宇多丸のラジオをポッドキャストで聴きながら書き始めています。
山田洋次監督『隠し剣 鬼の爪』のレビューです。
<作品解説・あらすじ>
隠し剣 鬼の爪 - goo 映画
幕末の東北。海坂藩の平侍、片桐宗蔵(永瀬正敏)は、母と妹の志乃、女中のきえ(松たか子)と、貧しくも笑顔の絶えない日々を送っていた。やがて母が亡くなり、志乃ときえは嫁入りしていった。ある日宗蔵は、きえが嫁ぎ先で酷い扱いを受けて寝込んでいることを知り、やつれ果てたきえを背負い連れ帰る。その頃、藩に大事件が起きた。かつて、宗蔵と同じ剣の師範に学んだ狭間弥市郎が、謀反を起こしたのだ。宗蔵は、山奥の牢から逃亡した弥市郎を切るように命じられる…。
アカデミー外国語映画賞にノミネートされた『たそがれ清兵衛』から2年、山田洋次監督が、再び藤沢周平の小説をスクリーンに映し出した。原作は、隠し剣シリーズの「隠し剣鬼ノ爪」と、男女の愛を描いた短編「雪明かり」を組み合わせたもので、山田監督らしい綿密な人間描写やコミカルな要素が取り入れられ、重層的なドラマが展開していく。「山田組」の撮影現場は上出来以上のものを要求されることで知られているが、主演の永瀬正敏は、マゲのために本当に頭を剃りあげたほど、熱を入れて宗蔵役に挑んだ。
愛する者の幸せを願う心、世の理不尽に悔しさをかみ締めながら信念に生きる人間たちの姿は、『たそがれ清兵衛』同様に、観客の胸を震わせるだろう。庄内弁の柔らかさも心地よいが、セリフ一言に人物の表情が現れて、粋を感じることが出来る。冨田勲氏の壮麗な音楽も心を打つ。
<レビュー>
2000年代に入ってから、山田監督は藤沢周平の時代小説を映画化した作品を三本撮っている。
それが2002年『たそがれ清兵衛』であり、2004年『隠し剣 鬼の爪』であり、2006年『武士の一分』である。
今回レビューする『隠し剣 鬼の爪』は、他の二作品と比べ幾分地味である。
『たそがれ~』と『武士の~』は大きな話題になったが、『隠し剣~』は大きな話題にならなかった。
まあ、『たそがれ~』は米国アカデミー賞の外国映画部門にノミネートされて作品自体が評価され、『武士の一分』はキムタク主演ってことで公開前から大きな話題になったわけで、それに比べるとこちらは地味なのはまあ仕方がない。
しかしですね、この作品もなかなかやりよるのです。
藤沢周平三部作の山田洋次はそれまでの凡庸極まりない作品とは違ってなかなかのセンスを発揮している。
この作品のクライマックスが凄い。
そう、今回はこれを語りたいのだ。
これが凄いのです。
いいですか、『たそがれ~』の真田広之と田中泯の決闘シーンがありますね。これからも語り継がれるであろう、緊張感に満ちたあの有名なシーンです。
しかしですね、場合によっては、『隠し剣 鬼の爪』のクライマックス、つまり、あの一瞬のシーン、わかりますかね、永瀬正敏が緒方拳を暗殺するシーン、これはね、ある意味『たそがれ~』のクライマックスを個人的には遥かにしのぐ名シーンだと思っているわけです!
このシーンは、観なさい!
このシーンだけでもいい。それだけで十分だ。
これは日本映画史上に残る名シーンですよ個人的には。
山田洋次といえば、もうこれですよ。
はっきり言ってぼくは山田洋次は駄目な監督だと思うのです。
『幸福の黄色いハンカチ』なんて吐き気がするぐらいの駄作だと思うし、『キネマの天地』とか『寅さん』シリーズや『学校』シリーズなんていうのは平板極まりない演出に辟易するわけです。
けれどね、あの一瞬の素晴らしいシーンだけ、あれだけでぼくはもう山田洋次は良い監督だと後世に伝えようと決心したわけです。
わかりますか。
そのぐらいの素晴らしいシーンです。
映画を観たらやっぱりゾクゾクしたいでしょう。
それならとりあえず、この作品の暗殺シーンを観なさい!
で、例によってヒロインの評価をしたいのですが、
まずその前に『たそがれ清兵衛』のヒロイン宮沢りえと『武士の一分』のヒロイン壇れいは凄く良いということを言っておきます。
そんでもって今回の松たか子も上記の二人と同じようなたたずまいのヒロインを演じている。
つまり、まあおおざっぱに言えばおしとやかで家事ができてしっかりしていて優しくて芯が強いっていう、いわば我々の好む典型的な、ステレオタイプの正しいヒロインです。
ただやっぱり宮沢りえや壇れいに比べるとどうしても華がないっていうか、まあ凄く頑張っているんですがね、というかそもそも松たか子の顔をそこまでぼくが美人だと認めていないというのが大きいんだけど、つまりはもう一歩、惜しい!ってことです。
でも頑張ってます。
いいと思います。
しかし、それにしても最後に出される必殺技(隠し剣)が強烈です。
いやあゾクゾクする。
(追記)
これらの三部作は、演者の身体的な優位性を第一に撮っている部分が結果的に正解、ということが共通して挙げられる。
『たそがれ~』の決闘シーンは真田広之の運動神経の良さと田中泯の前衛舞踏家としての所作のセンスが長いカット割りでおさめられているし、本作の暗殺シーンも、シュン!と切ったあと、俯瞰シーンで見せている。つまり緒方拳と永瀬正敏の動きだけで見せているのだ。
切って、立ち去る永瀬正敏。切られて倒れる緒方拳。
この撮り方が非常に大胆かつ繊細で素晴らしいのは、動きを俯瞰でしかも僅かな採光で撮っているからだ。
両者の動きだけが純粋に昇華されて見える。
★★★★☆
『北の国から '92巣立ち』です。
今更です。
あのとき一気にレビューしておけばよかった。
<作品解説>
(amazonより)
都会を捨て、北海道の富良野の奥地で生活を営む黒板五郎と、彼の2人の子供たちの成長、そして周囲の人々の人生をも描いていく人気ドラマシリーズのスペシャル版第5作。蛍を富良野の病院に就職させたい五郎だったが、蛍本人は恋人の発案でもある札幌行きとの間で揺れる。純は東京のガソリンスタンドで働きながら、知り合った女の子を妊娠させてしまう。子供たちを心配しつつも、これまで以上に控えめに、親元を巣立っていく彼らを静かに見守る五郎の姿が胸を打つ。また、正吉、こごみ、さらには五郎の妻で純と蛍の母である令子といった懐かしい人々も登場、シリーズのある段階での集大成的な側面も持つ作品である。
http://www.amazon.co.jp/%E5%8C%97%E3%81%AE%E5%9B%BD%E3%81%8B%E3%82%89-92-%E5%B7%A3%E7%AB%8B%E3%81%A1-DVD-%E7%94%B0%E4%B8%AD%E9%82%A6%E8%A1%9B/dp/B00007BKQE
<レビュー>
とにかく周りに北の国からシリーズを観ている人が少ないと。
で、この作品は良くも悪くも印象的なシーンが多いので、いろいろ語れることが多いと。
だから観て欲しいと、周りにすすめまくっているっていう話だったんですが、
このひと月の間、北の国からを忘れておった。
いやしかしね、この『巣立ち』はどうだろうね。
ちょっと停滞ぎみかな。
いや、話は進むんですよ。
みんな成長するんです。
悲しいほど青春ですよ。
ドラマティックですよ。
でも、どこかしら退屈。
「誠意って何かね」
北の国からで、最も有名なセリフかもしれません。
このセリフがついに登場します。
ここがね、このセリフは特に好きじゃないんですが、
このセリフをしゃべっている菅原文太に土下座する五郎が死ぬほどわびしいんですわ。
そして、自分の不始末に頭を下げる父親を悲しく思う純の情けなさですわ。
たまんないですわ。
人間って悲しいですわ。
草太兄ちゃんの結婚のあたりは非常に駄目な感じ、ドラマ的にチープな感じで、そこがいい感じ、やな感じですわ。
あーもう「感じ」だけで語りたいわ。
正直このブログ面倒くさいんですわ。
でも続けることに意義があるんですわ。
しかしね、この先も知っているからなんですが、
純は本当に情けないよね。
まるで情けないよね。
でも、みんなだって情けないよね。
★★★★★
<ウィキペディアの紹介>
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8C%97%E3%81%AE%E5%9B%BD%E3%81%8B%E3%82%89
<レビュー>
何故ぼくは『北の国から』をこれほどまでに観て欲しいと思っているのか。
周囲の人に、誰彼構わず奨めまくっているのだけれど、全員がこのドラマを観て感動してくれるとは思っていない。
むしろ、北の国からを観て、たいして面白くないという感想を持つ人の方が、かえって多いような気がする。
作品に怜悧さはない。
センスも良くない。
演出面に関して言うと山田洋次などの映画に似た愚鈍さに満ち溢れている。
これをTVドラマとしてではなく、映画として鑑賞した場合、せいぜい寅さんぐらいの評価であろう。
だのに何故周囲の人に観て欲しいと思っているのか。
いろいろ考えた結果、「『北の国から』には、とにかく印象的なシーンが多く、それだけに語り合いたくなるのではないだろうか」という答えに行きついた。すっきりした。
それが名シーンかどうかはわからない。ただ、印象に残る。そんなシーンの目白押しなのが、『北の国から』シリーズなのである。
それで、'89帰郷である。
'87初恋では、純が初恋をするのであったが、今回は年頃になった蛍にも初恋の嵐が訪れる。
前回は割と脇役に徹していた彼女に訪れた青春の輝きを見逃すな!
