駿河シカヲです。
『となりのトトロ』を観ました。
<あらすじ・詳細>
となりのトトロ(1988) - goo 映画
田舎に引っ越してきた子供たちと、そこに住むオバケたちの心のふれあいを描くアニメ。原作・脚本・監督は「天空の城ラピュタ」の宮崎駿で、作画監督は佐藤好春がそれぞれ担当。
小学3年生のサツキと5歳になるメイは、お父さんと一緒に都会から田舎の一軒屋にと引っ越してきた。それは退院が近い入院中のお母さんを、空気のきれいな家で迎えるためだった。近くの農家の少年カンタに「オバケ屋敷!」と脅かされたが、事実、その家で最初に二人を迎えたのは、“ススワタリ"というオバケだった。ある日、メイは庭で2匹の不思議な生き物に出会った。それはトトロというオバケで、メイが後をつけると森の奥では、さらに大きなトトロが眠っていた。そして、メイは大喜びで、サツキとお父さんにトトロと会ったことを話して聞かせるのだった。一家が新しい家に馴染んだころ、サツキもトトロに遭遇した。雨の日の夕方、サツキが傘を持ってバス亭までお父さんを迎えに行くと、いつの間にか隣でトトロもバスを待っていた。しばらくするとオバケたちを乗せて飛び回る大きな猫バスがやって来て、トトロはそれに乗って去って行った。サツキとメイはトトロにもらったドングリの美を庭に蒔いた。その実はなかなか芽を出さなかったが、ある風の強い晩にトトロたちがやって来て一瞬のうちに大木に成長させてしまった。お母さんの退院が少し延びて、お父さんが仕事、サツキが学校に出かけた日、メイは淋しくなって一人で山の向こうの病院を訪ねようとするが、途中で道に迷ってしまった。サツキは村の人たちとメイを探すが見つからないので、お父さんに病院に行ってもらい、トトロにも助けを求めた。トトロはすぐに猫バスを呼び、不思議な力でたちどころにメイのいる場所へ連れていってくれた。そして、さらに猫バスは二人を、山の向こうの病院までひとっ飛びで運んでくれた。窓から病室をのぞくと明るく笑うお父さんとお母さんの顔があった。二人はお土産のとうもろこしを窓際に置き、一足先に家に帰るのだった。
<レビュー>
おなじみの『となりのトトロ』です。
大分久し振りに観たら、泣いてしまったよ。
しかも号泣だよ。
後半からずっと泣いていたよ。
ぼくが大人になったからなんだろうね。
言うことないですよ。
子供の頃から見ているから、
今更細かいことが判断できません。
サツキ、本当によく出来た子。
メイ、本当にかわいらしい。
父さん、本当にド素人。
母さん、本当に優しい。
ばあちゃん、本当によく出てくる。
カンタ、本当によくいる。
★★★★★
マイコー・ジャクソンをこよなく愛するマダムに誘われてTHIS IS ITを観にゆきました。
さっそくマダムが愛情のこもったレビューしてくれまして、だいたいのことを言ってくれたとおもうのですが、ぼくも一応感想を述べておきます。
<作品解説・紹介>
マイケル・ジャクソン THIS IS IT - goo 映画
2009年6月25日に急逝した“キング・オブ・ポップ”マイケル・ジャクソン。本作は、ロンドンで実施予定だったコンサート「THIS IS IT」の何百時間にも及ぶリハーサルとビハインド・ザ・シーンの映像を、『ハイスクール・ミュージカル/ザ・ムービー』の監督・振り付けのケニー・オルテガが、死の直前までマイケルが行っていた猛特訓風景とその素顔を収めた貴重な映像の数々を基に構成。あたかも観客が、実現されなかったロンドンコンサートの最前列にいるかのような臨場感溢れる仕上がりになっている。また、舞台上の振り付けから照明、美術、ステージの背景となるビデオ映像の細部にいたるまで、マイケルのステージに対する深いこだわりが感じられる。(作品資料より)
<レビュー>
今回に限っては、映画的にどうよってかんじで検証するのは非常にくだらないですね。
ただし一応、一点だけ言っておきましょう。
スムースクリミナルのクリップで、
ハワード・ホークス監督「三つ数えろ」のクライマックスシーンの引用がありました。
それは嬉しかった。
ハンフリー・ボガートの顔は長いと思います。
引用は「三つ数えろ」だけじゃなかったけどよく分からなかったです。
まあとにかく、偶然にしろ何にしろ、映画の引用があのドキュメンタリーの中にうつりこんでしまっているというのは、映画的記憶の連鎖であり、『THIS IS IT』は映画の系譜に組み込まれていると判断しよう。
映画的彼是で語るのは、以上。
まあなんでしょうねえ。凄いですねマイケルさん。
完璧主義者と言われる彼のことですから、
生前ならまず映像公開を了承しないであろうリハ映像なんで、
いつもより素のマイケルさんを見ることができるんですが、
その素のなかに圧倒的なポテンシャルを私は見ました。
いや素だからこそ分かったんです。
つまり、パブリックイメージのマイケル、完璧主義のマイケルが完璧に自己演出したマイケルは、悪く言えばただのマイケルジャクソンなわけです。
それは、たとえば幼いころから聴きすぎていてビートルズの曲の良さが分からなくなっている感覚と同じですね。
ところが、マイコ―の適当なハミングやら口ベースやら、そういったいつもは見られないマイコ―を見てしまったとき、「ああ、やっぱりマイケルは凄い」ということに気づくわけです。
日本一マイケルに詳しい男、ノーナリーヴス西寺郷太さん曰く、完璧主義者のマイケルは実は自分を表現するのが下手だ、ということです。
要はそういうことなんでしょう。
完璧にハイブリッドにカスタマイズされたものしか提示できないというのは、
自己演出として貧弱なのかもしれません。
単純に人間同士のコミュニケーションレベルで考えると、
ところどころ弱さを垣間見せながらも芯の強い部分をチラチラ相手に見せてゆける人間こそが、
世渡り上手のひな形ですからね。
マイケルはそれができなかったんですね。
弱いところを見せたくなかったんですね。
これが逆にもったいない。
なにげない仕草、例えばミュージシャンだったら飲み会なんかで冗談半分にアコギで適当に弾き語りしたときに「あ、こいつやっぱスゲー!」ってなるようなことですよ。
マイケルにそれができれば良いけれど、でもそんなのはマイコ―じゃないでしょう!
二次会のカラオケで歌うマイコーなんて絶対に想像できないでしょう。
つい最近知ったんですが、いや、昔マダムが言ってたような気もするんですが、
マイケルが公式に発表した生映像ってライブ・イン・ブカレストしかないみたいですね。
あとはPVだけらしいのです。
これだけのキャリアで、ですよ。
しかも歌って踊って、つまりステージで魅せるエンターテイナータイプの最高峰の彼がですよ。
これは非常に驚きです。
そんな彼の、完璧主義者の彼の、
リハ映像ですからね、考えれば考えるほどに貴重ですね。
ただ、今の『貴重』というのはおそらくファン目線です。
でもそういった蔵出し映像的な部分は、観ていてほとんど感じなかったのは、
やっぱりおそらくマイケル・ジャクソンという人のうたう歌の素晴らしさなんでしょうよ。
単純に見ていて惹きこまれるっていう、それに尽きるのでしょう。
そして最後に。
THIS IS ITは良い曲でした。
そして私の最も好きな Man In The Mirrorは掛け値なしの名曲です。
フィナーレのスローモーションで私は泣きそうになりました。
★★★★★
"THIS IS IT"を観てきたわ。
アテシMichaelのことを心の底から愛してるのよ。
まぁ、さらっと書いてくわね。
アテシ、このブログに書いた映画を観てほしいなんて思ったことはないんだけど、この映画だけは別よ。
観た方がいいわ。もうステージに立つMichaelを見ることはないし、今後大スクリーンで見る機会もそうないでしょうしね。
もうホントはそれだけ言って終わりにして、後は皆が実際に観てくれればいいんだけど、ちょっとだけ感想を書いていくわ。
もうね、最初の"Wanna Be Startin'"のイントロで鳥肌が立って以降、もうほぼ身動きもせず2時間画面に釘付けよ。
ただ、やっぱりリハーサルなのよね。完全に流していたわ。歌もダンスも。
正直その流してるレベルでもトップアーティストとしてやっていける技量なんだけど。
アドリブはほぼ癖の動きで、彼の一番魅力的なパワフルなダンスは見られなかったわ。
でも、歌は本気じゃないと言っても、キーを下げずに20代の頃のように艶やかな声だったわね。
前回のツアー、13年前のヒストリーツアーではあんまり歌っていなかったし、体調がよくなかったっていうのもあるけど、年齢的などうしようもないものもあるのだろうなぁと思っていたのに、これよ。
劇中の彼の言葉に、オリジナルと同じようにやらないとダメなんだ、っていうのがあって、彼は物心ついた頃から見せる側だったのに、見る人が何を求めているのかちゃんとわかっているんだと思ったけれど、50歳でこの歌声というのは、彼は完全に本気ってことよ。
ダンスにしてもそう。このブランク時、体調のことや、痛み止めの薬漬けのことがあって心配されていたけど世界中から集められた一流の若いダンサーに混じって、全く遜色ないどころか一番目を惹いたわ。ステージ構成といい、完全に本気でかつてないほどのステージを作り上げようとしていたわね。かつてないっていうのは今までの彼のステージだけの話じゃないわよ。もし一回でもこの公演をやることができたら、今までも、今後も、それを越えるステージなんて現れないでしょうね。
それが大げさじゃなく、このリハーサル映像から伝わったわ。
やっぱりリハーサルだから抑えているし、シャウトは聞けなかったけど、やっぱり最高の歌手ね。
そう、彼はダンサー以前に歌手なのよね。
アテシ、Michael=ダンスみたいな風潮があんまり好きじゃないのよ。
まぁいいわ。
軽く書くつもりだったのにどうしても長くなっちゃうわね。
彼と共にステージに立つダンサーなんかも、他の有名人のバックダンサーや演奏者なんかは、この人と一緒にやれて光栄ですなんて言っていながら自分のキャリア、ステップアップのための足がかり、みたいな空気を感じることが多いんだけど、それとは違って本気で「彼とやる」っていうことを望んでいる感じよね。
キャリア以前にそこが彼らの最終地点っていうくらいの空気を感じたわ。
そうね、まだまだ書きたいことあるけど、いったんやめておくわ。
アテシまた見に行くつもりだし。
ぜひ見たほうがいいわよ。
本当に。
あ、ちなみにアテシ、シカヲちゃんと見に行ったのよ。
アテシ彼の感想も読んでみたいわ。
葵姐さんからメールが来ました。
「トロリちゃん、アテシ『トマトケチャップ皇帝』のこと書こうかと思ったんだけど、あの映画ってむしろあなた書いた方がいいんじゃないかしら。どう?」
という感じでですね、じゃあってんで書きますってことで今書いてるわけです。
さて『トマトケチャップ皇帝』。これはすごいです。
あのですね、僕はロリコンなんですけど、一方では少年がエロイ体験をするというシチュエーションに興奮するのです。
というかですね、エロス的興奮でいえばそっちの方が興奮します。
まぁその手の映画といったらシルビア・クリステルの『個人授業』とか、『子供は何でも知っている』だとか『おっぱいとお月さま』とか『好奇心(原題"Le Souffle au Coeur")』とか、以前に葵姐さんが書いた『思春の森』なんかもそうですね。
で、『トマトケチャップ皇帝』です。これは寺山修司氏による1971年の作品です。
知っている人も多いとは思いますが、要は子供が皇帝になったらどうなるかって話です。
設定があるだけでストーリーなんて特にないんですけどね。
子供の欲望のままの世界です。気に入らない大人は容赦なく処刑されます。
欲求はストレートかつ公平に剥き出されてます。
エロスです。落ちも特にないです。
まぁストーリーもあってないようなものだし、映像を見て楽しむ映画なんでもう特に言うことないんですね。
