティーチャーに対して、最後に意を決して堂々と戦いを挑む。
その場面で押井守は主人公に「I'll kill my father!」という原作には無かったセリフを語らせる。
ここが押井守が新たに据えた独自の視点であり、若者に向けた(そして宮崎駿に向けた)強烈なメッセージになっていて、さらにそれが主題であるということを高らかに宣言したことで、物語が非常にクリアなものになっている。
原作では、「謎解き」という大きな側面がある。
キルドレって何?
いったい「僕」って誰なのか。クサナギ・スイト?クリタ・ジンロウ?カンナミ・ユーヒチ?
あれ、クサナギってもしかしてクリタであってカンナミでもあるのか?という疑問。
伏線がたくさん張りめぐらされていて、後々とんでもないトリックに気付いてゆくのである。
しかし、映画のほうでは謎解きのほうはカットされていて、逆に説明不足にも思えるけれども、二時間でいろんなものを詰め込みすぎるのはたいてい良い結果にならない。
原作の雰囲気はかなり近いところまで再現できている。
キルドレたちは、空の上ではイキイキしているのに、地上での生活はまるで死んだようだ。
ぼんやりしていて無個性。妙に無機質で特徴が無い登場人物の表情は巧い。
それから、やたら煙草を吸うところも再現されていて面白かった。
この時勢にあれだけ煙草ばかり吸うアニメは珍しい。
そして、一番見ものだったのはもちろん空中戦で、意外にもそのシーンは少なかったが、アニメの世界的な巨匠である押井守だけあって大変素晴らしく、興奮できた。
だがこれはどう考えても子供が楽しめるドラマでは無い。
おそらく僕らのような自傷の世代の、しかも落ちこぼれた人たちが観て、一番痛みを感じるのではないかという気がする。
いまいち自分の感想を伝え切れていないのが悔しいのだけれど、ぼくはかなり好きな映画です。
少なくとも、もののけ姫以降のジブリよりは百倍好きだな。
★★★★★
駿河シカヲ
今回はガス・ヴァン・サント「ラスト・デイズ」で御座います。
好きな映画です。
<作品解説・詳細>
ラストデイズ - goo 映画
1人森の中をさまよっている男がいる。リハビリ施設を抜け出したロック・アーティストのブレイクだ。独り言をつぶやきながら歩く彼は、やがて1軒の屋敷にたどり着いた。そこは取り巻き連中が居候しているブレイクの家だった。家の中をうろつき、時おり倒れ込むブレイク。しかし誰も彼の姿に関心を払わない。そんな状況にはお構いなしに、セールスマンや宗教団体の勧誘者、レコード会社の重役などが屋敷を訪れてくる。ようやく誰もいなくなり、静かになった屋敷でブレイクは楽器を演奏する。翌朝、温室でブレイクの死体が発見された。
グランジ・ロックの代表的なバンド“ニルヴァーナ”のヴォーカリストで、中心人物でもあったカート・コバーン。彼はバンドの成功と引き換えに孤独やプレッシャーに悩まされ、やがてドラッグに溺れるようになり、1994年4月5日に自ら命を絶った。その前に友人のリヴァー・フェニックスを亡くし、大きなショックを受けていた監督のガス・ヴァン・サントは、その経験とコバーンの死からこの作品のイメージが浮かんだという。映画ではブレイク(=コバーン)がなぜ精神を病むようになったかは明示されていない。ただ、そこには周囲から断絶した、絶望的なまでの孤独がある。生気を失い、森や屋敷をうろつくブレイクは、まるで無害なゾンビのようだ。誰も彼の姿は見ていても、彼の心の中まで見ようとしない。大きな喪失感が画面の隅々にあふれている作品だ。
<レビュー>
ぼくの世代のロック好きは、ニルヴァーナの洗礼を受けた人が多い。
だが、ぼくはそこまで影響を受けなかったクチである。
で、この映画はガス・ヴァン・サントがニルヴァーナのカートコバーンに捧げた作品である。