突然だが、今日は調子が悪いのでこれにて!
とにかく観ろ!
そして、語り合おう!
★★★★★
北の国からにどっぷり浸かっています。
'87初恋から見返しております。
<wikipediaによる解説>
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8C%97%E3%81%AE%E5%9B%BD%E3%81%8B%E3%82%89
<レビュー>
とりあえずこのブログでは私が観た映画に、片っ端から感想を述べているのだが、
だからといって映画をすすめているわけではない。ある意味忘備録の役目になっている。
しかし、「北の国から」シリーズに関しては違う。
これは、観て欲しい。
観て下さい。
映画観なくていいから「北の国から」を観て下さい。
'87初恋はシリーズ屈指の名作である。
一番見ごたえがあるかもしれない。
純が思春期をむかえたとき、れいちゃんが現れる。
れいちゃんは、これまたシリーズ屈指のヒロインである。
シリーズにでてくる純の恋人のなかで、れいちゃんがもっともヒロイン然としたたたずまいがある。
そして純は、初恋をする。
初恋ってのはつまり読んで字のごとく、生まれて初めての恋なのです。
わかりますか。
最高のボーイミーツガールなのです。
この大長編ドラマにおいて、初恋は一度しかないのです。
貴重なのです。
れいちゃんはある事件がきっかけで、失踪します。
凄く悲しい事件がおこるのです。
で、純もれいちゃんも、尾崎豊が好きなんですがね。
純は尾崎豊のテープを持ってないのです。
ウォークマンもないのです。
れいちゃんがいなくなった後、純は二人の想い出の場所に行くのです。
すると、そこにはれいちゃんからのクリスマスプレゼントが。
袋を開封すると、ウォークマンが。
再生すると、尾崎豊の「I LOVE YOU」が。
尾崎豊ってだけでダサいなんて言うな!
ここは二人の純粋に、二人の初恋の嵐に号泣するところなのです。
ちなみにこのあとシリーズ中大事なところでI LOVE YOUが流れます。
それだけ、純の人生で尾崎豊のI LOVE YOUは大事な曲なのです。
みなさんに、自身の青春を彩った一曲はありますか。
あったほうが素敵ですよね。
なんでもいいんです。
痛いけれど優しくなれるときもあるでしょう。
時間は残酷だけれど、ときに優しくもなるんだ。
そんなことを、私の尊敬する、とあるミュージシャンが歌っておりました。
そして、もう一つ、日本ドラマ史上に残る素晴らしいラストシーンがあります。
これはもうみなさん是非この目で見て確認してください。
そして、観終わったあと、私に是非ご一報ください。
大いに語ろうじゃありませんか。
「北の国から」はとにかく語りたくなる映画です。
まだ観たことのない人は、観て下さいお願いします。
ちなみに蛍は本当に大人びていますね。
よくあんな子役を見つけたものだ。
★★★★★
松尾スズキ監督「クワイエットルームにようこそ」を観ました。
<公式サイト>
http://www.quietroom-movie.com/
<作品解説・詳細>
クワイエットルームにようこそ - goo 映画
佐倉明日香は28歳のフリーライター。ようやく手にした署名コラムの執筆は行き詰まり、同棲相手ともすれ違いが続く微妙な状態。そんなある日、明日香は気がついたら、真っ白な部屋のベッドに拘束されていた。やってきたナースに「アルコールと睡眠薬の過剰摂取により、丸2日間昏睡状態だった」と説明されても、記憶があちこち欠如した明日香は戸惑うばかり。だが非日常的な空間で見知らぬ人々と出会ううち、明日香の中で何かが変わり始める…。
劇作家、俳優、コラムニスト、小説家などマルチな才能を持つ松尾スズキ、待望の長編監督第2弾。しかも今回は、芥川賞候補になった自作小説の映画化だけに、松尾ワールド全開だ。ちょっと風変わりな人々が繰り広げる、ゆる~い笑いの奥から現れるのは、意外にもリアルで等身大の“人間”たち。舞台が精神病院の閉鎖病棟だけに、ともすればへビーになりすぎる内容だが、役柄を自分のものにしてサラリと演じきった俳優たちと、監督の絶妙なお笑いセンスで、軽やかに仕上がっている。特に“ごく普通の28歳”(本当は違うけど…)を自然体で演じた内田有紀が、彼らの世界と私たちの日常は紙一重なんだ、と感じさせてくれる。それにしても蒼井優の“患者ぶり”は、真に迫りすぎていて怖いほど。必見!
