塩田明彦監督『どろろ』を観ました。
<公式HP>
http://www.dororo.jp/
<作品解説・詳細>
どろろ - goo 映画
戦乱の世で天下統一の野望を抱く武将・醍醐景光は四十八体の魔物から強大な力を与えられるが、その見返りに生まれくる我が子を捧げた。やがて体の四十八ヶ所を奪われて生まれた赤子は捨てられ、呪医師・寿海の秘術によって救われる。身を守るため左腕に仕込まれた妖刀と同じ百鬼丸と名付けられた子どもは成長し、魔物を一匹倒すごとに体の部位が1つずつ戻る定めなのだと知る。魔物退治の旅に出た百鬼丸は野盗・どろろと出会う…。
百鬼丸もどろろも、戦の絶えない非情な世界で生き延びるためにやむを得ず仮の姿でいることを余儀なくされている。奪われた体の四十八ヶ所を取り戻すまで、あるいは本当の男に出会うまで本来の自分自身にはなれないのだ。巨匠・手塚治虫の原作漫画の世界を映像化するために、ニュージーランド・ロケを敢行して誕生したこのスペクタクルな活劇は、次々に襲いかかる魑魅魍魎も、妻夫木聡扮する百鬼丸が体の部位を再生させる毎に悶え苦しむ様も巧みに活写し、さらにスピード感溢れるアクションで魅せる。『HERO』『LOVERS』の辣腕チン・シウトンのアクション指導の下、全身でどろろを演じた柴咲コウの役者魂に拍手を。
<レビュー>
多分駄作なんだろうなあと、観る前に思っていた。
日本で大型予算の元に作られた映画はスベるというこのところの方程式にぴったりあてはまる映画なんだろうと思っていた。
まあ監督が堤幸彦だったら観ようとも思わないんだけれども、私の好きな塩田明彦が監督しているという一点に奇跡を託し、今回観るにいたったわけである。
ただやっぱり駄目だった。
駄作だった。
どうしようもない作品だった。
一応ドラマは濃い。
「失われた身体のパーツを回復するために旅にでる」という設定は興味深い(しかし手塚先生はなかなかグロいことを考えるね)。
でもその他何もかもが駄目で、やはり観るべきではなかったと後悔している。
昔の塩田明彦は面白かった。
『どこまでもいこう』『月光の囁き』『害虫』はまごうかたなき傑作である。
特に私のなかで『害虫』は人生の十本にはいる作品である。
また、『ギプス』というフェティッシュな作品も大変印象的な作品だった。
しかし、メジャーな作品を撮るようになってから、つまり『黄泉がえり』の頃からスベリだした。
『黄泉がえり』はまだ良かった。
一見すると、いわば「泣ける映画」に属するのだが、じつは「泣ける映画」という仮面をかぶった異常映画だからである。
通俗的なカリスマアーティストが山の上(阿蘇?)に大勢の人間を集めて、通俗的なカリスマっぽい曲を歌ってわけのわからない大団円をむかえるという、あの流れはカオスである。
素直に感動できないが、考えようによっては素晴らしい。
また、犬童一心の脚本も塩田明彦の演出も実験的かつ分かりやすく、質が高かったように思う。
続く『この胸いっぱいの愛を』は完全にスベっていた。
ただし、まああれは『黄泉がえり』のような形式のプロットをもう少し大胆かつ緻密にやろうとして失敗したのだろう。
で、その次の『カナリア』ではちょっと持ち直した感があった。
冒頭の、少年少女が出会うシーンは、本当にさわやかできらめいていて、あのシーンだけなら傑作と言える。
後半、少年の髪の毛がわざとらしく真白になるシーンには面食らったけれども、ああいうフィクションを無理やりに、そしてあっさりとねじ込んでしまう姿勢は良いと思った。
だが、やっぱりぼくが好きだったころの塩田明彦の作品からだんだんクオリティが下がっているような気はした。
そして今回の『どろろ』はもうちょっとついてゆけない。
メジャーにいってから、かえって実験的になっているような気がしなくもないところは流石だとは思うが、
ここでもう一度メジャーから下野して、低予算で個人的な作品を作って欲しい。
具体的に何がだめだったのか、いっさいここで語っていないが、
まあそれはもう面倒なので割愛します。
それが一番大事なのに。
★★★☆☆
夜中の12時から3時にかけて映画を観ることが多い。
近所を自転車で疾走している姿をよく目撃されている。
<マダム葵>
短期間でもの凄い本数の映画を観たりする。
夕方の花街でそそくさと歩く後姿を目撃されることがある。