ここで気になるのは、世間のこの映画に対する評価である。
おおまかにそれらをまとめると、「ニルヴァーナ信者しか感情移入できない、退屈な映画である」といった感じ。
ぼくはそれに対して大いに腹が立っているのである。
これは、話題になった前作「エレファント」に勝るとも劣らない傑作なのである。
何故君たちは、冴えわたる移動撮影の美しいロングショットに心を動かされないのか。
鈍感極まりないと思うのだ。
死のうと思ったことがない人には分からないのだろうか。
どうなんだろう。
独りになりたいと思ったことがない人にも分からないのかも知れない。
言い過ぎだろうか。
あれのどこが退屈なのだろうか。
最初から最後まで、ただならぬ緊張感がある。
人が死ぬ、というのは、ああいうことなのだ。
説明的じゃなくて、親切じゃなくて、限りなく暴力的なのだ。
理由が大事なのではない。
そこらじゅうに死の匂いが充満していることが重要なのであり、その緊張した状況にまったく気付けないとは何事なのだ。
画面をもっと見るべきだ。
文脈を読むな。
「エレファント」だってそうだ。
理由がなくても人は行動するのだ。
それでも、ああこの人死にそうだなとか、ああこの人殺しそうだなとか、なんとなくわかるのだ。
そうせざるを得ないような必然性が優れた映画には漂っている。
その後、本当にそうなるかどうかは、作る側の自由意思で良いとは思うが、そこに行きつくまでは往々にして決定論に支配されて然るべきなのである。
また言い過ぎた気がする。
とにかく、カート・コバーンを抜きにしても、この映画は素晴らしい。
ぼくはむきになって擁護したい。
例えばVUの「毛皮のヴィーナス」をレコードで聴きながら口ずさむワンシーンワンカット、あれなどは実に良いのだ。
それから、最後のほうで家を出て行った男女が、車内でギター弾いているシーンの、あの金髪女性の顔は美しい。初めてアップで出てきて、ああ、美しくそして哀しいと思った。
また、主人公ブレイクの一挙手一頭足がなんとも痛ましい。
ドラッグのやりすぎでああなっているというより、根本的に病んでいるような感じ。
ただただ一人にさせて欲しい、あの感覚。
そして、リリシズム溢れる美しい風景がまた倒錯的で、リアルじゃない。
風景としてのパラフィリアというのだろうか。
ただし、現実のクソっぷりを拒絶しようとする意思が制作側にあったならば、美しい風景で対処するしかないのかもしれない。
ある種これはだまし絵の世界である。
ただ、最期に警察が現場検証しているシーンが妙にリアリティがあって残酷で、胸にずっしりとくる。
ちなみに、キム・ゴードンがレコード会社の人の役でカメオ出演している。
まあ、それはどうでもいい話。
★★★★★
駿河シカヲ
駿河シカヲで御座います。
ぼくは眠いのです。
しかし、プライベートタイムが惜しいのです。
今回観たのは、三枝健起監督「オリヲン座からの招待状」です。
<公式HP>
http://www.orionza-movie.jp/
<作品解説・詳細>
オリヲン座からの招待状 - goo 映画
町の映画館・オリヲン座は、毎日、たくさんの人で賑わっていた。経営しているのは映写技師の豊田松蔵と妻・トヨだ。ある日、一人の青年が映画館にやってきた。映画を観たくて仕方がないが、お金がない。トヨはその青年を「途中からだから」と言って入れてやった。上映が終ると、その青年、留吉は松蔵にここで働かせてくれと頼み込む。留吉は熱心に働き、映写技師となる。しかし、松蔵が急死してから、映画館は段々寂れるように…。