<レビュー>
こういう雰囲気の映画が最近の邦画の主流なんですかね。
シリアスな内容を演劇風のコメディタッチで仕上げる感じ。
ぼくはこの流れをなんとしてもストップして欲しいのです。
そもそも松尾スズキは才能はあっても映画的なセンスが無いと思うのです。
単純に好みの問題もあるんだけど、それにしても駄目だと思います。
これはクドカンにも言えることです。
でも、恋の門よりは楽しめた。
演者が良かったからでしょう。
内田有紀の評価が高いようですが、それは内田有紀が思いのほか頑張っていたってだけの話で、
主役だったらあのぐらいは当たり前だと思うのです。
やっぱり凄いのは蒼井優ですね。
彼女はいつも凄いですね。
「リリィシュシュのすべて」ではじめて彼女をみてからずっといいなあと思っているのですが、それにしてもあの作品で同じくデビューした市原隼人くんとはすっかり正反対のベクトルにいってしまいましたね。
大竹しのぶはやっぱり何をやらせても役者ですね。
達者なのは分かるのですが、良くも悪くも、自然な人間ではなく、役者としての人間になってしまいます。
まあでも見ごたえがあって良いです。
そして何より良いのは平岩紙さんです。
ぼくは松尾スズキの映画は好きじゃないけど、松尾スズキの劇団の役者は実のところ大好きです。
荒川良々なんかはもう最高ですね。
山本浩司、山本剛史、そして大人計画の荒川良々が日本現代映画の三大怪優だと思っております。
で、大人計画の最終兵器が平岩紙さんです。
彼女は決して美人ではないのだけれど、なぜかかわいいのです。
なぜかぼくの心を掴んで離さないのです。
この不思議な魅力はなんなのでしょう。
恋をするとき、なんでこの人のことを好きなんだろうってふと思うときがあるのです。
でも結局わからない。
その気持ちと似ている。
ああ、平岩紙さん。
素晴らしい。
★★★☆☆
最近何を観たのか覚えていません。
記憶を辿って少しづつ更新してゆきます。
今回はコッポラの「ゴッドファーザーpart.1」です。
<作品解説・詳細>
ゴッドファーザー(1972) - goo 映画
1282年、当時フランスに支配されていたシシリー島の住民が秘密組織をつくって反乱した時の合い言葉だったといわれる“MAFIA"は、19世紀に入り、“犯罪組織"としてイタリアの暗黒街に君臨するようになった。そしてイタリア系の移民として、この組織もアメリカに渡りアメリカ・マフィアが誕生した。その組織はシシリーやナポリ出身者またはその子弟で構成されており、組織の頂点にファミリー(家族)がありボスがいる。アメリカ・マフィアの年収は200億ドルといわれ、ギャンブル、合法企業の金融、運輸、スーパーなどを経営している。「ゴッドファーザー」はそうした巨大なマフィアの内幕を描いたマリオ・プーゾのベストセラーの映画化である。製作はアルバート・S・ラディ、監督は「雨のなかの女」のフランシス・フォード・コッポラ、脚本はコッポラと原作者のマリオ・プーヅォ、撮影はゴードン・ウィリス、音楽はニーノ・ロータが各々担当。出演はマーロン・ブランド、アル・パシーノ、ジェームズ・カーン、リチャード・カステラーノ、ロバート・デュヴァル、スターリング・ヘイドン、ジョン・マーレイ、アル・マルティーノ、モーガナ・キングなど。
コルレオーネ(マーロン・ブランド)の屋敷では、彼の娘コニー(タリア・シャイア)の結婚式が行なわれていた。一族の者を始め、友人やファミリーの部下たち数百名が集まった。ボスのドン・ビトー・コルレオーネは、書斎で友人たちの訴えを聞いている。彼は、相手が貧しく微力でも、助けを求めてくれば親身になってどんな困難な問題でも解決してやった。彼への報酬といえば、友情の証と“ドン"あるいは“ゴッドファーザー"という愛情のこもった尊称だけだった。そして彼の呼び出しにいつなりとも応じればよいのだ。これが彼らの世界であり、その掟だった。ドンのお気に入りの名付け子で、歌手として成功したが今は落ち目になっているジョニー・フォンテーン(アル・マルティーノ)もその1人だった。新作映画で彼にきわめつけの役があり、俳優として華々しくカムバックできるに違いないのだが、ハリウッドで絶大な権力を持つプロデューサー、ウォルツ(ジョン・マーレイ)からその主役をもらえずにいた。フォンテーンの窮地を知ったドンは静かにうなずいた。ある朝、目を覚ましたウォルツはあまりの光景に嘔吐した。60万ドルで買い入れた自慢の競走馬の首が、ベッドの上に転がっていたのだ。それからしばらくしてフォンテーンの許に、その新作の大役があたえられた。ある日、麻薬を商売にしている危険な男ソロッツォ(アル・レッティエーリ)が仕事を持ちかけてきた。政界や警察に顔のきくドンのコネに期待したのだが、彼は断った。だがソロッツォは、ドンさえ殺せば取引は成立すると思い、彼を狙った。早い冬の夕暮れ、ドンは街頭でソロッツォの部下に数発の銃弾を浴びせられたが一命はとりとめた。これはドン・ビトー・コルレオーネに対する挑戦だった。ソロッツォの後にはタッタリア・ファミリーがあり、ニューヨークの五大ファミリーが動いている。こうして1947年の戦いが始まった。末の息子マイケル(アル・パシーノ)は、一族の仕事には加わらず正業につくことを望んでいたが、父の狙撃が伝えられるや、家に駈けつけ、偶然にも2度目の襲撃からドンの命を救った。ドンの家では長男のソニー(ジェームズ・カーン)が部下を指揮し、ドンの復讐を誓ったが、一家の養子で顧問役のトム・ハーゲン(ロバート・デュヴァル)は、五大ファミリーとの全面戦争を避けようと工作していた。やがてソロッツォが一時的な停戦を申し入れてきた。だがソロッツォを殺さなければドンの命はあやうい。マイケルがその役目を買ってでた。ソロッツォ殺しは危険だが失敗は許されない。彼はこの大役を果たし、シシリーへ身を隠した。タッタリアとの闘いは熾烈をきわめ、ソニーは持ち前の衝動的な性格が災いして敵の罠に落ち、殺された。そんななかでドンの傷もいえ、和解が成立した。ドンにとっては大きな譲歩だが、マイケルを呼び戻し、一家を建て直すためだった。2年後、アメリカに帰ったマイケルは、ドンのあとを継ぎ、ボスの位置についた。ファミリーは縄張りを荒らされ、ゴッドファーザーの過去の栄光がかろうじて崩壊をくいとめているという状態だったが、マイケルの才能は少しずつ伸び始め、勢力を拡大しつつあった。ある日曜日の朝、孫と遊んでいたドンが急に倒れた。偉大なるゴッドファーザー、ドン・ビトー・コルレオーネは、多くの人々が悲しみにくれる中で安らかに死を迎えた。しかしマイケルの天才的な頭脳で練られた計画によってライバルのボスたちは次々に殺され、その勢力は一向に衰えなかった。彼の横顔は冷たく尊大な力強さにあふれ、部下たちの礼をうけていた。“ドン・マイケル・ゴッドファーザー"
<レビュー>
ところでハンマースホイの絵画は、部屋が描かれていることが多いのだが、大抵ドアが開いている。
手前のドアが開いていて、その奥のドアも開いていて、一番向こうの窓から光が射している構図の有名な絵がある。
開放的なのに、寂漠としていて極めて閉ざされた個人セカイ的な感覚は一体何なのか。
対してゴッドファーザーpart.1の有名なラストシーンは、開かれたドアがゆっくりとシャットアウトされるという分かりやすい断絶の演出。
コルレオーネ家の未来予想図が暗示されたあのシーンはドラマチックでゾクゾクする。
扉という装置は映画に限らず、視覚的演出効果として非常に有効な手段なのである。
part.1で私が最も好きなのは冒頭の約30分間の結婚式シーンである。
あの結婚式でビトをはじめとするコルレオーネ家の個々のキャラクターやコルレオーネ家の勢いやなどが全部説明されているのである。
が、その演出能力が凄いから好きなのではない。
よくわからないけれどあのシーンが好きなのだ。
part.1に限っては、まず結婚式のシーンをみたいがために私はゴッドファーザーのDVDを借りる。
次に観たいのはマイケルがはじめて人殺しをするシーン。
そして次に観たいのがゴッドファーザー襲撃のシーン。
それから馬の生首のシーン(このシーンはホラー映画のような演出手法がとられていて、毎回ドキドキする)。
つまり私のなかではpart.1の魅力はだいたい前半部に凝縮している。VHSで言えばマイケルの人殺しシーンまでですね。
もちろん、後半だってシチリア島でのエピソードも面白いし、ビトの死去もあるし、洗礼式の日にライバルマフィア達を粛清してしまうくだりもあって飽きない。
まあとにかく、この先死ぬまで何度も見続ける映画でしょう。
★★★★★
「陰日向に咲く」を観た。
つまらん。
<公式サイト>
http://www.kage-hinata.jp/index.html
<作品解説・詳細>
陰日向に咲く - goo 映画
ギャンブル好きが高じて借金まみれになったシンヤ。上司から援助を受けるも、パチンコで使い果たしてしまった。会社から見放され、取り立てに追われるシンヤは、オレオレ詐欺で金を稼ごうとする。しかし、電話に出た老婆がシンヤを自分の息子と思い込んで話し始め、二人の間に奇妙な交流が始まる。悲しく優しい老婆の声にシンヤはカネをせびるのも忘れ…。
劇団ひとり原作の小説が映画に。東京に暮すダメな人たちの人生に焦点を当てた群像劇。借金返済のためにオレオレ詐欺に手を染める青年、C級アイドルを追いかけるオタク少年、家族と世間を捨てた男、夫に逃げられ子供も亡くした孤独な老女…日陰でも懸命に生きる人々を温かい目線で描いている。主演は岡田准一、宮崎あおい、西田敏行、三浦友和ら。岡田准一のオレオレ詐欺にはかなり心が痛いかも。イケメンなのに出過ぎない“引き”の演技が光る。また、それぞれの登場人物たちがクライマックスで繋がるという練られたストーリー展開に唸らされた。監督は、堤幸彦監督に師事し『そのときは彼によろしく』で長編デビューした平川雄一朗。
<レビュー>
しかし、平川雄一朗って監督は最低だね。
なんだこのくそつまんねー映画は。
今年観た映画でいまのところ間違いなくぶっちぎり最低。
いろんな意味で最低。
後半一時間ずっと泣かせようと必死だもん。
馬鹿じゃねーの。
音楽うぜえし。
なんなの?