まぁこの映画見ようと思ってもなかなか見れないと思うんですけど、どれくらいすごいのかっていうのをちょっと画像で乗せてみようかと思うのです。エロス関係の部分で。
では"More..."をクリックしてください。画像を載せときます。
みなさんは先日のゴールデンで放送された『たそがれ清兵衛』は観ましたかい。
ぼくは録画しておきました。
そんでさっき観ました。
他のレビューはほったらかしにしておいて、覚えているうちに感想をメモします。
<公式HP>
http://www.shochiku.co.jp/movie/seibei/
<作品解説・詳細>
たそがれ清兵衛(2002) - goo 映画
殺伐とした幕末の世、子持ちの寡男である下級武士の生き様を描いた時代劇。監督は「十五才 学校・」の山田洋次。藤沢周平の3つの短篇を基に、山田監督と「釣りバカ日誌13」の朝間義隆が共同で脚色。撮影を「親分はイエス様」の長沼六男が担当している。主演は、「助太刀屋助六」の真田広之と「うつつ UTUTU」の宮沢りえ。第76回本誌日本映画ベスト・テン第1位、日本映画監督賞、日本映画主演男優賞(真田広之)、日本映画主演女優賞(宮沢りえ)、日本映画新人男優賞(田中泯)、日本映画脚本賞受賞ほか国内の数々の賞を独占するほか、2003年アカデミー賞外国映画賞にもノミネートされた。他の受賞は、第53回ベルリン国際映画祭出品、第26回日本アカデミー賞最優秀作品賞、最優秀監督賞、最優秀主演男優賞(真田広之)、最優秀主演女優賞(宮沢りえ)、最優秀助演男優賞(田中泯)、最優秀脚本賞、最優秀撮影賞、最優秀照明賞、最優秀編集賞、最優秀録音賞、最優秀美術賞、最優秀音楽賞、新人俳優賞(田中泯)、優秀助演男優賞(小林稔侍)、優秀助演女優賞(岸惠子)受賞、第57回毎日映画コンクール日本映画大賞、男優主演賞(真田広之)、女優助演賞(宮沢りえ)、撮影賞、録音賞、技術賞(中岡源権)受賞、第45回ブルーリボン賞作品賞、助演女優賞(宮沢りえ)受賞、第27回報知映画賞作品賞、監督賞、主演女優賞(宮沢りえ)受賞、第15回日刊スポーツ映画大賞作品賞、監督賞、主演男優賞(真田広之)、助演女優賞(宮沢りえ)受賞、日本映画ペンクラブ賞会員選出ベスト5日本映画第1位、第24回ヨコハマ映画祭日本映画ベストテン第3位、平成十四年度文化庁映画芸術振興事業作品。
幕末、庄内・海坂藩の下級藩士・井口清兵衛は、妻に先立たれた後、幼いふたりの娘と年老いた母の世話、そして借金返済の内職の為に、御蔵役の勤めを終えるとすぐに帰宅することから、仲間から"たそがれ清兵衛“とあだ名されていた。ある日、かつて想いを寄せていた幼なじみで、酒乱の夫・甲田に離縁された朋江の危難を救ったことから、剣の腕が立つことを知られた彼は、藩命により上意討ちの手に選ばれてしまう。秘めていた想いを朋江に打ち明け、一刀流の剣客・余吾の屋敷を訪れた清兵衛は、壮絶な戦いの末に余吾を倒す。その後、朋江と再婚した清兵衛。だが仕合わせも束の間、彼は戊辰戦争で命を落とすのだった。
<レビュー>
だいたい山田洋次なんてのは、過大評価されすぎなダメ監督なんですよ。
堤幸彦よりは100倍マシですがね。
いままで観てきた山田氏の有名な作品、寅さんしかり、幸福の黄色いハンカチしかり、学校しかり、とにかく演出が平板でつまらないんです。
まあ、寅さんシリーズはなんだかんだ観てしまうのですがね。
しかし、この映画は本当によくやりました。
実はもうこれを観るのは三回目なんですが、まあ何度観ても感心するわけです。
別に世間の人が言うように泣きはしないですけどね。
話の内容も別に感動しないんですがね。
正直2000年代の山田洋次先生の作品は結構良く出来ています。
ただ、『母べえ』だけはどうしても観る気になれないので一生観ないと思いますがね。
まあとにかく、時代劇になると結構おもしろいじゃんっていう感じで、山田先生を見直しているわけです。
まず、この作品で最も素晴らしいのが何と言っても主役の真田広之です。
彼のアクションは主役級日本人俳優ではぶっちぎりでナンバー1ですね。
まず彼をたそがれ清兵衛役に配した時点で、良い殺陣を撮る下地ができているわけです。
しかし演出の下手くそな山田監督がそれをだいなしにしてしまう可能性があるわけですが、
今回は非常に良い。
まずなんといっても光の演出が良い。
全体的に暗いのが正解です。
あの暗さの中で、いろんなものが浮かび上がってくるわけです。
こちらはなんだなんだ?と惹きつけられるのです。
暗いところからモヤ~っと浮かび上がってくる田中泯の顔なんてもう最高ですね。
分かってますね。
『地獄の黙示録』のカーツ大佐(マーロン・ブランド)のときもあんなんだったけど、あのときのマーロンブランドはクソだから、まあ、こっちのほうが好きです。
いや、全体的には『地獄の黙示録』のほうが好きだけど、カーツ大佐のときのマーロン・ブランドより田中泯のほうがぼくは好きです。まあ、それだってドン・コルレオーネのときのマーロン・ブランドはもっと凄いんだけど。
田中泯と真田広之の決闘シーンは見モノです。
でもこれは後々まで語り継がれる有名なシーンだろうし、既にいろんなところで論じられているってことで今回は割愛。
面倒くさいだけなんだけどね。眠いから。
まあでもここのシーンは必見です。ここだけでも観て損はないでしょう。
宮沢りえは美しいですね。
所作も見事です。
言うことないでしょう。
ちなみに『武士の一分』の壇れいも同じく美しいです。
ヒロインがバッチリだと、やっぱり観ていて気持ちが良いですね。
眠くならないですね。
『隠し剣 鬼の爪』の松たか子は、やっぱり宮沢りえと壇れいと比べると全然敵わなかったですね。
それだけにあの作品は残念です。
あと何が言いたいのだったか。
忘れちゃったな。
ああそうだ。
田中泯が真田広之に斬られたあとの、地獄の演技は凄いです。
前衛舞踏家の本領発揮です。
あれは圧倒されます。
黒澤明『乱』の仲代達矢やピーターを思い出したけれども、考えたらあんなのは比ではないですな。
いや、『乱』のほうが面白いけど。
★★★★☆
ロベルト・ロッセリーニ監督「ドイツ零年」を観ました。
<作品解説・詳細>
ドイツ零年(1948) - goo 映画
「無防備都市」のロベルト・ロッセリーニが「戦火のかなた」についでベルリン・ロケした一九四八年作品。同年ロカルノ国際映画祭に入賞した。ロッセリーニ自身のオリジナル脚本から、彼とカルロ・リッツァーニ、マックス・コルペットが脚色している。撮影はロベール・ジュイヤール、音楽は「戦火のかなた」のレンツォ・ロッセリーニ。出演者はすべて無名の素人俳優で、エドムンド・メシュケの少年を中心に、エルンスト・ピットシャウ、インゲトラウト・ヒンツ、フランツ・クリューゲル、エーリッヒ・ギュネらが共演する。なお本作品はイタリア語版で、その監修にはセルジオ・アミディが当っている。
※ストーリーの結末が記載されているので注意して下さい。
第二次大戦直後のベルリンは、全く廃虚に等しい街であった。焼けるビルの一角に追いつめられているケーレル一家では、父(エルンスト・ピットシャウ)は回復の望みのない病床で死にたい死にたいと家族を手こずらし、娘エヴァ(インゲトラウト・ヒンツ)はひそかに夜のキャバレに出かけては外人と交際して家計を助け、長男のカール・ハインツ(フランツ・クリューゲル)はナチ党員の生き残りで、警察の眼を逃れて家でごろごろしていた。そして末子のエドムンド(エドムンド・メシュケ)は、敗戦以来小学校にも通わず、街で物品の交換をしたり、元の小学校教員で今は闇屋をしている男(エーリッヒ・ギュネ)の手先となって、ヒットラーの演説レコードをアメリカ兵に売ったりしていた。父親の病状は悪化し、医者の骨折りでやっと慈善病院に入院出来たが、一家の貧乏はいよいよつのった。エドムンドは再び旧師をたずね仕事をねだったが、今度ははねつけられ、今の世に弱い者はむしろ死ぬべきだとさえ言われた。父は退院し、ぐうたらなカール・ハインツと口汚くののしり合う日がつづいた。エドムンドはついに或夜茶の中に劇薬を入れて父にのませた。戸別調査に来た巡査に兄はひかれて行き、その騒ぎにエドムンドは家を飛出した。翌朝旧師に父殺しを告げると、彼は仰天してなす所を知らず、絶望したエドムンドはひとり廃虚をさまよい歩いた末、焼けビルの上から父の柩が墓地に運ばれていくのを見下しつつ、下の街路に身を投げた。
<レビュー>21世紀の映画はスピード感がある。テンポが速くてカット割りも細かい。
そういうのに慣れているものだから、子供のころ、凄くテンポが速くてわくわくしてジェットコースターみたいで面白かったなあって記憶がある作品を今になって見直すと、意外なほど遅いことに驚いたりすることがあったりする。
第二次大戦後の荒廃したヨーロッパで撮られたこの映画のスピード感は、最近の映画のスピード感とは違う類のものである。
実際は速くないのに速く見えるのは一体何故なのか。
これはいわばロッテの成瀬やソフトバンクの杉内・和田などのストレートである。
実際は140キロぐらいなのに、バッターにしてみると150キロ以上に感じるというやつである。
出どころの見えない投げ方をする左腕の投手に多い。
まあそれはいいとして、この作品のが早急に思えるのは、メッセージを伝えようとする迫力、あの異様な迫力に圧倒されたからなのだろうか。
映画というものはつくづく恐ろしいものだ。
そう感じた。
ただし、やはり今回も、ネオレアリズモに対する、現代に生きる私の接し方が分からない。
「無防備都市」を観たとき、ネオレアリズモ云々より、ただただ質の高い映画だと感じた。
ドキュメンタリー的な部分が強いのかと思いきや、意外なほどドラマツルギーがしっかりなされていた。
それはこの作品も同じで、話がちゃんとしている。
ヌーヴェルヴァーグの映画よりもよっぽど分かりやすい。
冒頭のナレーションでまず、子供の人権がどうのこうの語られる。
はじめにテーマがなんとなく提示されてしまう映画がぼくは好きではない。
ミスチル的な何かを感じてしまう。
あの北京五輪の曲ありますね。
「一番きれいな色ってなんだろう?一番光ってるものってなんだろう?」ですか、あの問いかけを聴いた瞬間に、ああこの人達の(最近の)音楽は本当に苦手だなあと思ってしまうのです。
で、この映画は冒頭で何やかんやとオラオラと高らかにイデオロギー云々を語りだすのです。
まあ普段のぼくならばそこでじんましんがでる勢いで拒否ってしまうのだが、昔の白黒映画の、しかも第二次大戦直後のまだ復興していないドイツの危機的状況下で語られる臨場感、独特なヒリヒリする感覚があったりして、逆に気持ちが盛り上がったことは事実である。
ただああやってイデオロギー云々を語られてしまうと、ネオレアリズモにも、教条主義的な縛りがあったりするんじゃないだろうかと変に勘繰ってしまう。
それが正しいか正しくないかは別にして、そう思ってしまったことが残念。
社会性が強い映画は苦手ではあるけれども、映画は常に社会性と切り離せない関係にあるのだろう。
仕方がない。
これは時代、社会の過激さが反映されすぎた哀しい映画である。
そして大変貴重である。
社会的でない映画は、おそらくひとつも無い。時代劇であろうと、SFであろうと。
社会的でない映画がもしあったとすれば、それはきっと映画ではないんだな。
なにもオリバー・ストーンやスパイク・リーや若松孝二みたいなのが良いって言っているわけではないのだけれども。
ラスト間際、非常に美しいシーンがあります。
荒廃した町をさまよう少年。
ふいにパイプオルガンの響き。
教会から流れている音楽なのです。
曲はゲオルク・フリードリヒ・ヘンデルの「ラルゴ」です。
クラシックで私が最も好きな曲です。
ここでもう少し余韻が続いて欲しいところで、音楽がぶつ切りになります。