“泣ける作家”として国民的人気の浅田次郎原作の「鉄道員」に収められた短編小説を『MISTY』の三枝健起監督が映画化。昭和30年代の映画黄金時代から、映画が斜陽になり、現代に至るまで、亡き夫から受け継いだ映画館、オリヲン座を守る妻と映写技師の純愛を描く。昭和30年代を描いた映画がヒットしているが、湿り気のある映像は、まさに昭和そのものだ。劇中、上映されている映画として『無法松の一生』『二十四の瞳』『ひめゆりの塔』など、名作の映像が流れるなど、和製『ニューシネマ・パラダイス』と言ったところ。主演の宮沢りえが『たそがれ清兵衛』、『花よりもなほ』に続き、愛する男性を陰で支える献身的な女性を好演している。
<レビュー>録画して観た。
goo映画の解説にもあるが、浅田次郎という輩は「泣ける作家」として知られているようだ。
しかしこんなインチキ野郎の書いた話に泣ける訳もなかろう。
「鉄道員」ほど醜悪な映画ではないが、浅田何某の原作で本当に泣かせようと思っているのか、思っているならそれは直情的な単細胞の持ち主による極めて傲慢な暴力行為なのである。
とりあえず浅田何某のことは忘れよう。
余計な触れ込みも置いておこう。
映画として最も不満なのは、何故加瀬亮と宮沢りえに老人のメイクをさせぬのだ。
何故老人になった二人に代役を使うのだ。
加瀬亮の代役となった原田芳雄は名優である。だがそんなことはどうでもよろしい。
映画なんてしょせんインチキなんだから、若い俳優でも老けメイクをさせれば良いのだ。
そのぐらいの覚悟でやれと言いたい。
主役が老人になったからといって老人を使うのは、傲慢である。強権的である。
臭いものには蓋をしろという根性が気に入らぬ。
まじめにインチキをやれ。
そもそもインチキであること自体を分かっていないのだろうか。
制作陣は何を考えておるのだ。
言い過ぎた。
悪かった。
「ALWAYS三丁目の夕日」と同じく、昔を懐かしんで昭和ノスタルジーに癒されましょう路線の映画である。
ぼくは「ALWAYS三丁目の夕日」はどちらかと言えば擁護している。
だが、こちらはあんまりよろしくないと思う。
何故「ALWAYS三丁目の夕日」に惹かれるのかというと、あれはよく考えたらおかしな映画だからである。
あんな東京はありえない。まったくリアルじゃない。そこが良い。
VFXを過剰に取り入れて昭和を無理矢理再現させた結果、実はどこにもありそうにない異空間になってしまっているのである。
意図的ではないのかもしれないが、擬似的に、つまり嘘のノスタルジーを感じさせてしまう底意地の悪さというものが感じられて良いなあと思うのだ。
しかし、「オリヲン座からの招待状」の頭の悪さは如何ともし難い。
くだらない、意味のない、二番煎じはやめたまえ。もっと発展的に二番煎じをやりたまえ。
全て失敗しているよ。
言い過ぎた。
悪かった。
俳優は良い。
田口トモロヲは素晴らしかった。
★★★☆☆
頭痛薬があんまり効かない。
今日はまだまだ更新するよ。
観た映画の感想が溜まっているのです。
今回のエントリは溝口健二「雨月物語」。
<作品詳細・解説>
雨月物語(1953) - goo 映画
上田秋成の「雨月物語」九話のうち「蛇性の婬」「浅茅が宿」の二つを採って自由にアレンジした川口松太郎の小説(オール読物)を原型として、川口松太郎、依田義賢が共同脚色した。製作の永田雅一、企画の辻久一、共に「大仏開眼」のトップ・スタッフ。監督、撮影は「お遊さま」以来のコムビ溝口健二と宮川一夫である。早坂文雄、伊藤熹朔がそれぞれ音楽・美術面の総監督にあたり、風俗考証を甲斐荘楠音、舞及び謡曲の指導を観世流の小寺金七がする。キャストは「大仏開眼」の京マチ子、水戸光子、「煙突の見える場所」の田中絹代、「妖精は花の匂いがする」の森雅之などの他俳優座の小沢栄、青山杉作が出演する。
※ストーリーの結末が掲載されているので注意!