監督は本当の馬鹿なんだね。
俺の嫌いな堤幸彦の弟子なんだね。なるほどね。道理で最低なわけだ。
前半はまだ、いいです。
まあ、借金まみれのダメ人間のV6岡田君はもっと徹底的に陰惨であるべきなのだが、
そんなに期待してないんで別にいいです。
しかし後半一時間のかったるさときたら、なんなんでしょう。
テレビドラマなんかにありがちな糞みたいなクライマックスエンディングがずっと続くんです。
ぼくは「人にやさしく」というフジテレビのドラマがほんとうに大嫌いなのだが、
あれ以来のむかつきです。
しかし、世間の評価はそんなに悪くないようですな。
だからぼくはあえてこの評価を下そう。
星ひとつ。
★☆☆☆☆
駿河シカヲ
宮崎駿監督「紅の豚」を観ました。
<作品解説・詳細>
紅の豚(1992) - goo 映画
20年代のイタリアを舞台に、豚に変身してしまった飛行機乗りの夢とロマンを描いたアニメ。原作・脚本・監督は「魔女の宅急便」の宮崎駿。作画監督は賀川愛と河口俊夫が共同でそれぞれ担当。
※ストーリーの結末が記載されているので注意!
第一次大戦時、イタリア空軍のエース・パイロットだったポルコ・ロッソ。彼はある事がもとで自分に魔法をかけ、豚に姿を変えた。今ではアドリア海にはびこる空賊を捕らえる賞金稼ぎ。その彼を煙たがる空賊達はポルコを倒すため、アメリカのパイロット、ドナルド・カーチスを雇い入れた。腕はやたら立つくせに、どこか陽気で女に惚れっぽい気のいい奴だ。彼は、エンジンの不調に手を焼くポルコを待ち伏せて、まんまと撃墜に成功する。ポルコのかつての飛行機仲間であり、今はホテル・アドリアーノのマダムであるジーナに一目惚れしていたカーチスは、ポルコがいない間に彼女に言い寄るが、私には待っている人がいると、あっさりかわされてしまう。ポルコは壊れた愛機を馴染みの修理工場ピッコロ社へと運び込む。そこで出会うピッコロの孫娘・フィオ。艇の設計改造をやるという彼女に、ポルコは一旦は憤慨するものの、熱意に満ちた彼女に負けて全てを任せてしまう。快活で屈託のない彼女の姿がポルコには新鮮に映った。そして完成したポルコ艇は想像通り完璧だった。やがてフィオはポルコ艇に乗り込み、彼と行動をともにする。蘇った艇を操り、ようやくアジトに戻ったポルコたちを待ち受けていたのは、例の空賊どもだった。地上でポルコを襲う彼らの卑劣さにフィオは激怒し、彼らにポルコ対カーチスの再試合を迫る。そこへ颯爽と登場するカーチス。高飛車に出ようと格好をつけるカーチスだったが、フィオを見るなり再び一目惚れ。彼女を賭けるという条件で話に乗ってしまう。決闘の前夜、ポルコはフィオにせがまれるままに、第一次大戦での体験を語った。そして遂にやって来た決闘当日、大勢の空賊やフィオに見守られながら大空中戦を繰り広げるポルコとカーチス。果ては2人の殴り合いとなりポルコはカーチスを倒すのだった。
<レビュー>
だから今回は本作の脚本や演出や印象的なシーンや登場人物のキャラクターなどには一切触れず、本作の上映時間に焦点を絞ることにする。
紅の豚の上映時間は約90分である。
90分が今のぼくにとっては最もベストな時間だ。
120分だと長い。
ちなみに押井守は90分という長さこそが映画上映時間の黄金律であるという信条を持っていて、90分におさめるためにシーンをバッサバッサと容赦なくカットしてゆくらしい。
ゴダールに言わせると、映画は「1秒間に24の死」なのである。
現在はVHF、DVD、その他録画機能が家庭に普及しているから、気になったシーンを巻き戻し再生できるけれども、映画館でしか映画を観ることができなかった昔は、シーンひとつひとつを克明に記憶しようとする想いが強かったと考えられないこともない。
動体視力もためされるわけだ。
映画を観るということは、「1秒間に24の死」があるという映画の持つ恐怖に耐えることであり、その恐怖に耐えたものだけが映画を語る資格がある、というのは蓮實重彦の弁。
これは非常に鋭い指摘である。
蓮實氏などは評論家だから「1分間に24の死」という映画の定義に尚更敏感に反応したのだろう。
昔の映画評論家は現在のように何度も見直しながら映画評論の原稿を書くことができなかっただろうから。
一瞬一瞬を平気で見逃す人間は映画を観たことにはならない。
これは恐るべき忠告である。
画面に何が映っているのか、そして何が画面から消え去ったのか、ただそれを注視するだけで本来精一杯なのではないか。
これを実践していると、今のぼくでは90分が限界なのです。
要は集中力の問題なのです。
ヘトヘトで仕事から帰ってきて、夕飯を食べてシャワーを浴びたら映画を観るのがだいたいの日課なのだが、よっぽど面白い映画でないと一時間を過ぎたあたりで眠くなってくるのです。
最近は二日間に分けて観たりします。
今日だってヴェンダ-スのランドオブプレンティという素晴らしい作品を一時間で中座しているのです。
残りは明日観るのです。
だから、ぶっちゃけ60分でいいんです。
でも60分にまとめるのは難しい。
だから90分で手を打とう、ということなのですね。
ということでした。
「紅の豚」は言うまでもなく、90分の名作です。
★★★★★
「偶然にも最悪な少年」を観ました。
監督はグ・スーヨン。知らない。
<作品解説・詳細>
偶然にも最悪な少年 - goo 映画
17才のヒデノリ(市原隼人)は、幼い頃からいじめられっ子の韓国人。この日、万引きの現場を押さえられていた真っ最中、タローに出会い、仲良くなる。18歳の由美は、厭世的で強迫性障害持ち。ヒデノリとタローとは、ボウリング場で出会うが、印象は最悪。ある日、ヒデノリの姉・ナナコが手首を切って自殺した。「姉ちゃんに韓国を見せてやりたい」。早速ヒデノリは、偶然再会した由美と、運転手役のタローを巻き込み、ナナコの死体を連れて博多へと向かうことにするが…。
どっから見ても頼りなくて、どう考えても非常識な、行き当たりばったりの長距離ドライブ。乗車しているのは、地に足の着かない3人の若者と魂の抜けた一体の死体。とんでもなく奇抜で突飛なストーリーが、優しく、テンポよく進んでいく映画、『偶然にも最悪な少年』。監督は、CM界で強烈な才能を発揮してきたグ・スーヨン。脚本は、コピーライターとして世間を惹きつけてきた、スーヨン監督の実弟、具光然。2人のコンビネーションが見事に調和して、繊細ながらもパンチの効いたコミカルなドラマが出来上がった。
主演には、キレたキャラクターを思い切り演じた市原隼人、実力と存在感を増してきた池内博之、そして、音楽界で不思議なカリスマを放つ中島美嘉ら、注目の若手。彼らの周りに、ひょこひょこ顔を出す俳優陣は、風吹ジュン、袴田吉彦、佐藤江梨子、津川雅彦、前田愛、永瀬正敏、ともさかりえ、高橋克典、大滝秀治…と、その豪華さと奇妙な味わいに驚かされる。ぼんやりした頭を思い切り振り回されるような、疾走感満点の作品だ。
<レビュー>
今回で二回目の鑑賞。
だからといって特別好きなわけではない。
妹がカナダで買ってきた中国の海賊盤がたまたま家にあったので、久しぶりに観てみただけのこと
。
劇中で中島美嘉が一度だけ口ずさんでいた歌が、何だったのか。
聴いたことがあるのは間違いないのだが、いったい誰の曲なのか。
それが本作を見ていて終始気になっていた大きな謎である。
といってもそれは映画自体にはまったく関係のないことで、ごくつまらない個人的なことである。