音楽があと三十秒続いていたら、私は泣いたでしょう。
でも、ぶつ切りで良かった。
あの、少年があてもなくさまよい続けるくだりの断片をひろい集めるようなカット割りが素晴らしい。
http://www.youtube.com/watch?v=P-kS8tNAvJM&feature=related
ヘンデルの「ラルゴ」という名前は速度記号のひとつであって、「オンブラ・マイ・フ」というのが本当の曲名です。「懐かしい木陰よ」という意味だそうな。
Ombra mai fù |
こんな木陰は 今まで決してなかった― |
よく考えると、少年の短い生涯で、最期に聴いた音楽がラルゴだったこと、それだけは幸せだったような。
でも絶望はそんなものを超越しますからね。
自殺したわけですから。
少年は100%不幸でした。
★★★★★
塩田明彦監督『どろろ』を観ました。
<公式HP>
http://www.dororo.jp/
<作品解説・詳細>
どろろ - goo 映画
戦乱の世で天下統一の野望を抱く武将・醍醐景光は四十八体の魔物から強大な力を与えられるが、その見返りに生まれくる我が子を捧げた。やがて体の四十八ヶ所を奪われて生まれた赤子は捨てられ、呪医師・寿海の秘術によって救われる。身を守るため左腕に仕込まれた妖刀と同じ百鬼丸と名付けられた子どもは成長し、魔物を一匹倒すごとに体の部位が1つずつ戻る定めなのだと知る。魔物退治の旅に出た百鬼丸は野盗・どろろと出会う…。
百鬼丸もどろろも、戦の絶えない非情な世界で生き延びるためにやむを得ず仮の姿でいることを余儀なくされている。奪われた体の四十八ヶ所を取り戻すまで、あるいは本当の男に出会うまで本来の自分自身にはなれないのだ。巨匠・手塚治虫の原作漫画の世界を映像化するために、ニュージーランド・ロケを敢行して誕生したこのスペクタクルな活劇は、次々に襲いかかる魑魅魍魎も、妻夫木聡扮する百鬼丸が体の部位を再生させる毎に悶え苦しむ様も巧みに活写し、さらにスピード感溢れるアクションで魅せる。『HERO』『LOVERS』の辣腕チン・シウトンのアクション指導の下、全身でどろろを演じた柴咲コウの役者魂に拍手を。
<レビュー>
多分駄作なんだろうなあと、観る前に思っていた。
日本で大型予算の元に作られた映画はスベるというこのところの方程式にぴったりあてはまる映画なんだろうと思っていた。
まあ監督が堤幸彦だったら観ようとも思わないんだけれども、私の好きな塩田明彦が監督しているという一点に奇跡を託し、今回観るにいたったわけである。
ただやっぱり駄目だった。
駄作だった。
どうしようもない作品だった。
一応ドラマは濃い。
「失われた身体のパーツを回復するために旅にでる」という設定は興味深い(しかし手塚先生はなかなかグロいことを考えるね)。
でもその他何もかもが駄目で、やはり観るべきではなかったと後悔している。
昔の塩田明彦は面白かった。
『どこまでもいこう』『月光の囁き』『害虫』はまごうかたなき傑作である。
特に私のなかで『害虫』は人生の十本にはいる作品である。
また、『ギプス』というフェティッシュな作品も大変印象的な作品だった。
しかし、メジャーな作品を撮るようになってから、つまり『黄泉がえり』の頃からスベリだした。
『黄泉がえり』はまだ良かった。
一見すると、いわば「泣ける映画」に属するのだが、じつは「泣ける映画」という仮面をかぶった異常映画だからである。
通俗的なカリスマアーティストが山の上(阿蘇?)に大勢の人間を集めて、通俗的なカリスマっぽい曲を歌ってわけのわからない大団円をむかえるという、あの流れはカオスである。
素直に感動できないが、考えようによっては素晴らしい。
また、犬童一心の脚本も塩田明彦の演出も実験的かつ分かりやすく、質が高かったように思う。
続く『この胸いっぱいの愛を』は完全にスベっていた。
ただし、まああれは『黄泉がえり』のような形式のプロットをもう少し大胆かつ緻密にやろうとして失敗したのだろう。
で、その次の『カナリア』ではちょっと持ち直した感があった。
冒頭の、少年少女が出会うシーンは、本当にさわやかできらめいていて、あのシーンだけなら傑作と言える。
後半、少年の髪の毛がわざとらしく真白になるシーンには面食らったけれども、ああいうフィクションを無理やりに、そしてあっさりとねじ込んでしまう姿勢は良いと思った。
だが、やっぱりぼくが好きだったころの塩田明彦の作品からだんだんクオリティが下がっているような気はした。
そして今回の『どろろ』はもうちょっとついてゆけない。
メジャーにいってから、かえって実験的になっているような気がしなくもないところは流石だとは思うが、
ここでもう一度メジャーから下野して、低予算で個人的な作品を作って欲しい。
具体的に何がだめだったのか、いっさいここで語っていないが、
まあそれはもう面倒なので割愛します。
それが一番大事なのに。
★★★☆☆
アルドリッチ監督の「特攻大作戦」です。
鉄板でした。
<作品詳細・解説>
特攻大作戦(1967) - goo 映画
E・M・ナサンソンのベストセラー小説を「怒りの葡萄」のナナリー・ジョンソンと、「ふるえて眠れ」のルーカス・ヘラーが共同で脚色、「飛べ!フェニックス」のロバート・アルドリッチが監督した戦争もの。撮影は「カーツーム」のエドワード・スケイフ、音楽は「テキサス」のフランク・デヴォールが担当。出演は「プロフェッショナル」のリー・マーヴィン、「オスカー(1966)」のアーネスト・ボーグナイン、「バルジ大作戦」のチャールズ・ブロンソン、「リオ・コンチョス」のジム・ブラウンほか。製作は「丘」のケネス・ハイマン。
1944年3月、大陸侵攻を間近に控えたある日、アメリカ軍のジョン・ライスマン少佐(リー・マーヴィン)は「特赦作戦」と呼ばれる奇妙な作戦命令を受けた。特赦作戦というのは、死刑あるいは長期の刑を宣告され服役中の元兵隊12人を選び出し、徹底的に鍛え、ヨーロッパ大陸侵攻直前にノルマンディーの敵前線背後に送りこんで攻撃するというものである。間もなくライスマンは選ばれた12人の極悪人と向かいあったのだが、どれも一筋縄ではいきそうもなく困難が予想された。6月に入り大陸侵攻の矢はまさに放たれようとしたいた。ライスマンのキャンプでは、彼やボウレン軍曹の容赦ない訓練が実を結び、12人の男たちは1団となって考えたり行動するようになっていた。軍首脳部の間には、この「特赦作戦」に対する強い不信と反対があったが、ワーデン将軍(アーネスト・ボーグナイン)は、反対意見をおさえ、その作戦を実行に移した。12人が攻撃する特定目標は、広大な林に囲まれた豪壮なフランス人の館であった。その館には週末になるとドイツ軍上級将校たちが、夫人や愛人をともなって集まったから、彼らを壊滅させれば、ノルマンディーの壁は容易に破れるのだった。闇にまぎれてドーバー海峡を越えたライスマン、ボウレン以下14人は、パラシュートで目ざす館へ降り立った。「特赦作戦」による奇襲は明らかに成功であった。これによってドイツ軍の指揮は乱れ、統一を失い、かくて連合軍はノルマンディーに上陸したのだった。そしてワーデン将軍は、「汚れた12人」と呼ばれる元軍人たちの功績を認め、彼らを以前の階級において任務に戻ることを進言したのだった。
<レビュー>
正直、疲れて書く気にならないのですが、
まあ一応なんとか記しておきます。
素晴らしい映画です。
キャラクターの際立ち具合、
戦争シーンの緊張感、
どれをとってもアルドリッチのエンターテイメントの手腕が凄いってことがわかります。
是非観てください。
映画ってこういうものです。
強いて言えば女性がほとんど出てこないことが不満かな。
リー・マービンといいアーネスト・ボーグナインといい、そしてチャールズ・ブロンソンといい、
男臭いことこの上ないです。
でも戦争ものに女性はいらないんですがね。
むしろ邪魔なんですがね。
ただ、そもそもアルドリッチの映画には女性がほとんどでてこないようです。
飛べ!フェニックスには一切でてきませんでした。
ちなみに彼の遺作が「カリフォルニア・ドールズ」という女子プロレスの映画。
女性が撮れない映画監督というレッテルが気に入らなかったようですね。
戦争映画って反戦を訴えるようなメッセージがうっとおしいですね。
でもこの映画にはほとんどそんな描写がでてこない。
終わり方も非常にあっさりしている。
最初から最後まで気持ちが良い。
女々しい部分が一切ありません。
★★★★★
やや久しぶりです。
やや放置していました。
これから怒涛の更新をしてゆきたいと思います。
駿河シカヲです。
再びラピュタを観ました。
今回はgoo映画ではなくwikipediaのリンクを貼っておきます。
なかなか興味深い記述もあるので、チェックしてみるといいかもしれないよ。
<wikipedia>
ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%A9%E7%A9%BA%E3%81%AE%E5%9F%8E%E3%83%A9%E3%83%94%E3%83%A5%E3%82%BF
<レビュー>
なんと早急なアクションなのだ。
徹頭徹尾ドタバタしている。
飯を食うのもはやいし、
ほとんど寝ないし、
生き急いでいるとしか思えぬ。
ドーラは言う。
「40秒で支度しな」
「グズは嫌いだよ」
「泣きごとなんか聞きたくないね」
君は40秒で支度できるか。
私には無理だ。
ヒーローの資格はない。
ムスカでさえもこう言う。
「三分間だけ待ってやる」
まるでこれは私に言っているのか。
私は40秒で支度できない。
私はグズである。
私は泣きごとばかり言っている。
私は三分間待ってもらっても何も思いつかないし何もなしえない。
したがってドーラはもちろんのこと、
私はパズーにはなれない。
しかし、ドーラはこんなことも言っているのである。
「静かすぎる・・・こういうときは動かないほうがいい」
つまり、基本的には「疾きこと風の如く」なんだけど、場合によっては「動かざること山の如し」なんだね。
私は年中動かざること山の如しですよ。
結局私は天空の城ラピュタの夢を見ているんですな。
憧れているんです。
無茶苦茶にやってみたいけれども、面倒くさいしね。
こうやって一生終えるんだろうね。
凹む。
まあ、私は貝になりたいんですがね。
無理にラピュタに参加するとしたら、
ポム爺さんぐらいですかね。
半世紀後、私は半分ボケた浮浪者になっているのです。
ぼろぼろのギターをひきずって歩いているのです。
公園の草むらで青姦する若い男女をみてこう言うのです。
「小鬼じゃ。小鬼がおる。それに女の子の小鬼までおる」
なんだか怖くなってきたので、このぐらいにしておこう。
駿河シカヲ
ジョン・スタージェス監督「大脱走」を観ました。
なんとも贅沢な作品です。
<作品解説・詳細>
大脱走(1963) - goo 映画
第二次大戦中の出来事。ドイツの誇る、第3捕虜収容所に収容された連合軍将校たちが、大脱走を敢行した一大史実である。原作は当時英空軍スピットファイヤー・パイロットで、実際にこの大仕事に参加していたポール・ブリックヒル。1950年に出版された著書“ザ・グレート・エスケープ"は超ベスト・セラーになった。製作者兼監督は「荒野の3軍曹」のジョン・スタージェス。撮影は「ウエスト・サイド物語」でアカデミー賞を獲得したダニエル・L・ファップ。脚色は「アスファルト・ジャングル」の著書で知られるW・R・バーネットとジェームズ・クラベルが共同で担当している。音楽は「終身犯」のエルマー・バーンスタイン。出演者は「戦う翼」のスティーヴ・マックィーン、チャールズ・ブロンスン、ジェームズ・コバーンをはじめ、「噂の二人」のジェームズ・ガーナー、英国からリチャード・アッテンボロー「ロベレ将軍」のハンネス・メッセマーなど。
※ストーリーの結末が記載されているので注意!