大正十一年春。--琵琶湖周辺に荒れくるう羽柴、柴田間の戦火をぬって、北近江の陶工源十郎はつくりためた焼物を捌きに旅に上った。従う眷族のうち妻宮木と子の源市は戦火を怖れて引返し、義弟の藤兵衛はその女房阿浜をすてて通りかかった羽柴勢にまぎれ入った。彼は侍分への出世を夢みていたのである。合戦間近の大溝城下で、源十郎はその陶器を数多注文した上臈風の美女にひかれる。彼女は朽木屋敷の若狭と名乗った。注文品を携えて屋敷を訪れた彼は、若狭と付添の老女から思いがけぬ饗応をうける。若狭のふと示す情熱。--もう彼はこの屋敷からのがれられなかった。一方、戦場のどさくさまぎれに兜首を拾った藤兵衛は、馬と家来持ちの侍に立身する。しかし街道の遊女宿で白首姿におちぶれた阿浜とめぐりあい、涙ながらに痛罵されてみれば、いい気持もしない。阿浜は自害した。日夜の悦楽から暫時足をぬいて町に出た源十郎は、一人の老僧に面ての死相を指摘される。若狭たちは織田信長に滅された朽木一族の死霊だったのである。老僧からもらった呪符をもって彼が帰りつくと、朽木屋敷には白骨だけがのこっていた。--源十郎はとぼとぼと妻子のまつ郷里へ歩をかえした。戦禍に荒れはてた北近江の村。かたぶいた草屋根の下に、彼は久方ぶりでやせおとろえた宮木と向いあう。しかし一夜が明けて、彼女も幻と消えうせた。宮木は源十郎と訣別以来、苦難に耐え、そして耐えきれずにすでにこの世を去っていたのである。--源十郎は爾後の半生、この二人の女を弔いつつ陶器つくりに精進した。その傍らには、立身の夢破れて帰村した義弟、藤兵衛の姿もあった。
<レビュー>溝口健二の映画を観たのはこれで三本目。
その三本に共通して言えるのは、女優の存在感が際立っているのである。
全て時代劇で、当然それは男尊女卑の時代なのだが、とにかく女性が美しく、逆説的に優位性がしめされている。
まさに女優の独壇場なのである。
まあ、それが意図に反した結果なのか、というか意図しているかどうかがそもそも三本観ただけでは分からないので考察はしないでおく。
ただ、「山椒大夫」「近松物語」「雨月物語」の三本は、圧倒的に女尊男卑であることが映画を美しいものたらしめるのだということをぼくに半ば確信させたという意義をもっている、ということは記しておかねばなるまい。
田中絹代は素晴らしい女優だ。
特別な美人ではない。
というより、いわゆる美人ではない。
けれども田中絹代はコンスタントに妖艶の領域に飛躍する。
それでいて普段は市井の一般主婦を、普通に、まったく無理なく演じることができる。
さらに、例えば杉村春子的なクソババア的醜悪さが注意深く取り除かれていて(ただし杉村春子のそれは彼女の武器)、まったく用意周到だと思う。というか、基本、清潔感がある。
つまり田中絹代は嫌われようがない女性なのだ。
共演者の京マチ子は、美人に加えて、妖艶である。
むしろ、妖艶というカテゴリーに限定してよいほどの絶対的な妖艶さを誇っている。
これはもう世界に誇れるだろう。
雨月物語の幽霊は、京マチ子以外にはつとまらない。
限定的な強さというのも、ひとつの魅力である。
ということで、これは女優を観る映画である。
溝口映画の特徴であるワンシーンワンショットはやや控え目な気がするが、流れるようなカットつなぎ、宮川一夫撮影による美しい画はまったくいつものように堪能することができる。
どう考えても一流の映画というしかない。
★★★★★
駿河シカヲです。
数日間頭痛が続いております。
今回の映画は、アルベール・ラモリス「赤い風船」です。
<公式HP>
http://ballon.cinemacafe.net/
<作品解説・あらすじ>
赤い風船 - goo 映画
1950年代、パリ。少年パスカルは、街灯に結ばれた赤い風船を見つける。よじ登って風船を手にすると、どうやらその風船には意思があるらしい。手を放してもパスカルになついて後をついてくる。ある日、パスカルと風船の仲の良さを妬んだいたずらっこ達が追いかけてきて…。
1956年のカンヌ国際映画祭でパルム・ドール(短編)を受賞、その後数々の映画賞に輝いた不朽の名作。アルベール・ラモリス監督の描き出す世界は、シンプルなストーリーとわずかな台詞によって構成されているのにも関わらず、映画が語りつくせる限りのものが詰まっている。(作品資料より)
<レビュー>ぼくは、どう考えても二十世紀の人間だ。