ただぼくにとっては非常に問題で、思い出せなくてイライラして仕方が無かった。
中島さんが何気なく、本当に何気なく、ほんの一節口ずさむのです。
何気ないだけに思い出せなくて腹が立つのです。
しかも結構耳馴染みがあるし、好きだった気がするのです。
市原隼人は随分下手くそな俳優だと長らく思っているのだが、本作の役柄にはやや光明がある。
この作品の主な登場人物たちは、狂気に触れる寸前どころではなく、共感を拒絶するレッドゾーンに完全に踏み込んでしまっていて、主演である市原君の役柄はその代表格であり、このままこの危なっかしい路線でゆけば、まあオダギリジョーは演技が饒舌すぎるので無理として、ひと頃の窪塚洋介的なポジションでゆけると思うのだが、ぼくの知る限りでは「僕と駐在さんの700日戦争」でほんの少し(あくまでほんの少し)危ない感じがかいまみえたぐらいで、あとはウォーターボーイズだのルーキーズといった糞ドラマの中で面白くもなんともない正義の範疇にとどまったしょうもない演技をしているようです。
もっと彼は奔放にやれば良いのに、プライベートでは男の友情を大事にする非常に熱い男のようで、何とルーキーズを人生で最高の作品などと言っておるわけです。
そんな素晴らしいことを言っておるのです。
ある意味重症なわけです。
彼は、ただそこに立っているだけで良かった、岩井俊二監督「リリィシュシュのすべて」のような、そんな作品に出るべきなのかもしれない。
あの作品に一緒に出ていた蒼井優と比べるのは酷だが、それでも彼はただ立っているだけで主役になれる存在なのだ。
「リリィシュシュのすべて」の時代が終わり、数年後、同じく岩井俊二の関わった「虹の女神」で主演したときは多少喋りが多くなり、やっぱり彼は喋りだした途端に駄目になるなあと思ったものだ。
そんなこんなですよ。
観終えた直後、中島美嘉が口ずさんでいた曲を唐突に思い出しました。
エレカシの曲でした。
ヒトコイシクテ、アイヲモトメテです。
良い曲です。
★★★★
駿河シカヲ
駿河シカヲです。
金融腐蝕列島「再生」を観ました。監督は佐藤純彌です。
<紹介サイト・あらすじ>
http://www.bs-tbs.co.jp/app/program_details/index/DRT0410400
あらすじ
協立銀行プロジェクト推進部副部長、竹中治夫(村上弘明)45歳。竹中は、ウミを出し切って地銀連合として再生を目指そうとする斎藤頭取(細川俊之)からの特命を受ける。その特命とは、鈴木会長(渡辺文雄)が過去に特別枠で融資をしていたノンバンク「産立ファイナンス」の、500億に及ぶ不良債権の処理だった。 一方、実権を握る鈴木会長は大手都銀との合併を画策していた。この合併で鈴木会長は自らの不正融資をももみ消そうと目論んでいた。竹中らによる産立ファイナンス」の内部調査で浮かび上がる鈴木会長と「闇社会」との癒着の構図…。そんな竹中の動きに「待った」をかけたのが、竹中と同期で、企画部の杉本勝彦(益岡徹)。杉本はエリートコースを突き進んで来た銀行マン。杉本は、竹中の動きを牽制するようにと鈴木会長派の佐藤常務(伊武雅刀)に命じられていた。杉本の制止を無視して産立ファイナンスの調査を続ける竹中に対して、容赦なく「闇」からの反撃が開始される。街宣車、竹中宅への銃撃、産立ファイナンス社長・松村の殺害と事態はエスカレート。追い詰められた斎藤頭取はやむなく総会屋の斡旋でヤクザとの手打ちを決意する。「鈴木会長を倒さなければ協立銀行に未来はない」と悟った竹中は自ら、癒着の温床になった協立銀行・船橋支店への異動を申し出た。一方杉本は、次の役員会で鈴木会長派が斎藤頭取を解任しようとしているという情報を掴む。竹中の捨て身の行動と、松村の死に心動かされた杉本は、「役員会で逆に鈴木会長を追放しよう」と竹中に申し出る。多数派工作に奔走する竹中と杉本。役員会は、一度は斎藤頭取派に軍配が上がったかに見えたが、鈴木会長の「斎藤はヤクザと会っていた」という爆弾発言で紛糾。逆に斉藤頭取の解任が決議される。しかし、竹中には公には出来ない最後の切り札があった。鈴木会長の不正融資の証拠が記されたマイクロフィルムを、殺された松村が竹中に郵送していたのであった。
<レビュー>
これは映画「金融腐蝕列島(呪縛)」の続編である。
原田眞人監督が手掛けた「呪縛」のほうは、傑作であった。
しかし、こちらははっきりいってガッカリである。
あれほど面白かった前作が何故これほどトーンダウンしてしまったのか。
原因のひとつは原田監督ではなかったことにあるのは間違いないが、「再生」が映画ではなくTVドラマとして作られたことが何より大きい。
ひょっとしたらこれは・・・と思ってはいたがメイキングを見るまでTVドラマだとは気付けずにいた。
騙されたと思ったけれど、冷静に考えればそれは仕方のないことである。
何百億単位で金が動く話なので、物語のスケールは相変わらずデカイが、恐ろしくこぢんまりとしている。
おっさんとおばさんしか観ないような二時間ドラマの哀愁に満ち溢れている。
まあこれはこれで、無駄では無かったろう。
経済ドラマは基本的に面白い。
映画として考えると、語るにおちぬ駄作であるけれども。
今度、高杉良の経済小説でも読んでみようかな。
★★★☆☆
駿河シカヲ
こんばんは、マダムよ。
まぁいい映画よね。
いきなりゆきえちゃんのお尻から始まったわ。
まさかこのくだりがシカヲちゃんの推す川村ゆきえちゃんのエロスじゃないわよね
と思ったらそうだったみたいよ。
もうちょっと妖艶な何かかと思ったのに。シカヲちゃんてば中学生並じゃない。
最初の軽薄な人間模様でイヤになりかけたけど、いしだ壱成ちゃんが出てきたから持ち直したわ。
永作ちゃんも出ていたしね。
徹頭徹尾、他人とのキスの場面とっても、部長に対する気持ちの強さ、ブレのなさを疑わせない演技はいいと思うわ。素晴らしいわよね。
昔いたわよ。
浮世離れした男。
別に気球にはまっていたわけじゃないけど、いっつも空ばっか見てるのよね。
一緒に歩いているといっつも危なっかしくて、段差があったりするとよく注意してあげたのよ。
私といないときちゃんと歩けてるのかすら不安だったわ。
何かに夢中になってると全然周りが見えなくて、アテシすら見えないみたいだし
でもさみしいときはメチャクチャ甘えてくるのよね。
なんて自分勝手なのかしら。
でもアテシに対する気持ちが普通の人とは全く違うくらいの強さで、やっぱりそれを感じちゃうとダメなのよね。
自分の好きなものに対する気持ちやそのぶつけ方が常人とは桁外れなのよ。
女はそういう男を一人心において、誠実でまじめな男と一緒になるのが幸せなのかもしれないわね。
あら、アテシ今日は毒を吐いてないわね。
シカヲちゃんにしか。
ちょっとセンチメンタルな気分なのかしら。
ごきげんよう
園子温監督「気球クラブ、その後」を観ました。
<公式HP>
http://www.kikyuclub.com/
<園子温公式HP>
http://www.sonosion.com/
<作品解説・詳細>
気球クラブ、その後(2006) - goo 映画
五年ぶりに再会したサークルのメンバーたちが、それぞれの青春を振り返りつつ現在の自分を見つめ直すほろ苦い青春ドラマ。監督は「紀子の食卓」の園子温。出演は「HAZARD」の深水元基、「好きだ、」の永作博美。