新たに作られたドイツの北部第3捕虜収容所に、札つきの脱走常習者・連合軍空軍将校たちが運び込まれた。しかし早くも“心臓男"と異名をとったヒルツ(スティーブ・マックィーン)は鉄条網を調べ始めるし、ヘンドレー(ジェームズ・ガーナー)はベンチをトラックから盗み出す始末だ。まもなく、ビッグXと呼ばれる空軍中隊長シリル(リチャード・アッテンボー)が入ると、大規模な脱走計画が立てられた。まず、森へ抜ける数百フィートのトンネルが同時に掘り始められた。それはトム・ディックハリーと名付けられた。全員250名が逃げ出すという企みだ。アメリカ独立記念日トムが発覚してつぶされた。が、ほかの2本は掘り続けられた。しかし、あいにくなことに掘り出し口が看取小屋の近くだったため、脱走計画は水泡に帰し、逃げのびたのはクニー(チャールズ・ブロンソン)と、彼の相手ウィリイだけであった。激怒した収容所ルーゲル大佐が、脱走者50名を射殺したと威嚇した。やがて、“勇ましい脱走者"の生存者を乗せたトラックが到着したとき、ゲシュタポの車が収容所の入口に止まり、ルーゲルは重大過失責任で逮捕された。かくてドイツ軍撹乱という彼らの大使命は果たされたが、幾多の尊い生命が失われていった。再び収容所に静けさが訪れたが、ヒルツやヘンドレイは相変わらず逃亡計画を練りあちらこちらでその調査が始まっていた・・・。
<レビュー>
スティーブ・マックイーンの過剰なスター性はいったい何なのだろうか。
この作品におけるマックイーンは主役級ではあるけれども完全な主役ではない。
しかし彼は完全な主役であろうとする。
何様のつもりだと言ってやりたくなるほどの傲慢さがある。
大脱走を果たしたあと、バイクで逃げる長いくだりが彼のために用意されている。
この話は実は意外にシビアで、結局彼は捕まってしまうのだが、バイクをぶっ飛ばすシーンは「自由への疾走」と言うのにふさわしいような爽快さがある。
拘束から解放された広大な大地が、収容所という閉じた空間との効果的な対比になっている。
あの大地をバイクで格好良く走らせる人物は、キャスト陣の中でマックイーンしかいないだろう。
スターにしか許されないのである。
やはりチャールズ・ブロンソンには許されないのだ。
この映画はアルドリッチと同じく、男が観てわくわくする映画である。
少年は作戦を立てて集団で何かを成し遂げるのが好きなのだ。
諜報係、調達係、参謀、ボス、一匹狼、伝令係、等々の上に成り立つ組織が好きなのだ。
いわば集団ロールプレイングゲームが好きだったはずなのだ。
だからこういった映画を観たときには心踊るものがある。
オーシャンズ11しかり、ルパン三世しかり、プライベートライアンしかり、七人のおたくしかり、ロールプレイングの特性を持つ作品はすでに前提で面白いのである。
ここから全然関係ない話。
というか揚げ足とりの悪口なので聞き流してください。
この映画は「大人の追いかけっこ」という感じがする。
ただし正確には、遊びでは決してないから「追いかけっこ」と言うのは間違いである。
で、思い出したんだけど、「リアル鬼ごっこ」という有名な作品がありますね。
あれは作者に言わせればリアルな鬼ごっこなのかも知れないけど、鬼ごっこ自体が既にリアルに存在しているものだから、リアル鬼ごっこも「ただの鬼ごっこ」でいいんじゃないでしょうか。
嫌ならせめて「過剰な鬼ごっこ」にして欲しい。
ごっつええ感じに「りあるポンキッキ」という面白いコントがありまして、あれの意図は分かるんです。
ポンキッキのキャラクターが着ぐるみ(つまりフィクション)ではなく本当に生き物として存在したら・・・ということでやっているのです。着ぐるみをフィクションとすることによって、フィクションではなくリアルだったらどうなのか、という発想のもとに名付けられたネーミングです。
だから「りあるポンキッキ」で良いのです。
しかし、鬼ごっこは鬼ごっことして紛れもなくリアルに存在しているのです。
ただし、以下のような反論が容易に想像できます。
鬼ごっこが「遊び(つまりフィクション)」ではなく、捕まったら本当に殺される、だからリアル鬼ごっこなのだ、と。
でも、鬼「ごっこ」と言っている時点でリアル鬼ごっこも遊びでしかないのですよ。
「鬼ごっこ」も「リアル鬼ごっこ」も遊びである、という部分で矛盾しているのです。
ポンキッキという言葉からでは着ぐるみか生き物かという判断が出来ないからリアルなのかそうじゃないのかという話を作っても良いけれど、鬼ごっこは「ごっこ」という縛りでもって鬼ごっこが「遊び」であるという限定的な定義がなされているのであるから、「リアル鬼ごっこ」というタイトルは間違っているのです。
まあ全部読んでないから分からないけど、リアル鬼ごっこも「遊び」という感覚で作中において実施されたものであるなら尚更、捕まったら殺される鬼ごっこという遊びを、リアル鬼ごっことは断じて言ってはならぬのです。
ごめんなさい。
作品そのものが悪いと言っているわけじゃないです。
あくまでタイトルが悪いという話です。
読んでないけど。
★★★★★
駿河シカヲ
ロバート・アルドリッチ監督「飛べ!フェニックス」を鑑賞。
<作品解説・詳細>
飛べ!フェニックス(1966) - goo 映画
エルストン・トレバーの小説『フェニックス号飛行』を、「ふるえて眠れ」のスタッフ、ルーカス・ヘラーが脚色、ロバート・アルドリッチが製作・監督したサスペンス・ドラマ。撮影も「ふるえて眠れ」のジョセフ・バイロック、音楽はフランク・デヴォールが担当した。出演は「シェナンドー河」のジェームズ・スチュアート、「バタシの鬼軍曹」のリチャード・アッテンボロー、「ハタリ!」のハーディー・クリューガー、「ロード・ジム」のクリスチャン・マルカン、他にピーター・フィンチ、アーネスト・ボーグナイン、ダン・デュリエなど。
※ストーリーの結末が記載されているので注意!
アラビア石油空輸会社所属の輸送兼旅客機が、サハラ砂漠にある採油地から基地へ帰る途中、砂あらしに遭遇し、砂漠の真只中に不時着した。この事故で、2名の死者と1名の負傷者がでた。操縦士のフランク(ジェームズ・スチュアート)は、事故の一切の責任をとる決心をして、航空士ルー(リチャード・アッテンボロ--)と共に、なんとか、乗客を無事救出すべく策を練った。この乗客の中には、イギリス陸軍大尉ハリスと部下のワトソン軍曹がいたが、ワトソンは上官であるハリスに根深い反感を持っていた。数日後、救援隊が来ないのにしびれを切らしたハリスは乗客の1人で、小猿をもっている男カルロスや、採油夫長トラッカーとともに、オアシスを探しにいった。だが、トラッカーは、砂嵐にまきこまれたのか、数日後死体となって発見された。一方、年若い飛行機デザイナーのハインリッヒ(ハーディー・クリューガー)は、人手と器材さえあれば、こわれた飛行機から、あたらしい小型の単発機を組立てることができると、フランクに説いた。だが、ベテランのパイロットであるフランクには、この年若いデザイナーのことを信用することはできなかった。しかし、医師のルノー(クリスチャン・マルカン)はハインリッヒ計画に賛成した。そうしたある日、一行は、近くにアラビア人の1隊がキャンプをはっているのを発見し、ハリスとルノーが偵察に出発した。だが、期待も空しく、夜が明けると、アラビア人の1隊は姿を消し、キャンプのあとから、ハリスとルノーの死体が発見された。最早、ハインリッヒが作る飛行機に一るの望みを託す以外になくなった。全員が一丸となっての協力が実り、やがてハインリッヒが設計した「フェニックス号」は、生存者7名を乗せて、空に舞い上がった・・・。
<レビュー>
名作と呼ばれているだけあって脚本は非常に良くできている。
おまけにアルドリッチ監督の個々のキャラクターの際立たせる手腕は本当に素晴らしい。
こういった、三谷幸喜がいうところの「作戦もの」としては最高の出来に近いのではないだろうか。
同じ脱出劇では三谷氏のフェイバリットである、かの名作「大脱走」よりもよく出来ている。
まあ、あの「大脱走マーチ」は全てを無にするほどの威力があるのだが、そのハンデがあってもこちらのほうが面白い。
腕白な少年時代を経てきた男子にとってはたまらない集団脱出劇である。
血がたぎるのである。
ただし、極度の弱虫であった私などは(今でも変わらないが)、実際にあのような過酷な状況におかれた場合真っ先に絶望するであろう、というシミュレーションが頭の片隅にはあったわけでもある。
まあそんな個人的な話はどうでもよろしい。
実のところこの作品においてもっとも重要なのは、脱出そのものよりも壊れた飛行機がどのようにアレンジされて完成してゆくのかという具体的な過程だと私は思う。
がしかし、その見せ方にやや難があるような気がする。
どこがどう壊れてそれをどう修理したのか、というのがいまいちわかりづらかった。
骨身を削って修理している描写はあるけれども、一生懸命さだけが伝わってくるだけで、どこをどうしてどうなったのかがよく分からない。
それがちゃんと画として説明できれば、個人的な基準では文句無しの傑作だった。
とはいえ、これは傑作であることには間違いない。
そして、そのひと月後に観た同監督の「特攻大作戦」が、本作を更に上回る素晴らしい傑作だったのである。
★★★★★
駿河シカヲ
マダムと同席でスティーヴン・セガールの代表作「沈黙の戦艦」を観ました。
なかなかやります。
<作品解説・詳細>
沈黙の戦艦(1992) - goo 映画
テロリスト集団に占拠された戦艦を奪回するため、孤軍奮闘する男の姿を描く海洋サスペンスアクション。アラバマ州モービル湾に停泊し、現在は船の博物館となっているUSAアラバマ号を改造して撮影された。監督は「刑事ニコ 法の死角」のアンドリュー・デイヴィス。製作は「マンボ・キングス わが心のマリア」のアーノン・ミルチャン。エグゼクティヴ・プロデューサーはゲイリー・ゴールドスタインと脚本を兼ねる「ミストレス」のJ・F・ロートン。撮影は「刑事ジョー ママにお手上げ」のフランク・ティディー。音楽はゲイリー・チャンが担当。主演は「アウト・フォー・ジャスティス」のスティーヴン・セガール。ほかに「JFK」のトミー・リー・ジョーンズ、「ハートブルー」のゲイリー・ビジーらが共演。
米国海軍最大最強を誇るUSSミズーリ号。その長い栄光に満ちたキャリアを閉じる日が近づいていた。かつては2400人の海兵を乗せていた船は、今は必要最小限の人数で太平洋を横断、帰路に向かっていた。この船のコック、ケイシー・ライバック(スティーヴン・セガール)は、元SEAL先鋭の秘密戦闘要員で、そのことを知っているのは彼の指揮官アダムス大佐(パトリック・オニール)のみ。今はその過去を封印することを選択していた。だがミズーリ号の平和な航海は突然のシージャックで打ち砕かれた。犯人は軍の技術兵ウィリアム・ストラニクス(トミー・リー・ジョーンズ)とクリル中佐(ゲイリー・ビジー)。彼らは核兵器を盗み出そうと計画していたのだ。2人とその仲間30人を相手に、数人のクルーたちはライバックの指揮のもとに戦いを挑んだ。ライバックの大活躍で犯人グループは一網打尽にされ、無線連絡で駆けつけた救出隊が到着する前に、ミズリー号は解放されるのだった。
<レビュー>
スティーブン・セガール最強説を確かめるべく、観てみました。
セガールは強い。あきれるほど無敵でした。
彼のウィキペディアが面白いです。
こちらです。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B9%E3%83%86%E3%82%A3%E3%83%BC%E3%83%B4%E3%83%B3%E3%83%BB%E3%82%BB%E3%82%AC%E3%83%BC%E3%83%AB
ウィキペディアによれば、「大きな困難やピンチが無く、一方的に敵を壊滅させるストーリーが大半で、その圧倒的な強さが痛快で人気を博している。」とあります。
まったくそのとおり。
また、ウィキペディアでは「エグゼクティブ・デシジョン」について触れています。
この映画は結構好きでした。
セガールが死ぬシーン(というか空に放りだされていなくなるシーン)は覚えています。ああ、もうここでお役御免か、完全にこれは特別出演だな、と思った覚えがあります。
驚くべきことに「エグゼクティブ・デシジョン」は唯一セガールが映画の中で死亡した貴重な作品なのだそうです。
こともあろうにぼくが唯一見たことのあるセガール出演作品が「エグゼクティブ・デシジョン」だったとは。
ただし、その作品でさえ「死体の確認はされていない」のです。
(笑)をつけたくなります。
本作においてピンチに陥ったシーンはわずかにひとつ。
描写があっさりしすぎていて、ピンチとも思えませんでした。
ハラハラもドキドキも皆無です。
ただただセガールが敵を一方的に殲滅せしめてゆくサマを楽しむのが良いでしょう。
ちょっと沈黙シリーズは気になります。
★★★☆☆
駿河シカヲ
渡辺謙作監督「となり町戦争」を鑑賞。
<作品解説・詳細>
となり町戦争 - goo 映画
舞坂町に暮らし始めて一年、北原修路は町の広報紙で隣りの森見町と戦争が始まる事を知る。しかし、開戦初日を迎えても町の様子に変化はなく、戦争を実感することは何一つなかった。広報紙に掲載される戦死者数を除いては…。数日後、対森見町戦争推進室の香西と名のる女性から電話があり、特別偵察業務辞令の交付式への出席を促される。その業務の延長で、やがて北原は敵地へ潜入するため香西と結婚する事になる…。
行政事業としての戦争を業務として遂行する。それは旨味のある商売ゆえに町興しの一貫として粛々と進められるのだ。戦争である以上、人は死に、愛国心ならぬ町への愛を胸に兵士たちは血を流し倒れて行く。が、所詮、死者は統計上の数字に過ぎない。地球上のどこかでいつ果てることなく繰り返される戦争の本質的な不気味さを描いた本作は、05年の第17回すばる文学賞を受賞し、一大センセーションを巻き起こした新鋭・三崎亜記のデビュー小説の映画化。戦時下であることを実感できないまま否応なく戦争に取り込まれて行く主人公・北原を江口洋介、一切の感情を押し殺し任務を淡々とこなす町役場の香西さんに原田知世が扮している。
<レビュー>
なんてもったいない映画なのだ。
原作がそこそこ面白かったので、観てみた。
となり町と戦争になった。
でも普通に暮らしている。
となり町には毎日仕事で通っている。
戦闘状態を目撃したことはないが、新聞によると戦死者はでているらしい・・・。
こういった、わけがわからなくてちょっと怖い設定というのは、とてもおいしいと思う。
原作者の功績です。
ただ、これは小説にも映画にも言えたことだが、変に説教くさいところはいらないと思うのである。
戦争がどうだとかいうメッセージはいらん。くどいけれどもこれは小説にも言えること。
前半はコメディタッチを選択している。
それはそれで良いのだが、そのまま最後まで押し通して欲しい。
シリアスにするなら徹頭徹尾シリアスにすればよい。
ホラー映画ぐらいに不気味にも出来るはず。
中途半端なヒューマンドラマになってしまったことが残念。
初見なので言いきってしまうことはできないけれど、多分渡辺謙作という監督は、ものすごく駄目な監督だと思う。
ただ物語を説明しているだけ、という感じがする。
このあと渡辺監督は「フレフレ少女」を撮っている。
ガッキーはつくづく不幸だなあ。
なんて惜しいのだ。傑作にできるストーリーであることは間違いないのだ。
ハリウッドがリメイクさせてくれーと言ってきそうな話だ。
渡辺監督じゃなければ・・・。
とかぶつぶつ言いながら渡辺謙作のキャリアについて調べてみると、いろいろとびっくりする。
あれ、「ラブドガン」の監督だったのか。
すっかり名前を失念していた。
「ラブドガン」は奇妙にかっこいいノワール映画である。
いろいろ心に引っかかるシーンが多く、そろそろもう一度観てみようと思っていた。
そして、彼は奥原浩志の「波」に出演していることが分かった。あれも大変素晴らしい映画だった。
どの役で出ていたんだろうと思い、画像検索する。
渡辺監督の顔がでてきた瞬間「アッ」と心の中で叫ぶ。
「波」の主役の人だったのか!
