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駿河シカヲとマダム葵による映画レビュー、書評、対談、コラム等のブログであります。 コメントやリンクはいつでも大歓迎でお待ちしております!
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2009.12.18,Fri
駿河シカヲです。
『エグザイル / 絆』に続いて、ジョニー・トーの『ザ・ミッション/非情の掟』を観ました。

<作品解説>
ザ・ミッション 非情の掟(2000) - goo 映画
香港電影金像賞をはじめ数々の賞を受賞し、日本でも2000年秋に開催された香港映画祭で絶大な支持を受けた傑作アクション。アンソニー・ウォン、フランシス・ンなど、欧米でも人気の実力派俳優が多数出演している。監督は「ヒーロー・ネバー・ダイ」のジョニー・トゥ。

<レビュー>
『エグザイル/絆』の完成度に驚き、さっそくジョニー・トーの他の作品を観ようとTSUTAYAに駆け込み、
この作品を手にしたのです。
ザ・ミッションはジョニー・トーが世界的に知られるようになった作品。
タイトルぐらいは聞いたことがあったような気がするが、ミッションと名のつく映画はたくさんあるわけで、
本当に知っていたかどうかは疑わしい。
いずれにせよぼくは香港ノワールに注目していなかったのだ。
『インファナル・アフェア』はたしかに面白かった。
思ったよりスタイリッシュでハリウッドでも全然いけると思った。
けれどもパート2、3と回を重ねるごとに尻すぼみになっていったために、最終的な印象は薄れてしまったのだ。
で、『エグザイル/絆』が去年から世間でやけに評判になり、遅ればせながら鑑賞し、衝撃を受け、
ごめんなさいごめんなさいと映画の神様に謝っているところなのです。

『エグザイル/絆』が贅沢モードでつくられたフルコースのディナーだとすれば、
『ザ・ミッション/非情の掟』は底知れぬ可能性を秘めた一品料理という感じ。
単純な面白さでは『エグザイル/絆』に軍配が上がるが、ヤバさでは『ザ・ミッション/非情の掟』に軍配が上がる。
とにかく両作とも年末に大きな大きなインパクトを残してくれた。

ハードボイルドの匂い、フィルムノワールの匂い、いかがわしいアジアの匂い、西部劇の匂い、など、本作にはいろいろな匂いがある。
それらの匂いをオリジナリティに昇華させてしまう力を持ったジョニー・トーは間違いなくシネフィルなのだろうが、タランティーノ的ではない。
タランティーノは映画が好きで好きで仕方がないという姿勢が見てとれるけれども、
ややオタク的な嗜好性がある。
すなわちマニアを喜ばせたい、メタ的な解釈で喜ばせたい、という部分があるのだ。
それは間違ってはいないけれども、例えば彼の変質狂的な過去映画の引用は細かすぎて、
彼よりも明らかに映画に詳しくないぼくなんかは一切無視して見ているのである。
で、全部はぎ取って根幹だけ見ると彼の映画は驚くほど映画的ではなかったりする。
一方ジョニー・トーの映画の撮り方は非常に映画的である。
何故かと考えて分かったのだが、彼はいろいろなジャンルの映画を撮っているのだ。
『ターンレフト、ターンライト』なんていうテレビドラマみたいなくっさいくっさい映画を撮っている。
つまり彼は職人なのだ。
作家主義を捨てている部分がある。

ぼくは北野武のマニアを自称している。
だから北野映画の影響を受けている作品を見るとそれに触れずにはいられない。
ジョニートーがキタノ映画を見ているのは間違いない。
まずガンアクションにおいて、静と動のコントラストからの突然の暴力、恐怖をうみだし、緊張感をあおる手法は、西部劇でもあるけれども、時代的に同じことをやっているのはキタノ映画である。

それから、紙屑をサッカーボールにして蹴りあうシーン。
会話ではなく、無言の『遊戯』を見せることによって、男たちのゆるぎない結束をこちらに分からせてしまうセンスもキタノ映画である。
気がつくとセリフがほとんどないのもキタノ映画。
つまり両者に共通するのは、映画を物語として見せるのではなく、画面の中の動作で見せてしまうという演出方法である。
本来映画はアクションなのだ。
これができる監督は絶対的に優れていると思う。

違う部分もある。
初期の北野武は映画の神から授かったセンスだけで作品をつくりあげてしまったけれども、
ジョニートーはいわゆる職人である。
セルジオレオーネというよりも、ハワードホークス的であるのだ。
実はそれって大きな違いなのである。
初期キタノ映画はただただ斬新な衝撃があったが、ジョニー・トーは過去の映画的記憶をズルズルっと引っ張りだされる快感があるのだ。

それから、細かい部分で言うと、キタノ映画はこれがリアリズムだと言わんばかりに撃たれたら即死するけれども、
ジョニー・トー映画は撃たれたあと、倒れるまで奇妙な「間」がある。
この奇妙な「間」には非常に映画的リアリティがあってゾクゾクした。
象徴的なのがクビになった気弱なボディーガードがボスをかばって撃たれるところ。
撃たれた後の数秒間の表情は滑稽で悲しくて切なくて怖い。
撃たれた、死ぬ、死ぬ、死ぬ・・・という、非情な「間」である。
映画にはこの数秒間のロスタイムがあって許されるのだ。
ある意味キタノもジョニー・トーもホラーである。
『死』に触れるときのセンスにはどちらも戦慄を覚える。

特典映像インタビューで、ジョニー・トーは「正直俳優は誰でも良い」と言っていた。
これには一つ言いたいことがあって、実はジョニートーは誰でも良いわけではないのだと思う。
それは深読みではないと断言できるのです。
「誰でも良い」と言う監督のもとで使われる俳優ほど分かっているのである。
実際エグザイルもザ・ミッションもほぼ同じ役者陣で固められている。
つまりジョニー・トー組があるのだ。
「誰でも良い」とのたまう監督に使われたい役者がそろっているのだと思う。
アンソニーウォンのインタビューがおそろしくかっこいい。
すべての答えがでている。
まさになんでも即興でとってしまう香港スタイルの矜持。
素晴らしい。拍手をおくりたい。
役になりきるだとか余計なことを考えずに、ただ画面に映ればよいのだ。
そこで動けばよいのだ。

最後に一つ。
この映画には大ファインプレーがある。
この映画のテーマソングには恐ろしいほどの殺傷能力があるのだ。
やたらチープな電子音で妙にクセいなるメロディーが延々繰り返されるのだが、
それが劇中くどいほど流れる。
元来音楽がずっと流れる映画は好きではないが、これは完全にアリ。

★★★★★
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駿河シカヲ & マダム葵
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ひたすらに映画
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映画
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<駿河シカヲ>
夜中の12時から3時にかけて映画を観ることが多い。
近所を自転車で疾走している姿をよく目撃されている。

<マダム葵>
短期間でもの凄い本数の映画を観たりする。
夕方の花街でそそくさと歩く後姿を目撃されることがある。
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