サークル“気球クラブ・うわの空"には、本当に気球が好きな人、寂しさを紛らわしたい人、恋愛や友情を求める人など、さまざまな想いを抱いた若者たちが集っていた。5年後、ガールフレンドのみどり(川村ゆきえ)と微妙な関係を続けている二郎(深水元基)のもとに、かつての仲間から1本の電話が入る。サークルのリーダーだった村上(長谷川朝晴)が、突然の事故で亡くなったという。このことをきっかけにバラバラになっていたメンバーは再び集まり、村上を偲んで大宴会が行われることになった。これが最後の、一夜限りのバカ騒ぎだということに、彼らは気付いていた。二郎はそこで、村上の恋人だった美津子(永作博美)と再会する。そして美津子の村上への深い想いを知るのだった。
<レビュー>園子温監督は何故か無視していた。
ぼくは駄目な奴だ。
海外で評価されてからようやく重い腰をあげて、氏の作品を観ることにしたわけです。
これは、いい。
好きな作品だ。
撮り方はそんなに好きじゃない。
最近思うのだけれど、どっしりカメラを固定して撮る人があんまりいないように思う。
スピード感を重視しているのかやたらカット割りが細かいし、手持ちのハンディカメラを使う人も増えた。
園子温はそれが顕著なわけではないけれども、どちらかといえばそれに近いような気がした。
二人が向かい合って座り、会話するシーンの、高速切り返し。
小津安二郎は律儀に、頑固に、ラモーンズ的に、偏執狂的に、真正面からの切り返しで会話をさせるが、本作の切り返しは、結構速い。
速いといえば、前に離婚弁護士というテレビドラマを観たが、その時も向かい合う両者の会話の切り返しが無茶苦茶速くて、めまいがした。
それに近いものを感じる。まあ、あそこまでひどくはないけれど。
昔は時の流れが今よりもゆるやかだったんでしょうなあ。
いいなあ、小津安二郎。
話が逸れた。
そう、この作品が好きだってことを書きたかったのに、つい貶してしまった。
違う、そうじゃない。
園子温は確実に才能があるはずだ。
頑張って欲しい。
しかし、ぼくは大学生のサークルのノリが大嫌いです。
軽薄な奴らを観ているとぶん殴りたくなります。
本作の「気球クラブ」の奴らも基本そんな感じで、ぼくは大嫌いです。
多分奴らはたのしくわいわい騒げれば良いのだ。
気球じゃなくてもいいのだ。
部長以外は、みんなそうだ。
なんだ、あの飲み会は。
すげーありがちだ。
死ね、と思う。
これは作品の悪口を言っているわけじゃないよ。
大学のサークルにありがちな雰囲気をうまく表現していて、いいなあと思ったのです。
みんななんやかんや就職して、まあしっかり生きてゆくのです。
部長以外は。
やはり部長は死んでしかるべきだった。
死なないなら堕落していただろう。
またはドンキホーテのような狂人になっていただろう。
なんとなく胸が痛くなる映画です。
そこそこ幸せな人生を送っている奴等の話なんだけれど、つまらんどん底の青春を送ったひとのほうがある意味楽しめるのかもね。
あと、ビッチな女(こういう人すごくいそう)を演じた川村ゆきえのエロさが特典として味わえます。
それからメインテーマは「翳りゆく部屋」です。
これは反則。
永作博美は、女優賞をいただけるくらいの凄い演技をします。
思わせぶりな気がしなくもないが。
狂気に触れそうで触れないあの表情はたまらないですね。
特に、ラストの泣きながら笑うシーン。
これは凄いです。
観る価値があります。
★★★★★
マダムと一緒に「高校教師~恋の教育実習~」という酷い韓国映画を観ました。
監督の名前は知りません。
調べる気にもなりません。
<作品解説>
goo 映画
姉の結婚式以来“初夜”に対する好奇心でいっぱいの女子高生ソンウン、スヨン、ミスクの3人。そんなある日、彼女たちが通う学校に超イケメンの教育実習生がやってくる。彼に夢中になった3人は、彼との“初夜”を巡って争うのだが…。次世代韓流スターのイ・ジフン主演で贈る、ちょっぴりエッチな学園ラブコメディ。
<レビュー>
酷いです。
観賞中、マダムが呆れながらボソッとこんなことを言っていました。
「・・・日本のTVドラマの悪い部分だけ影響受けちゃってるわね」
もうこの言葉に尽きると思います。
なにもかもが軽薄です。
アホなテンションではじまり、それで押し切るならまだよいけれど、途中から中だるみしてくるのです。
最悪ですね。
これを昼間から観ている俺達は一体何なんだろうかと、何度か思いました。
あ、でも、あれですね。
観ているとそれなりに感情移入してきますね。
たいして可愛くもないかなあと思っていた主演の女の子が可愛くみえてきますね。
ぼくが思うに韓国映画って、酷いのと素晴らしいのと、差が激しいような気がします。
そこそこ、というのがあんまり無いかな。
キム・ギドク、ポン・ジュノ、イ・チャンドン、ホ・ジノなんかは素晴らしい映画を撮ると思います。
それから、「オールドボーイ」などを撮ったパク・チャヌクなんかもぼくの好みではないけれど、最近の日本の映画よりは遥かに熱のこもった力作を撮ると思います。
しかし、なんでしょうね。こういうアホなトレンディドラマ崩れの映画は輸入しないで欲しいですね。
どうせならもっと最低な映画を輸入して欲しいです。
ぼくなんかは十代から日本のトレンディドラマをそこそこ観てきた(というほどでもないけど)ので、こういう軽薄な作品を観る耐性はあるのです。
それだけに中途半端につまらないなあという、ある意味最悪なパターン、全然レビューのしがいが無いパターン
になってしまうわけです。
ということで、星二つ。
ああ、そういえば、女子校の先生って、ちょっといいかもね。
★★☆☆☆
マダム葵よ。
っていうか暑いわね、日中は。
桜もすっかり散っちゃって。
この時期になると思い出すわ。
あの男のことを。死ねばいいのに。
ま、それはそれ、置いておきましょ。
えぇ。
でも、そうね、あれはちょうどクリスマスの頃だったわね。
あの男に出会ったのが。死ねばいいのよ男はみんな。
クリスマスといえば、Catch me if you can よね。
なかなか面白いわよね。あの映画。
実在した、というか今も存命の天才詐欺師を映画化したもので監督はスティーヴン・スピルバーグ。
出演はレオナルド・ディカプリオちゃんとトム・ハンクスね。
とは言ってもアテシ別にまじめにレビューする気ないのよね。この映画に限らず。
まじめなレビューはシカヲちゃんが書いてくれるし。
この映画のこともそのうち書いてくれるんじゃないかしら。
アテシ最近この映画見直してみて、ネットでいくつかこの映画に関してのページを見てみたのね。
色々な人が書いてたわ。
でね、でもね、まぁどの作品についてのレビューでも言えるけど、ちょっとした勘違いとか、見落としとか、やっぱりあるのよね。
まぁ仕方ないことなんだけど。
お金払って読んでいるわけじゃないんだから別に構わないし訂正もしないけどね。
ただ、その勘違いが作品の評価とかに関わっちゃったりするともどかしいわよね。
あの映画で、レオナルドちゃんずっとラベルを剥がし続けるのよね。
最初にお父さんが壇上で挨拶してるときからワインのラベル剥がしてたじゃない。
で、一番最後に自分自身の写真も剥がすでしょ。
そのことについて言及してるレビューはほとんどなかったわね。
一番象徴的なところなのに。
トム・ハンクスのノックノックジョークがよくわかっていない人も多かったかしら。
ノックノックジョークって言うのは定型ジョークで、型にはめて色々なパターンがあるのよね。
たとえば
knock, knock,
who's there?