急に親近感がわく。
酷いこと言ってごめんよと思う。
でも、この作品はあまりに無表情で、面白くない。
ラブドガンを見る限り、エンターテイメント的な興奮を作る映画作家ではないけれど、
確実に映画的な戦慄や感動を詰め込んだ決定打をワンシーンの中にかっ飛ばすことのできる人であることは間違いない。
無表情で面白くない、と言ったけれども、それはそれで一つの味なのかもしれない、などと擁護したくなる気持ちをぐっと抑えて、ここは厳しい評価をくださなければならぬ。
といいつつも、本作には星四つあげたい。
何故なら原田知世が素晴らしいからだ。
とにかく原田知世がきれいに撮られている。
きっと見た人はみんな好きになる。はず。
★★★★☆
駿河シカヲ
天空の城ラピュタを観ました。
<作品詳細・解説>
天空の城ラピュタ(1986) - goo 映画
莫大な財宝が眠るという空中の浮島を探しに冒険の旅に出る少年、少女を描くアニメ。脚本、監督は「風の谷のナウシカ」の宮崎駿が担当。
少女シータは黒メガネをかけた男たちに捕われ、飛行船の中にいた。そこに女海賊のドーラを首領とする一味が乗り込んで来た。撃戦のさなか、シータは窓から船外に逃げだすが足場を失い落ちていく。だが、彼女の身体はふわりふわりと地上へ舞い降りて行き、その胸にはペンダントが青白い光を放って揺れていた。スラッグ渓谷にある鉱山町では、空から降ってきた光とシータを見た見習い機械工のパズーが、後を追い気を失った彼女を助けた。翌朝、パズーの家で目を覚ましたシータに、彼は自分の死んだ父親が見たという伝説の島の話をした。それはラピュタと呼ばれる財宝の眠る空中の浮島で、パズーはラピュタを信じてもらえず死んだ父の汚名をはらすため、いつの日かラピュタを見つけたいと思っていた。そこにドーラ一味が乗り込んで来た。彼らはシータのペンダントを狙っていたのだ。パズーはシータを連れ、坑内機関車で逃げだすが、行く手には別の敵、黒メガネの男たちが国防軍の装甲列車で現われた。再び逃げたパズーとシータは深い谷底へ落ちてしまう。だが、シータのペンダントが光を放つと二人の身体は空中に浮いていた。深い廃坑の底に降りた二人は、鉱山師のポムじいさんに出会い、彼からペンダントの石がラピュタを空中に支えている飛行石だと聞かされる。地上に出た二人は、黒メガネの男たちに捕われ、国防軍ティディス要塞へ連行された。パズーは地下牢に閉じ込められ、シータは軍の特務将校ムスカに空から降って来たラピュタの紋章の刻まれたロボットを見せられた。政府はこれによりラピュタの存在を確心し、軍を使って探索に乗りだしていたのだ。ムスカは、シータが母親からペンダントを譲られた時に授けられた名前のことを知っており「君はラピュタ王国の王女なんだ」と告げる。彼はパズーの命と引き換えに、ラピュタの位置を示す呪文を教えるよう迫るのだった。理由のわからないまま釈放されたパズーは、待ちぶせしていたドーラ一味と共にシータ奪還に同行することにした。軍は巨大飛行戦艦ゴリアテでシータを連れ、ラピュタをめざした。途方に暮れたシータは、幼い頃祖母に教わった困った時のおまじないをつぶやいた。すると胸のペンダントが強烈な光を発し、まっすぐ天の一点を指した。ムスカはペンダントを手に入れると飛行石の指すラピュタめざしてゴリアテを発進した。シータを救け出したパズーも、ドーラたちとラピュタをめざす。見張り台に立ったパズーとシータは、ドーラの命令で台を凧のように母船から切り離し雲の上に出た。突然の嵐に巻き込まれた彼らは、美しい花畑の中で目を覚ます。ついにラピュタに辿り着いたのだ。シータは突如あらわれたムスカたらに捕えられ、パズーは縄に縛りつけられたドーラたちを助ける。シータを連れたムスカはラピュタの中枢部にいた。彼はシータに、自分もラピュタの王家の一族のひとりだと告げる。そして、ラピュタの超科学兵器を操作する。かつてラピュタは、それで全世界を支配していたのだ。スキを見てムスカからペンダントを奪い返すシータ。ムスカの撃った弾が彼女のおさげを吹きとばした時、パズーが駆けつけた。パズーとシータはペンダントを手に滅びの呪文を叫ぶ。そのとたん光が爆発し、ラピュタを支えていた巨大な飛行石は上昇しはじめた。フラップターで逃げのびたドーラたちは、上昇していくラピュタを見ていた。そこにパズーとシータを乗せた凧が飛んできた。
<レビュー>
本作を観て確信した。
この作品こそがぼくの人生最高の映画であり、この先ラピュタ以上に愛せる映画には二度と出会えないだろう。
逆に言えば、この辺がぼくの限界であり、ひいてはぼくという人物の限界なのである。
でもどうだってよいのだ。
もう何度この作品を観たかわからないが、いまだに観るたびに胸がときめくのである。
このいまだ色褪せないときめきをどうしてくれよう。
ああ、シータ。君は初恋の人だ。
パズー。君はヒーローだ。ぼくの理想像だ。
君の勇気がぼくはずっと欲しかった。
それだけじゃない。
あの映画のすべてが少年だったぼくの憧れでした。
そして、いまでも憧れなのです。
この作品はレビューできません。
文字を無駄に消費するだけです。
一番好きなセリフを、おそらくすべての映画の中で最も好きなセリフを、最期に記しておきます。
(洞窟の中、二人がパンを食べるシーンで、シータがパズーに謝ったときの、パズーの返答)
シータ「ごめんね。わたしのせいでパズーをひどい目にあわせて・・・。」
パズー「ううん。君が空から落ちてきたとき、ドキドキしたんだ。きっと、素敵なことが始まったんだって。」
★★★★★
駿河シカヲ
仕事の都合で自宅ではなく三島市にて宿泊です。
妙にテンションあがります。
今回はくりぃむしちゅーの有田哲平氏の初監督作品「特典映像」です。
DVD作品です。
これを映画とカテゴライズするべきなのか分かりませんが、まあそのへんはどうでもいいのです。
総合レビューサイトなのです。
<「特典映像」スペシャルウェブサイト>
http://www.jvcmusic.co.jp/aritakantoku/
<レビュー>
いわゆる擬似ドキュメンタリーという形のコメディーである。
有田哲平が「左曲がりの甲虫」という映画の監督をするにあたり、有田監督がキャスト集めなどに奔走する姿を特典映像に収めた、という設定。
こういうのを観ると、やはりダウンタウンのガキ使いを思い出してしまう。
そう言えば松本人志の「大日本人」も擬似ドキュメンタリーであった。
では、順番にひとりずつとりあげてゆこう。
①矢作兼(おぎやはぎ)
おぎやはぎ矢作への出演交渉。
台本を見せると、アクションシーンを増やしたほうがいいとか、ストーリーについてあれこれ難癖をつけてくる。
うぜー。
②岡田圭右(ますだおかだ)
ますだおかだ岡田への出演交渉。
やたらとあれやこれやとギャランティーの保障に結びつけて言及してくる。
ケチで知られている岡田らしいなあ。
非常にやらしい。
けっこう笑った。
③山崎弘也(アンタッチャブル)
とあるフレンチレストランへのロケハン。
そこの店長(山崎)に、撮影で店を貸し出すと同時に、役者でもないのに本人が店長役で出演するものと誤解されて面倒くさいことになる。
上巻では一番笑った。
こらえきれずに有田氏が何度も笑っていた。
④清水ミチコ
子役オーディション会場。
過保護の母親(清水ミチコ)がオーディション中にも関わらず子供の横についてあれやこれや言ってくる。
こんな奴がいたらウザいな。
⑤劇団ひとり
主演女優との初顔合わせ。けれども女優のマネージャー(劇団ひとり)が合わせてくれない。
どう考えても楽屋の中にいるのに入らせてくれない。
マネージャーと女優があきらかにデキているのが面白い。
有田氏が実際に体験したのだろうか。
劇団ひとりが伝家の宝刀である泣きの演技を披露。
これは力技。
無理矢理笑わされた。
⑥堀内健(ネプチューン)
喫茶店にてカンヌ帰りのカメラマンと打ち合わせ。
しかし喫茶店のボーイ(堀内)にことごとく邪魔をされる。
まさにホリケンワールド。
アリケンコンビではいつも有田がツッコミになるしかない。
⑦大竹一樹(さまぁ~ず)
結局キャストが決まらないままクランクイン初日。
とりあえずオープニングショットだけを撮るためにロケ現場に。
しかし途中でロケ車が一般の乗用車にぶつけてしまう。
ロケ車の運転手(大竹)がかたくなに自分の非を認めず、日が暮れてしまう。
大竹なので普通に面白いが、大竹だったらもっと面白くてもいいはず。
⑧秋山竜次(ロバート)
日が暮れてロケ現場につくと、カメラマン(秋山)が待っていた。⑥で打ち合わせていたカメラマンはホリケンの一件に怒っておりてしまったので、代役である。
こいつが職人気質の堅物で、まためんどくさい。
秋山は変なキャラを演じるのが非常に上手いので笑える。
職人ぶっていて撮影がおそろしく下手糞なところにも笑った。
⑨上田晋也(くりぃむしちゅー)
ロケ地となる千葉県某市の有力者である市会議員(上田)への挨拶へ。
これは凄く良かった。
上田はかなりおおげさにデフォルメされた、いかにもワンマンな団塊モーレツ親父を演じているのだが、
それが仕事先の上司である課長に似ていた。
「~という部分で」を連発するところが似ていた。
⑩伊集院光
この回が最も秀逸。
配給会社の役員(伊集院)に呼び出された有田たちは、そこで驚愕の事実を告げられる・・・。
全巻において、MVPは間違いなく伊集院である。
別に伊集院より笑えるのはいくつもあったけれど、笑い以外の部分は伊集院が最後に全部持っていった感じ。
とにかく巧い。話が巧い。伊集院の真骨頂である。
この回で何故映画本編ではなく特典映像だけがリリースされてしまったのか、というのがすべて分かる。
以上です。
お笑いDVDとしてはすごく良い出来だと思います。
もの凄くユルいですが。
はじめは北野武や松本人志の流れで一流芸人有田が映画に挑戦する、という感じなのだが、いつの間にかグダグダになってゆくさまが如何にも有田っぽくていいなあと思います。
幻の本編である「左曲がりの甲虫」が観られる日は来るのだろうか・・・。
★★★☆☆
さっきダーティハリー4を更新したのですが、勢いでダーティハリー5もいっちゃいましょう。
完結編です!それにしても眠い。
<作品解説・詳細>
ダーティハリー5(1988) - goo 映画
自らも標的にされた連続殺人事件に立ち向かうハリー・キャラハン刑事の活躍を描く。「ダーティハリー」シリーズ4年ぶりの新作。製作はデイヴィッド・ヴァルデス、監督は「ダーティファイター 燃えよ鉄拳」のバディ・ヴァン・ホーン。スティーヴ・シャロン、ダーク・ピアソン、サンデイ・ショウの共同による原作をもとに、スティーヴ・シャロンが脚色。撮影は「ハモンド家の秘密」のジャック・N・グリーン、音楽は「ブラックライダー(1986)」のラロ・シフリンが担当。出演は「ハートブレイク・リッジ 勝利の戦場」のクリント・イーストウッド、「アンタッチャブル」のパトリシア・クラークソン、「容疑者(1987)」のリーアム・ニーソンほか。
※ストーリーの結末が記載されているので注意!