この先天寿をまっとうするまで生きたとしたら、二十一世紀のほうがよっぽど長くいたことになるのだが、
それでもやっぱり二十世紀の人間なのだと思う。
何故なら、二十一世紀が来る前までに、ぼくの人格形成が完成(終了)してしまったからだ。
今のところ、あれから何一つ自分は変わらない。
この先も変わりそうにない。
ぼくは二十世紀に作られた、二十世紀の人間だ。
少年時代にその後のあらゆる宿命が決定される。
少年と風船の寓話。
ほんの四十分足らずの映画である。
この映画が何より映画的なのは、赤い風船の動きがあまりに自然なために、それが意思をもっているものと錯覚し、ありえない話をありえない話に思わせないところである。
少年が風船とともにどこかへ飛んでゆくラストシーンには、泣く。
個人的なツボにハマったというのも確かにあるけれども、空を飛びたい人や、思春期に屋上でひとりになりたかった人、ビルから飛び降り自殺したかった人、現実から逃げたい人、いじめられっ子だった人などは、少なくともあの極めて刹那的でロマンチックなフィナーレに泣くしかないと思う。
少年が幸せかどうか、それはそれとして、少年のぼんやりとしているけれどもパチンと水を打った絵のように純粋な憧れを、象徴的かつスペクタクルに具現化し、最終的にラストシーンで集約、昇華してみせたアルベール・ラモリスの意匠に拍手を送りたい。
終わったあとに、すべてがあり得ない話であったことに気付かされ、やはり映画というものはインチキなものだと結論付ける。
その一連の流れが、何より映画的なものに触れたことを証明しているのだ。
だからこれは素晴らしい映画である。
ぼくは夢を観ていたのか。
ちなみに、ぼくが観たDVDは「白い馬」という短編と抱き合わせなのだが、「白い馬」のほうは観ていない。
何故なら、忙しかったり眠かったりで、あっという間にTSUTAYAのレンタル期間の一週間が来てしまったからである。
ぼくはTSUTAYAに延滞料金を取られたくなかった。
延滞料金が惜しくて、「白い馬」を観ずにDVDを返却してしまった。
ぼくの怠惰がそのような結果を招いてしまった。
レンタルした映画を観ずに返してしまうとは、映画ファンとして犯罪的な愚行であり、嗜好品を愛する素晴らしき貧乏人の鏡になりえないという一面をも証明してしまう行為なのである。
★★★★★
※向現・・・村上龍 「 五分後の世界」より
ごめんなさいね、あまり記事を書かなくて。
昨日は珍しく暇になったからアテクシカフェ巡りなんてしちゃったのよ。
それについて書こうかと思うわ。
アテクシってばこの雨の中5軒もカフェを梯子しちゃったのよ。
まず行ったのは無印のカフェね。
雰囲気はわりといい感じよね。料理も悪くなかったし。
ただ、全面禁煙なのよね。
アテクシ全く煙草は吸わないんだけど、全席禁煙とか大嫌いなのよね。
そこはビル内の一角だったからかもしれないけど、他はどうなのかしら。
でも無印なら全店禁煙な気がするわね。
次に行ったのは、キーコーヒーの看板が懐かしいカフェというより喫茶店ね。
アテクシ好きなのよね、そういうところ。懐かしい昭和を思い出すわ。
BGMなんてないの。女性の店主がテレビ見てるの。
途中、白い料理服来たおじさんが来てスポーツ新聞読みながら休憩してたわ。
カフェオレを頼んだんだけど、どういう原理かわからないけどコーヒーとミルクが味を相殺してて無味に近かったわ。
それでもいいの。アテクシ好きなのよ。
その次に行ったカフェは、セルフかと思ったら注文を受けに来るタイプだったのよ。
まぁアテクシ海外生活も長かったからセルフに抵抗はないんだけど、やっぱりどこもかしこもセルフっていうのも味気ないわよね。
カウンターも最近はないし。
まぁカウンターにお客をつけて、相手もできるバイトの子なんて多くないだろうし、やっぱり個人経営とかになっちゃうのかしらね。
そんなお店もシアトル系のカフェなんかに押されちゃってさみしいわ。
まぁそんなところね。
あとのカフェは特に書くことないの。
嫌煙者は死ねばいいのにとだけ書いて筆をおくことにするわ。
ごきげんよう。
夜中の12時から3時にかけて映画を観ることが多い。
近所を自転車で疾走している姿をよく目撃されている。
<マダム葵>
短期間でもの凄い本数の映画を観たりする。
夕方の花街でそそくさと歩く後姿を目撃されることがある。