Abby
Abby who?
Abby birthday to you!
ようは駄洒落なのよ。2行目と4行目は言われた方が答えないとならないの。
アメリカ人にknock, knockって言えばどんなときでもwho's there?って返ってくるわよ。
逆にアメリカ人がknock, knockって言ってきたらどんなときでも一応who's there?って返すといいわ。
そうしたらまた何か言ってくるから、言われたままwho?をつけて返すの。
そうするとオチが来るから、くだらなくても意味わからなくても笑ってあげるといいわ。
とにかくアメリカ人ならわかりきってる定型なのよ。
トムちゃんはただGo fuck yourselvesって言いたかっただけなのね。
日本語で言ったら、そうね
ピザって10回言って。
ピザピザピザ・・・・・・・・・はい。
死ねばいいのよ!
見たいな感じよ。
訳って難しいわよね。
アテシが例えば海外で見た映画を、日本で字幕で見たりすると、違和感あったりすることあるのよ。
アテシが英語を聞いて持った役のイメージと、翻訳者が持ったイメージの違いとかね。
日本語で彼が喋ったらこんな感じなんだろうなっていう漠然とした感じと違う口調で喋られたりするとちょっと違和感があるわ。
まぁでも明らかにもうちょっと何とかできるんじゃない?って字幕もあるけどね。
でも字幕屋さんも大変なのよ。
あれってばね、1秒4文字の原則例外無しで四苦八苦してるのよ。
しかも台詞によってはダブルミーニングやトリプルミーニングだったり、クライアントに無茶な要求されたり、蔓延るアホに合わせて字幕のレベルを落としたりね。
たとえばこの映画で言ったら、わかりやすいのはあれね。
レオナルドちゃんが初めて飛行機に乗って、アテンダントさんにネックレス渡してその夜セックスをするというところがあるじゃない。
このネックレス君の?
って言って首にかけるんだけど、私のじゃないわってことで
No no no no no
って言うのよね。で、そこでシーンが切り替わってベッドシーンになって、いいわいいわの意味で
yes yes yes yes
になるじゃない。
せっかく対比させてるんだから字幕も何とかならなかったのかしらね。
字幕だと
違うわ違うわ
いいわいいわもっともっと
だったのよ。
せめて
違うわ違うわ
そうよそうよ
くらいならいいと思ったのに。
まぁ細かいこと挙げればもっと色々あるんだけど。
でもね、さっきも言ったけど字幕屋さんも大変なの。
血を滲ませて書いているの。
だからこれからは字幕を見たら泣きなさい。
字幕があるだけで泣きなさい。
男は死になさい。
それではごきげんよう。
茶ーっす。茶っちゃっ茶ーっす。
駿河シカヲです。
スティーヴン・スピルバーグの「激突!」を観ました。
助監督のジェームズ・ファーゴってたしかダーティハリーの何作目かで監督していたなあ。
<作品解説・詳細>
激突!(1972) - goo 映画
車を連転する人間なら少なからず経験する大型トラックの無謀運転ぶりを自ら体験しヒントに執筆したリチヤード・マチソンが、ハイウエイでのトラブルが殺意にまで発展する現代の恐怖をスリリングに描く。製作はジョージ・エクスタイン、監督はスティーヴン・スピルパーグ、原作・脚本はリチャード・マシスン、撮影はジャック・マータ、音楽はビリー・ゴールデンバーグ、編集はフランク・モリスが各々担当。出演はデニス・ウィーバー、ジャクリーヌ・スコット、エディ・ファイアーストーン、ルー・フリッゼル、ルシル・ベンソン、キャリー・ロフティンなど。
※ストーリーの結末が記載されているので注意!
デビッド・マン(デニス・ウィーバー)は、知人から借金を取りたてるために、高速伝いにカルフォルニア州を南に向っていた。その途中、40トンタンク・ローリーに道をはばまれたマンは、アクセルを踏んでタンク・ローリーを追い抜いた。これが事件の発端だった。タンク・ローリーは轟音をたてて抜きかえすとデビッドの車すれすれにまわり込み、再び前方をふさいだ。この無鉄砲な運転ぶりに腹を立てたデビッドはタンク・ローリーを追い抜き、スピードをあげてタンク・ローリーとの距離をできるだけあけようとした。数分後にデビッドはガソリン・スタンドで給油している間に妻(ジャクリーヌ・スコット)に電話し、昨晩議論したことについて話しあった。スタンドを発車して間もなく、例のタンク・ローリーがなおも追いかけてくるのに驚いた。やがてタンク・ローリーはデビッドの車を追い越し、スピードを落して道をふさぐ。こんなことをしていたのでは約束の時間に間にあわない。狭い先の見えないカーブにさしかかった時、運転手(キャリー・ロフティン)は手を振ってデビッドに追い越しをゆるす。彼が隣りのレーンに乗り入れ、角を曲がると、青いセダンが矢のように向ってくる。一瞬のうちにデビッドは元のレーンに車を戻し、数インチの差で対向車をかわす。デビッドは運転手が明らかに殺意を抱いていることに気づき茫然とする。ドライブ・インに入り、気をしずめたデビッドの眼は駐車場に止まっているタンク・ローリーに釘づけになった。運転手の顔は判らなかったが、こちらを向いてニヤニヤ笑っている男に喰ってかかった。だが一瞬殴りとばされたのはデビッドの方だった。再び旅は始まった。途中、悪路に車輪をとられたスクール・バスに合い、後から押したものの彼の車の馬力では動きそうになかった。ふと気がつくといつの間にかタンク・ローリーが迫ってぎていた。あわてて逃げだしたデビツドが、ふり返ると、タンク・ローリーがバスを押して道路に戻してやっているところだった。デビッドはその隙に目的地へと急ぐ。突然、踏切で列車の通過を待っていたデビッドの車にトラックが体当りをかけてきた。40トンの車に後から押されては、いくらプレーキを踏んでも乗用車は前に押しだされる。デビッドの車は徐徐に列車に近づいてゆく。間一髪で列車をやり過ごし、踏切から飛ぴだしたデピッドの車の横を、タンク・ローリーは何ごともなかったように走り去った。恐怖を感じたデビッドは、次のガソリン・スタンドで給油をすると、公衆電話で警察に通報しようとしたが、ボックスめがけてタンク・ローリーが飛び込んでくる始末だった。やがて、坂にかかり、デビッドドの車は白煙をふきあげながらスピードが落ちていった。以前、ラジエター・ホースを取りかえる必要があるといわれていたことを忘れていたのだ。もはやこのままでは走れない。このままでは確実に追いつかれる。デビッドは脇道にそれ、崖の一歩手前でタンク・ローリーを待ち構えた。数分後、タンク・ローリーはデピッドの車めがけて走ってきた。デビッドはタンク・ローリーめがけて車を走らせ激突寸前のところで飛びおりた。タンク・ローリーは、車と共に崖下に落ていった。
<レビュー>
ぼくが物心ついた頃にはすでにハリウッドを代表する巨匠だったスピルバーグ。
そして今でも映画界のトップを張っているスピルバーグ。
しかしそんな巨匠の最高傑作は、ぼくが生まれる約十年前に作られたこのデビュー作なのである。
話はいたってシンプル。
主人公の乗用車がタンクローリーを追い越したことをきっかけに、
終始タンクローリーに追い回されるという1つのネタだけで成り立っている。
それなのに最後まで飽きないで興奮するのだ。
ありとあらゆる手段をつかって魅せる、魅せる、魅せる。
タンクローリーの運転をしている人間の顔は、最後まで分からない。
不気味だ。
まるで怪物に追われている気分になる。
全体的に演出は派手ではなく、抑えめであり、そこが良い。
シンプル・イズ・ベストである。
ただ、B級なテイストのはずなのにそうなっていないのはスピルバーグの才能によるところなのだろうが、
穿った見方をすれば、ある意味ではB級に徹しきれない監督なのである。
ラストの崖におちてゆくタンクローリーはまさに恐竜だ。
スローモーションが非常に効いている。
ジョン・ウーの腐ったスローモーション(ジョン・ウーのスローモーションは犯罪的にダサい)よりもずっと効果的で、やはりスピルバーグは魅せることを分かっている。
確実に言えることは、緊張感や迫力を演出するのにCGもVFXも必要ないということ。
CGやVFXは映像に何かしらの違和感を演出する機能でしかなく、逆にそういった意味ではどんどん取り入れてもらいたい。
本来リアルでないのが映画なのだから、CGは面白い道具である。
関係ない話になった。
久しぶりにジョーズも観たくなった。
やっぱりスピルバーグは面白いなあ。
★★★★★
駿河シカヲ
これから飲み会です。
ちょっと気が重い。
鈴木清順「殺しの烙印」を観ました。
殿堂入りの大傑作です。
まだ観たことのない人は、あらすじ詳細は見ないほうがいいかも・・・。
<作品解説・あらすじ>
殺しの烙印(1967) - goo 映画
新人の具流八郎がシナリオを執筆し、「けんかえれじい」の鈴木清順が監督したアクションもの。撮影は「続東京流れ者 海は真赤な恋の色」の永塚一栄。
※あらすじの結末が記載されているので注意!