サンフランシスコ市警察の“ダーティハリー"ことハリー・キャラハン(クリント・イーストウッド)刑事は、シスコ随一の賭博の元締ルー・ジァネロ(アンソニー・シャルノタ)を、持ち前の強引な方法によって逮捕したところであった。その模様はテレビを通じて報道され、ハリーは一躍市民の間で有名人となった。そのテレビをじっと見つめる人物がいた。そして、「死亡予想」と記された人物リストに、ハリーの名を書き込むのであった。ハリーはその夜、ジァネロの部下に襲撃されるが愛用のマグナムであっさり片付ける。翌日、その西部劇まがいの銃撃戦を上司のドネリー部長(マイケル・カリー)やアッカーマン課長(ダーウィン・グッドウィン)は非難するが、彼の新しい相棒として中国人のクワン(エヴァン・キム)をつけることにした。早速殺人事件が起こった。殺されたのは低予算の恐怖映画に出演中の人気ロック・アーティストで、致死量の麻薬を打たれていた。現場検証にクワンと駆けつけたハリーは、そこで以前から彼の捜査方法に興味を持っていたという女性レポーターのサマンサ(パトリシア・クラークソン)に出会う。だが捜査には収穫はなかった。ハリーとクワンは聞きこみにまわったチャイナ・タウンのレストランで4人のチンピラによる強盗事件に遭遇するが、見事に倒す。だがチンピラの流れ弾に1人の男が当たり死んでしまった。その男は死んだロック・アーティストが出演していた映画の経理を担当していた男だった。しかも、男は手に「死亡予想」と書かれたリストを持っており、ロック・アーティストの名ばかりかハリーの名も書かれていた。ハリーは、その映画の監督のピーター・スワン(リーアム・ニーソン)をマークするようになる。その間にも女流映画批評家のフィッシャーやテレビ司会者ノーランドら、いずれもリストに書かれた人物が殺されていった。遂に犯人の魔の手はハリーに及び、クワンと乗った車が爆薬を積んだリモコン・カーに追われ、クワンが重傷を追う。やがて犯人は、監督のスワンではなく、彼の狂信的なファンで分裂症と診断されたハーラン・ロック(デイヴィッド・ハント)であることが分かるが、ハリーたちが彼のアパートに駆けつけた時には、ロックは既に次の標的、サマンサをおびき寄せていた。ハリーはサマンサが連れ去られたらしい映画のロケ現場に向かい、遂に狂信犯ロックと対面する。サマンサを助けるためにマグナム44を手放したハリーだが、息づまる死闘のすえ、最後は大きなモリを使ってハリーは犯人を倒すのだった。
<レビュー>
はい。
さっきと同じテンションでいきますよ。
えーと監督はバディ・ヴァン・ホーンというひとで、まあイーストウッドのスタント関係で云々ですがもう疲れているのでそんなことはいい。
良かったのは、ものすごくB級でしょうもない作品だったってことだ。
あのラジコンの追いかけっこシーンはいったいなんだ。
子供か!
そのくせ結構盛り上げるし。
相棒が中国人のカンフー使いってのもな。
なんともB級感が漂うよ。
まあ、それにしてもあの1や2の名作感漂うA級な気品はどこへやら。
ダーティハリーシリーズはこれで完全に死んだのだなと思った。
立派に死んだと思う。
クソっぷりがいいよ。
最期の犯人の死に方は相変わらずグッドだよ。
アホみたいでグッドだよ。
眠くてだめだ。無理。
「た行」の映画が「あ行」を抜いた。
ダーティハリーシリーズでかせいだからだ。
★★★☆☆
今回はダーティハリー4だよ。
ついに主演のイーストウッドがメガホンをとったよ。
<作品詳細・あらすじ>
ダーティハリー4(1984) - goo 映画
悪に対して法律すれすれの荒っぽい手段で敢然と挑む、サンフランシスコ警察の孤独な一匹狼ダーティハリーことハリー・キャラハン刑事の活躍を描くシリーズ第4弾。製作・監督・主演は「センチメンタル・アドベンチャー」のクリント・イーストウッドで、これが彼の10作目の監督作品である。アール・E・スミスとチャールズ・B・ピアースの原案を基にジョセフ・C・スティンソンが脚本を執筆。撮影はブルース・サーティーズ、音楽はラロ・シフリン。主題歌をロバータ・フラックが歌っている。出演はイーストウッドの他に、ソンドラ・ロック、パット・ヒングル、ブラッドフォード・ディルマン、ポール・ドレークなど。
※ストーリーの結末が記載されているので注意!
サンフランシスコのゴールデン・ゲートを望む丘の上で、カーセックスの最中、女(ソンドラ・ロック)が突然、男の急所を射ち抜いた。現場検証に来たハリー・キャラハン刑事(クリント・イーストウッド)は、手掛かりをつかめぬまま、以前に挙げた殺人犯の判決が下る州裁判所へ向かう。裁判で、犯人は無罪釈放となった上、逆にハリーの捜査の行き過ぎに警告を発するという結果になった。釈然としない気持ちで行きつけのコーヒー・ショップに立ち寄ったハリーは、強盗団に遭遇、激しい銃撃戦の末、事件を片づけた。その夜、ハリーは同僚たちが張り込んでいたマフィアのボスの孫娘の結婚式場に単身のり込み、ニセの証拠をつきつけて脅すと、ボスは心臓麻痺で倒れた。重ね重ねのハリーの無謀な捜査に批難の声が上がったため、北カリフォルニア沿岸の町サン・パウロヘ彼は出張を命じられる。シスコの連続殺人事件の犠牲者の1人がサン・パウロ出身だったからというのが表向きの理由だった。到着早々、銀行強盗の事件を片づけたハリーは、この街でもシスコの連続殺人事件と同じ手口で殺人が行なわれていることを知る。そんな時、彼は画家であるジェニファーと知り合い心引かれていく。ハリーが連続殺人事件を追ううちに意外な事実が浮かんできた。一連の事件は数年前のレイプ事件に端を発しており、その被害者がジェニファーと妹で、襲った犯人たちが次々に殺されているというのだ。レイプ事件の主謀者であるミック(ポール・ドレーク)はジェニファーと事件を追うハリーを片づけようと、仲間のクルーガー等と共にハリーを襲い、海に突き落とす。一命をとりとめたハリーが常宿としていたモーテルに戻ると、彼を尋ねてきた同僚のホレース刑事が殺され、彼が以前にくれた愛犬も傷つけられていた。怒りに燃えたハリーは新型の44オートマグナムを持って、ミックらがジェニファーを殺そうとしている遊園地に向かった。ハリーの銃弾に、またたく間に2人の仲間を失ったミックは、ジェニファーを人質にして逃げようとする。ジェットコースターの軌道の上を逃げようとするミックが、ジェニファーの手を離した瞬間、ハリーのマグナムが炸裂し、ミックは息絶えた。涙ながらに罪の許しを乞い哀訴するジェニファーにハリーは事件の犯人を彼女にすることなく解決することを優しく約束するのだった。
<レビュー>
眠い。
こんな時間に仕事を終えて帰ってきたのに感想なんて書けるか!
何時だと思ってるんだ!
まったく、24-twenty fourか!
さっさと寝ろよ!
とりあえず、この疲れ切った脳みそで思い出せるのは、
最期の犯人の死に方が馬鹿みたいに残酷で良かったってことと、
西部劇っぽい演出に笑ったことと、
キャラハン刑事が老いたってことと、
冒頭の80’sな感じの音楽に時代の移り変わりを感じたってことでしょうか。
まあ総じて面白かった。
というかダーティハリーシリーズは面白いですよ。
4になると完全にエンタメ路線です。
次回の5で完結です。
ぼくはクリント・イーストウッドさんが大好きですよ。
もうなんつーか役者としても俳優としても大好きですよ。
いや、いま「役者としても監督としても」って打とうとしたら、「役者としても俳優としても」って打ってしまいましたよ。
役者も俳優も一緒なんですのに。
監督としても素晴らしいということも言いたかったんですのに。
もう、あれなんですよ。
オレはとても疲れているんだと。
もう眠らせてくれと。
そう言いたいわけですよ。
とにかく今日はもうやめにしよう。
Go ahead. make my day.
さらばだ!
★★★★☆
雨が憎い。
今回は溝口健二の「近松物語」です。
<作品解説・あらすじ>
近松物語(1954) - goo 映画
近松門左衛門作の『大経師昔暦』を川口松太郎が劇化(オール読物所載「おさん茂兵衛」)し、それをもととして「忠臣蔵(1954)」の依田義賢が脚本を執筆、「噂の女」の溝口健二が監督に当る。撮影も同じく宮川一夫で、音楽は「千姫(1954)」の早坂文雄の担当。出演者は「銭形平次捕物控 幽霊大名」の長谷川一夫、「母の初恋」の香川京子、「君待船」の南田洋子、「新しき天」の小沢栄の外、進藤英太郎、田中春男など。
※ストーリーの結末が記載されているのでご注意ください。
京烏丸四条の大経師内匠は、宮中の経巻表装を職とし、町人ながら名字帯刀も許され、御所の役人と同じ格式を持っていた。傍ら毎年の暦の刊行権を持ちその収入も大きかった。当代の以春はその地位格式財力を鼻にかけて傲岸不遜の振舞が多かった。その二度目の若い妻おさんは、外見幸福そうだったが何とか物足らぬ気持で日を送っていた。おさんの兄道喜は借金の利子の支払いに困って、遂にその始末をおさんに泣きついた。金銭に関してはきびしい以春には冷く断わられ、止むなくおさんは手代茂兵衛に相談した。彼の目当ては内証で主人の印判を用い、取引先から暫く借りておこうというのであった。だがそれが主手代の助右衛門に見つかった。彼はいさぎよく以春にわびたが、おさんのことは口に出さず、飽く迄以春に追及された。ところがかねがね茂兵衛に思いを寄せていた女中のお玉が心中立に罪を買って出た。だが以前からお玉を口説いていた以春の怒りは倍加して、茂兵衛を空屋に檻禁した。お玉はおさんに以春が夜になると屋根伝いに寝所へ通ってくることを打明けた。憤慨したおさんは、一策を案じて、その夜お玉と寝所をとりかえてねた。ところが意外にもその夜その部屋にやって来たのは茂兵衛であった。彼はお玉へ一言礼を云いにきたのだが、思いも寄らずそこにおさんを見出し、而も運悪く助右衛門に見つけられて不義よ密通よと騒がれた。遂に二人はそこを逃げ出した。琵琶湖畔で茂兵衛はおさんに激しい思慕を打明けここに二人は強く結ばれ、以後役人の手を逃れつつも愛情を深めて行った。以春は大経師の家を傷つけることを恐れて懸命におさんを求めた。だがおさんにはもう決して彼の家へ戻る気持はなかった。大経師の家は、こうして不義者を出したかどで取りつぶしになった。だが一方、罪に問われて刑場へと連れられるおさんと茂兵衛、しかしその表情の何と幸福そうなこと--。
<レビュー>
「山椒大夫」を観て以来、香川京子に恋心に近いものを抱いている。
小津の「東京物語」で初めて彼女をみたときはそんなに印象に残らなかったのだが。
今回の「近松物語」は香川京子の独壇場である。
それがまずうれしい。
溝口健二は、なんと女性の撮り方が素晴らしいのだろう。
湖上の心中未遂(?)シーンにおける彼女は特に神々しい。
対して、相手役の長谷川一夫のしぐさが妙に女々しいのはやや気になる点である。
だが、何から何まで美しい映画なので、相手役の男も妖艶であるほうが良いのかもしれない。
また、溝口健二の流れるようなカメラワークは芸術の極みである。
完璧な構図。完璧な背景と人物の配置。それにに加えてモノクロの美しさ。
先ほどあげた湖上のシーンなどは美しすぎて人物が幽霊に見えた。
香川京子が長谷川一夫を追うシーンも、ストーリーに泣けたというより、画の素晴らしさに泣けた。
これはもう、日本の恋愛映画の最高峰と言って良いだろう。
これと肩を並べられる恋愛映画は、いままでぼくが観たなかでは「あの夏、いちばん静かな海」ぐらいだ。
「ロミオとジュリエット」なんて目じゃないぜってぐらいに、悲恋モノとして傑出している。
私生活でまったく良いことのない私であるが、溝口健二に出会えたことが最近では唯一幸せなことである。
★★★★★
駿河シカヲ
こんにちは。またはこんばんは。またはおはようございます。
駿河シカヲです。
今回はダーティハリー3です。
<作品解説・あらすじ>
ダーティハリー3(1976) - goo 映画
『ダーティハリー』シリーズ第3作目。サンフランシスコの行動派刑事、ハリー・キャラハンを主人公にしたアクション映画。製作はロバート・デイリー、監督はイーストウッドの監督・主演作の助監督を勤めた新人ジェームズ・ファーゴ、脚本は「タワーリング・インフェルノ」のスターリング・シリファントとディーン・リスナー、撮影はチャールズ・ショート、音楽はジェリー・フィールディング、編集はフェリーズ・ウェブスター、美術はアレン・E・スミスが各々担当。出演はクリント・イーストウッド、ハリー・ガーディノ、ブラッドフォード・ディルマン、タイン・デイリー、ジョン・ミッチャム、デヴァレン・ブックウォルター、アルバート・ポップウェルなど。日本語版監修は高瀬鎮夫。デラックスカラー、パナビジョン。1976年作品。
※ストーリーの結末が記載されているので注意!
サンフランシスコ市警殺人課のハリー・キャラハン(クリント・イーストウッド)は、相棒のフランク(ジョン・ミッチャム)と市内をパトロール中、酒屋に押し入った強盗事件に駆り出された。現場に直行したハリーは強盗一味の要求の一つである車に乗るやいなや、そのまま店の中に突っ込み、慌てふためいている犯人たちにハリーの愛銃マグナム44を見舞った。ところが、ハリーの事件処理の仕方が乱暴だということで刑事課長(ブラッドフォード・ディルマン)に怒鳴られ、人事課に配属されてしまった。そんなある日、ボビー・マックスウェル(デヴァレン・ブックウォルター)をリーダーとする若い過激派グループが、陸軍の兵器庫に押し入り、ダイナマイト、自動小銃、新型バズーカ砲を盗み出した。しかも、パトロール中に異常に気付いたフランクに重傷を負わせ、そのまま逃走した。フランクを病院に見舞ったハリーは、息を引き取る寸前まで、犯人たちの逮捕を頼んでいったフランクの姿に、犯人たちへの激しい怒りを燃やすのだった。殺人課に戻ったハリーのフランクに替わる相棒として、刑事に昇進したばかりの女性、ムーアが付けられた。過激派の行動は意外に早く開始された。それも、警察署のトイレが爆破されたのだ。その直後、ハリーは不審な黒人を発見、大追跡の後に、ムーアの協力も得て逮捕した。黒人の過激派が絡んでいるとにらんだハリーは、スラムの指導者ムスターファの棲家へ乗り込んだが、彼は事件に無関係であることが判った。だが、ハリーが帰った後、刑事課長が指揮する警察隊が、ムスターファを首謀者として逮捕。この迅速な犯人逮捕によって、ハリーとムーア、そして刑事課長は、市長から表彰されることになったが、ムスターファが主犯でないと確信しているハリーは、表彰されるのを拒否し、課長に警察手帖を渡すと、会場を去り、独自の調査を開始した。しばらくして、過激派グループは、白昼、市長を誘拐し、莫大な活動資金を要求した。何の手がかりも得られぬまま、捜査にあせりを感じてきたハリーに、彼のおかげで釈放されたムスターファが、犯人たちの情報を提供した。ムスターファによると、犯人は、ベトナム帰りの殺人狂ボビー・マックスウェルをリーダーとする過激派グループで、彼らは今、その昔、アル・カポネも送り込まれ、脱獄不可能の刑務所として恐れられた〈アルカトラス刑務所〉の廃墟にたてこもっている、というのだ。ハリーは早速、ムーア刑事とともに、市長救出と、犯人逮捕のために〈アルカトラス〉へ乗り込んだ。過激派グループとの激しい銃撃戦が始まり、ハリーは、1人、2人と殺していき、その間に、ムーアは、市長を無事救出に成功した。そして、ついにハリーはボビーを追いつめたと思った瞬間、ムーアと市長が飛び出し、ムーアはボビーに射殺されてしまった。ボビーは市長を人質に、島の海岸添いに建てられた塔に登った。ムーアの死に怒りが爆発したハリーは、ボビーが落としていったバズーカ砲を塔へ向けて構えた。バズーカ砲を向けられていると知ったボビーは、恐ろしさのあまり、市長を塔の途中で離し、屋上で泣き叫んだ。瞬間、ハリーのバズーカ砲が火を吹き、ボビーもろとも、塔の上半分が吹っ飛んだ……。(ワーナー映画配給1時間37分)
<レビュー>
パート3もラストは苦々しいけれども、全体的に深みがないというか、薄っぺらい印象がある。
おそらく犯人がしょっぱいからであろう。
1のスコルピオ、2の白バイ警官部隊のようなインパクトが無いのである。
それから、作品のテーマがしょっぱいというのもあるだろう。
女性の社会進出がどうのこうのみたいなテーマである。
だが、テーマ云々に関しては日頃からそんなものは崇高だろうがしょっぱかろうがどうだっていいと思っているので、この際無視する。
なんといっても不満なのはラストの犯人のやっつけ方である。
せっかくの44マグナムを使わず、バズーカ砲でドカーンとやって終わりという殺し方はキャラハン刑事でなくとも出来るのだ。
といいつつも、同じく44マグナムをとどめに使わなかったパート5での犯人の死に方は好きである。
なぜなら死に方がむごたらしいからだ。
アホみたいな殺し方なのだが、ちゃんと殺された姿もアホみたいになっていて素晴らしい。
まあそのへんはパート5のときに取り上げよう。
だからそう、なにが言いたいかというと、バズーカ砲で吹っ飛ばされた犯人のむごたらしい死体ぐらい映せって話だ。
ぼくは酷いことを言っているだろうか。
惨殺された人間の惨殺死体は映画ではちゃんと映すべきなのだ。
だって、キャラハンは実際に、敵にバズーカ砲をぶっ飛ばしたんだぜ。
あんなもの絶対よけられないぜ。
酷い殺しかただぜ。
酷いやり方で殺されたら、そのときはちゃんと、こんな風になりますよっていう死体を見せるべきだぜ。
そのほうが倫理的だぜ。
毎回登場するキャラハンのパートナーは、必ず殉職するか大怪我を負う。
必ずである。
本作では初の女性刑事のパートナーなのだが、
女性にも関わらず、ちゃんと殺された。
この辺の冷徹な哲学は良いと思う。
ダーティハリーは格好良いが絶対に関わりたくない、どの作品にもそう思わせるような哲学が根底にある。
★★★☆☆
駿河シカヲ
うぃっす。どうもっす。駿河シカヲっす。
最低な気分っす。
今回はダーティハリー2みたいな感じっす。
監督はテッド・ポスト的な人っす。
よろしくっす。
<作品解説・あらすじ>
ダーティハリー2(1973) - goo 映画
自ら暴力を持って悪を制するハリー・キャラハン刑事が主人公の「ダーティハリー」シリーズ第2作目。製作はロバート・デイリー、監督は「続・猿の惑星」のテッド・ポスト、ジョン・ミリアスの原案をミリアス自身とマイケル・チミノが脚色、撮影はフランク・スタンレー、音楽はラロ・シフリン、編集はフェリス・ウェブスターが各々担当。出演はクリント・イーストウッド、ハル・ホルブルック、ミッチェル・ライアン、デイヴィッド・ソウル、フェルトン・ペリー、ロバート・ユーリック、キップ・ニーヴェン、ティム・マティソン、クリスティーヌ・ホワイト、リチャード・デヴォンなど。
※ストーリーの結末が記載されているので注意!
ダーティハリーことハリー・キャラハン刑事(クリント・イーストウッド)は忙しかった。ハイジャック事件を片づけると次は4人組の武装警官による容疑者事件に取り組まなければならなくなった。数日後、今度は山の手の別荘地で殺人事件が起こった。殺されたのは法の盲点をついてのし上がってきた悪党だったが、家族、友人たちと一緒にプールで遊んでいた所を例の謎の警官が、マシンガンで皆殺しという残虐さである。さらに第3、第4の犠牲者が出た。売春組織と麻薬組織の大物だった。そしてパトロール中のハリーの友人チャーリー・マッコイ(ミッチェル・ライアン)も射殺された。親友マッコイの仇をを討つためにも、ハリーは捜査に全力をあげた。そしてとうとうその尻尾を掴んだ。犯人はベン・デービス(デイヴィッド・ソウル)、ジョン・グライムス(ロバート・ウィック)、フィル・スイート(ティム・マティソン)、レッド・アストラカン(キップ・ニーヴェン)の4人の新米警官だった。だが、彼らは何ら悪びれた所はなく、自分たちはナマぬるい法律にかわって悪を裁いただけだと主張し、逆にハリーを脅しにかかった。犯人たちはハリーの証拠固めを妨害し、彼のアパートに爆弾を仕掛けた。間一髪でハリーは助かったが、相棒の黒人警官アーリー・スミス(フェルトン・ペリー)は即死だった。怒り心頭に達したハリーは上司のブリッグス(ハル・ホルブルック)に全ての証拠が揃ったことを連絡した。早速やってきたブリッグスの車で本署に向かおうとしたが、意外にもブリッグスは若者グループのリーダーだった。拳銃を取り上げられたハリーの後からは死刑執行人たちがつけてくる。一瞬のスキに乗じたハリーはブリッグスを叩きのめしハンドルを奪った・シスコの急坂で猛烈な追撃戦が始まった。ハリーは造船所に廃棄されていた空母の中へ逃げ込んだ。彼は血みどろに傷つきながらもついに一味をやっつけた。
<レビュー>
ダーティハリーはシリーズは2までが面白いというのが定説である。
ぼくもだいたいそうだなあと思う。
ただ厳密にいうと、3以降がつまらないというより、3がつまらない。
4で少し持ち直している。
まあそれでも2までの面白さは無い。
パート1でのドン・シーゲルのダイナミックな演出は素晴らしかった。
ただし、2のテッド・ポストも頑張ったと思う。が、スケール感はやや減退した印象。
44マグナムがドーンとアップに映し出されてはじまるオープニングが素晴らしい。
だがそれにしても、2以降は西部劇みたいなノリになってしまっている。
良い悪いの話ではないが、個人的には1の重苦しさを継承して欲しかった。
まあこの作品だって他の刑事モノに比べれば重苦しいのではあるが。
単純にアクション映画としてかなり面白い。
ハイジャック、カーアクション、ラストの銃撃戦、すべてに興奮。
話も良く出来ていて面白い(脚本はジョン・ミリアスとマイケル・チミノ!)。
1から3への橋渡し的な印象。
過渡期を経て、このあとダーティハリーは完全なエンターテイメント映画に移行するのである。
★★★★★
駿河シカヲ
今回は「椿三十郎」である。
昨日洋画劇場でやってましたね。
録画して観ましたよ。
黒澤明の有名な作品を、才能が枯渇したといわれて久しい森田芳光監督がリメイク。
勇気ありますな。
<公式HP>
http://www.tsubaki-sanjuro.jp/index.html
<作品解説・詳細>
椿三十郎 - goo 映画
深夜の社殿の中で、井坂伊織ら9人の侍が上役の汚職を暴き出そうと密談していた。意気が上がる若侍たちの前に社殿の奥から1人の浪人が現れた。粗末な身なりに口も悪く、腹が減っていると見える。しかし、話を聞くうちに、井坂は浪人に類のない頭の切れを感じ、仲間に加わって欲しいと頼む。反対する侍もいたが、井坂は三十郎と名乗るその素浪人にえもいわれぬ魅力を感じていた…。
黒澤明監督の名作『椿三十郎』が森田芳光監督の手により、時代を超えて帰って来た。主演は、織田裕二、豊川悦司ら今の映画界をリードする若き侍たちだ。ある夜、密談する若侍たちの前に現れた男は、一見、無精ひげを生やした素浪人だが、類まれなユーモアで人を挽き付け、卓越した知識と剣の腕前で危難をなぎ倒していく。三船三十郎が威圧感でグイグイ引っ張って行くのに対し、織田三十郎は、協調性で若侍たちを惹き付ける。時代の違いこそあれ、理想のリーダーとしての三十郎を作り上げている。また、仲代達矢が演じた室戸半兵衛を豊川悦司が颯爽と好演している。脇を固める風間杜夫、小林稔侍、藤田まことらの演技合戦も見ものだ。
<レビュー>この際、本家と比較するのはやめておきたい。
おそらく本家を超えたと思った人は一人もいないだろうし、
制作側も、そうは思っていないだろう。
なにしろぼくにしたって本家を観たのは十年も前の話である。
この映画において、重要なファクターが一つあって、
それは襖や障子の開け閉めである。
映画の中でひっきりなしにピシャン!ピシャン!と開いては閉まり、開いては閉まるたびにストーリーが次に展開してゆく。
襖や障子がいわば「どこでもドア」になっていて、あれが(あくまで小さな次元の)異世界への通用口になっている。
ぼくは話そのものより、それが気になって、途中から、はたしてこの映画の中で何回襖の開け閉めがあるのかを数えたくなった。
押入れに格納された捕虜の押入れ侍の存在は、この映画における襖の重要性を最も簡単にあらわしている。
ときどき押入れの襖をあけて、「すぐ引っ込みますからね」とか何とか言いながら、主人公たちにアドバイスして、そして「失礼しやした」といった感じで礼をして、また自ら襖をしめて押入れに引っ込む。
というように、空間から空間への移動をせずに、
襖や障子の開け閉めによって一芝居ができる、というのは日本の時代劇の優位性を物語っているようにも感じた。
敵の住む隣宅と水路で結ばれていて、そこから椿が流れてくればそれが襲撃の合図という発想は見事である。
脚本の勝利。
★★★☆☆
今回はフランシス・F・コッポラ監督の「地獄の黙示録・特別完全版」です。
ある意味では壮大な失敗作と言えますが・・・。
<作品解説・詳細>
地獄の黙示録・特別完全板(2001) - goo 映画
ベトナム戦争下、任務を遂行するアメリカ兵の狂気を描いた戦争映画の特別完全版。1979年に製作され話題を呼んだオリジナル版に、53分の未公開映像を加えて再編集されたディレクターズ・カット版。監督は、「ドラキュラ」のフランシス・フォード・コッポラ。脚本は、「今、そこにある危機」のジョン・ミリアス。撮影は、「タンゴ」のヴィットリオ・ストラーロ。音楽は、コッポラの父親である「ニューヨーク・ストーリー」のカーマイン・コッポラ。主演は、「スコア」のマーロン・ブランド、「シックス・ディ」のロバート・デュバル、「スポーン」のマーティン・シーン、「ブレイブ」のフレデリック・フォレスト、「スピード」のデニス・ホッパーほか。
※結末が記載されているので、注意!!
狂うような暑さのサイゴンの夏。ブラインドの降りたホテルの一室で、ウィラード大尉(マーティン・シーン)は空ろな視線を天井に向けていた。505大隊、173空挺隊所属、特殊行動班員である彼に、それからまもなく、ナ・トランの情報指令本部への出頭命令が下った。本部では3人の男が彼を待ちうけており、そのうちの1人がウィラードに、今回の出頭目的を説明した。それは第5特殊部隊の作戦将校であるウォルター・E・カーツ(マーロン・ブランド)を殺せという命令だった。カーツはウェストポイント士官学校を主席で卒業し、空挺隊員として朝鮮戦争に参加、数々の叙勲歴を持つ軍部最高の人物であったが現地人部隊を組織するという目的でナン川上流の奥地に潜入してからは、彼の行動が軍では統制できない異常な方向へと進んでいった。情報によると彼はジャングルの奥地で原地人を支配し、軍とはまったく連絡を絶ち、自らの王国を築いている、というのだ。そのアメリカ軍の恥である錯乱者カーツを暗殺しなければならない、というのが軍の考えだった。この密命を受けた若い兵士ウィラードは、4人の部下、クリーン(ローレンス・フィッシュバーン)、ランス(サム・ボトムス)、シェフ(フレデリック・ホレスト)、チーフ(アルバート・ホール)を連れ、巡回艇PBRに乗り込んだ。まず、ウィラードは、危険区域通過の護衛を依頼すべく、空軍騎兵隊第一中隊にキルゴア中佐(ロバート・デュヴァル)を訪ねた。ナパーム弾の匂いの中で目覚めることに歓びさえ感じているキルゴアは、花形サーファーであるランスを見ると彼にサーフィンを強要した。ワーグナーの“ワルキューレの騎行"が鳴り響く中、キルゴアの号令で数千発のナパーム弾がベトコン村を襲った。キルゴアのもとを発った彼らは、カーツの王国へとPBRを進めた。河岸に上陸するたびにウィラードに手渡される現地部隊からの機密書には、カーツの詳細な履歴と全行動が記されており、読めば読む程ウィラードには、軍から聞いたのとは別の人物であるカーツが浮び上ってきていた。王国に近づいたころ、クリーンが死に、チーフも死んだ。そして、王国についた時、ウィラードはそこで、アメリカ人のカメラマン(デニス・ホッパー)に会い、彼から王国で、“神"と呼ばれているカーツの真の姿を聞かされる。カーツは狂人なのだろうか。それとも偉大な指導者なのだろうか。ウィラードにもわからなかった。そして遂にカーツとの対面の日がきた。テープレコーダーや本に囲まれたカーツの元にやってきたウィラードは、軍の命令に従い、“神"と呼ばれる人間カーツを殺すのだった。
<レビュー>
なんというアンバランスな大作なのだろう。
カーツ大佐の登場前と後で、まったく違う映画のようだ。
途中までこりゃ傑作だなあとおもっていたのだが、カーツ大佐が登場してからは、
とにかくダルい。
だが、そんなことはどうでも良いのだ。
マーロン・ブランドが大したことないとか、ドアーズがどうだとか、
サイケデリックな演出がどうだとか、どうでも良い。
この映画で語るべき点は、以下の二つである。
その一: 実はカーツよりイカレている異常者、キルゴア中佐
この男の魅力は尋常ではない。約三十分の出演で、全部かっさらっていったような気がする。
とにかく観て欲しい。
気になる方は、これを見てくれ。
http://www.hawk13.jp/baka/kilgore/kilgore.html
地獄の黙示録を観たものは、みんな魔人キルゴアのファンになるのである。
その二:プレイガールズ降臨
プレイガールズが慰問するシーン。
光に包まれてヘリから降りてくるのだが、
何故か異常に美しいのである。
無駄に美しいのである。
映画的な戦慄。
ということで、こんなクソ長い映画を観るのが嫌だ、という人は、
この二つのシーンだけでも見て欲しい。
せめて、キルゴア中佐のでてくる三十分だけでも。
言ったことを二秒で忘れるキルゴア。
サーフィンをするためにベトコンの村を襲うキルゴア。
絶対に被弾しないキルゴア。
ワルキューレの音楽にのせて村を襲う時のスペクタクルな映像。
そして、ナパーム弾で森を一瞬で焼き払う時(無音)の凄まじさ。
あの三十分だけで、多分ゴッドファーザーpart3一本分ぐらいの価値はあると思うよ。
★★★★☆
ドン・シーゲル「ダーティ・ハリー」を観たよ。
<作品解説>
ダーティハリー(1971) - goo 映画
冷酷非情な殺人狂を追う、敏腕刑事の渇いた執念を描く。製作総指揮はロバート・デイリー、製作・監督は「真昼の死闘」のドン・シーゲル、脚本はハリー・ジュリアン・フィンク、リタ・M・フィンク、ディーン・ライズナーの共同、撮影はブルース・サーティーズ、編集はカール・ピンジトアが各々担当。出演はクリント・イーストウッド、ハリー・ガーディノ、レニ・サントーニ、アンディ・ロビンソン、ジョン・ヴァーノンなど。翻訳は高瀬鎮夫。
<レビュー>
ダーティハリーがそもそも気になったのは、約三年前のこと。
東京で購入した友部正人の「にんじん」というアルバム(超名盤)のタイトル曲「にんじん」を聴いたとき、
出だしがこんな歌詞だった。
ダーティー・ハリーの唄うのは
石の背中の重たさだ
片目をつぶったまま年老いた
いつかの素敵な与太者のうた
その昔君にも
生きるだけで
せいいっぱいの時があったはず
あげるものも もらうものも
まるでないまま
自分の為だけに生きようとした
それから三年間もの間、ぼくにダーティハリーを観る機会は訪れなかった。
ビデオ屋でレンタルすれば良いわけだから、観る機会をつくろうとおもえばいつでもできたのだ。
じゃあ何故その機会を作らなかったのかと問われても、
そんなの答えようがない。
ただ、「ダーティハリー」をレンタルしなかった、という事実しかそこにはないのであって、
その理由はどこにもないのである。
物事に理由が何でもあると思うなよ、とぼくは言いたいわけである。
果たして、「ダーティハリーが歌うのは石の背中の重たさ」だったのか。
観た後に答えはでているだろうと思ったが、
こうして、観終えて二日経った今も、正解が分かっていない。
分かったことは、「ダーティハリー」という映画が、
とにかく苦々しくてやるせない味のする作品であるということだ。
ブラック珈琲を何杯も何杯も飲んで眠れなくなった次の日の情景だ。
★★★★★
長江哀歌(エレジー)を観ました。
ジャ・ジャンクーは素晴らしい。
<公式HP>
http://www.bitters.co.jp/choukou/
<作品解説・詳細>
長江哀歌 - goo 映画
三峡ダムの建設のため、水没していく運命にある町、奉節。そこへ船に乗って一人の男がやってくる。彼の名はハン・サンミン。16年前に別れた妻子を探しに、山西省からやってきた炭鉱夫だ。様変わりしてしまったこの町で、サンミンは働き口を見つけ、妻探しを続ける。一方、2年間音信不通の夫を探しに、やはり山西省からやってきた女がいた。
デビュー作から一貫して社会に取り残されていく人々を描いてきたジャ・ジャンクー監督。『クイーン』などの話題作を抑えてベネチア映画祭でグランプリを受賞したこの新作でも、その彼の眼差しは変わらない。日本最大の奥只見ダムの65倍という、世界最大のダムとなる中国・三峡ダム。この一大国家事業は、経済発展の面からすれば人々に大きな貢献をもたらす。しかしその流域に住む100万人以上の住民が移住を強いられているのだ。一方、水没を前に解体されていく町には地方から多くの出稼ぎ労働者が集まり、本作のようなドラマも生まれていく。大きく見れば経済発展はいいことだろう。しかし世の中は変化を望む人々ばかりではない。「発展」に乗れずに置き去りにされていく人々もいることを、ジャ・ジャンクー作品は私たちに気づかせてくれるのだ。
<レビュー>この映画をドキュメンタリーとしてとらえても良いのかもしれない。
そう思っていながら観ていた中盤あたりで、事件は起こった。
奇妙なモニュメントがロケットのように飛んで行ったのだ。
しばらくあっけにとられていたが、すぐに気がついた。
これは、ドキュメンタリーではなく、映画なのだった。
あそこでおおがかりなフィクションを一発入れてしまう大胆さを何よりも評価したい。
それ以外にも記憶に残るシーンばかりだった。
人物の背景には、
長江の圧倒的な自然と、ダムに消えゆく瓦礫の街。
曇天と霧雨で青白い景色。
それだけでも観る甲斐があるのだが、
人物と風景の配置が見事に計算されている構図も完璧に近い。
街を解体する男たちはみな上半身裸である。
彼らは街を壊しながら、カンカンカンカンとリズムを刻んでいる。
町工場のプレス音が遠くでかすかに響いていた、あの頃の懐かしさに一瞬繋がって困った。
16年ぶりに、思ったよりそっけなく再会した夫婦。
対面で向かい合い、妻は夫に飴を手渡す。
邂逅の瞬間。
突然の遠い爆破音。
高層ビルが崩れ落ちてゆくのを二人が目撃する。
なんという素晴らしい画なのだろう。
★★★★★
夜中の12時から3時にかけて映画を観ることが多い。
近所を自転車で疾走している姿をよく目撃されている。
<マダム葵>
短期間でもの凄い本数の映画を観たりする。
夕方の花街でそそくさと歩く後姿を目撃されることがある。