プロの殺し屋としてNO3にランクされている花田は、五百万円の報酬である組織の幹部を護送する途中、NO2とNO4らの一味に襲撃された。花田の相棒春日は倒れたが、組織の男の拳銃の腕前はすばらしいもので、危うく危機を脱した花田は、その男を無事目的地に送り届けた。仕事を終えたあとの花田は緊張感から解放されたためか、妻の真美と野獣のように抱き合うのだった。ある日、花田は薮原から殺しの依頼を受けた。しかも、四人を殺して欲しいというのだ。花田は自分の持つ最高のテクニックを用いて、次々と指名の人間を消していった。しかし、最後の一人である外人を殺すのに手間どり、結局失敗してしまった。殺し屋に失敗は許されない。組織は女殺し屋美沙子を差向けてきた。家に逃げ帰った花田に妻の真美が拳銃を向けた。真美も殺し屋だったのだ。九死に一生を得た花田は美沙子のアパートに転げこんだ。そんな花田を美沙子は射つことが出来なかった。その夜、二人は殺し屋の宿命におびえながらお互いを求めあった。やがて花田殺しに失敗した美沙子は組織に捕われ、彼女を救いに行った花田は組織の連中と対決したが、そこに現われたのは、かつて花田が護送した男大類だった。大類こそ、幻の殺し屋といわれるNO1なのだ。大類は対決の場所として後楽園ジムを指定した。花田は腕は大類の方が一枚上であることを悟り、捨身戦法で対決しようと覚悟した。それが効を奏し、大類は花田に倒されたが、花田も大類の一弾を受けていた。ジムの中によろめき立っている花田の前に美沙子が現われたが、すでにその見分けのつかない花田は彼女を射った。そして花田も、「NO1は誰だ!」と絶叫してその場に崩れ落ちていった。
この話の世界では、殺し屋にランキングがあって、主人公(NO.3)をはじめとする殺し屋たちは、NO.1を目指してしのぎを削っているのであります。
なんかもう爆笑ですね。
陳腐な設定と簡単なあらすじだけ見ると、完全にB級のフィルム・ノワールなのだが、これがもう凄いのです。
大傑作なのです。
凄すぎてぼくは観終えた後に、明日辞表を提出して殺し屋になろうかなあと思ってしまいましたよ。
常々思っているのですが、映画において大切なのは、「何を語るか」ではなく、「どう語るか」なのです。
これは黒沢清が言っていたことです。
ぼくはそれをさらに強く確信しましたよ。
話なんてある程度破綻していようが単純だろうが構わないのですね。
監督も役者も、与えられたプロットをどう料理するかというのが大事なのです。
この話も一見非常にアホなのですが、見せ方が凄いので、ちょっと泣けるのです。
鈴木清順監督はとにかくイメージの連鎖が洗練されています。
雨の女がシャワーをあびた女に切り替わる。これは水というイメージ。
炊飯器を抱きしめる男が、次のシーンで女を抱いている。非常に巧妙です。
なんというか邦画離れしたヴィジュアルなのですね。
もちろんこれにはファム・ファタール的存在の真理アンヌのエキゾチックな風貌が一役買っているという部分もあります。
それにしても、このイメージ連鎖の感覚的なセンスはゴダールをはじめとしたヌーヴェルヴァーグのセンスに引けをとらないぐらいに優れています。
鈴木監督はこのあと大正三部作を撮って、その素晴らしいセンスを芸術的な方向で昇華させるのですが、ぼくはむしろこういったエンターテイメント向きの作品に芸術的センスを盛り込んでゆく職業的な姿勢が好きです。
日本でこういった芸当ができるのは、やはり今のところ、さきほどあげた黒沢清ぐらいでしょう。
鈴木監督が「殺しの烙印」で見せた素晴らしい意匠が、日本の監督に受け継がれてゆくことを願っているのでありす。
ちなみに主人公の宍戸錠は、炊飯器の匂いがたまらなく好きという設定なのであります。
これがまた笑えるのです。
ことあるごとに、女に「飯、飯だ!飯を炊け!」と言うのですが、それが妙に生活感があって好きです。
そして、何と言っても主題歌の「殺しのブルース」が本当に素晴らしい!
笑えるうえにかっこいいのです。
歌詞だけ最後に載せておきます。
<殺しのブルース>
(一番)
男前の殺し屋は 香水の匂いがした
「でっかい指輪をはめているな」
「安かねえんだ」
「安心しろ そいつには当てねえよ」
まがったネクタイを気にして 死んだ
(二番)
寝ぼけ顔の殺し屋は 寒そうに震えてた
「女を抱いてきたのか」
「あたりきよ」
「湯たんぽを抱きな」
熱い鉛を抱いて 死んだ
★★★★★
夜更かしっていいね。
明日は午後からの仕事だよ。
うれしいよ。
でもストレスがたまるよ。
毎日いじめられているよ。
そしてそんなあなたにおすすめの映画を紹介するよ。
嘘だよ。
全然おすすめじゃないよ。
大九明子っていう監督の「恋するマドリ」っていう映画だよ。
ガッキー主演だよ。
<作品解説・詳細>
恋するマドリ - goo 映画
美術大学に通うユイは新しいアパートに越してきた。だが元の部屋に忘れ物をしてしまう。戻ってみると元の部屋にはアツコという新住人が住みついたばかりだった。アツコは美術デザインにも精通していて、2人はすぐに意気投合する。引っ越しが終わり新生活を始めたユイは、同じアパートに住んでいるタカシに挨拶をする。驚いたことに、タカシとはバイト先でも毎日のように顔をあわせることに。運命を感じたユイはタカシに心惹かれていくが、タカシに何も言わずに去った恋人がいることが判明する…。
都会で暮らす三人の男女が、「引っ越し」をきっかけに出会い、心を通わせていく青春ラブストーリー。ささやかな“偶然”を盛り込みながら、ギスギスしがちな都会の生活に清涼剤を与えてくれるような作品だ。映画初主演の新垣結衣がCMやTVドラマで見せた持ち前の明るいキャラクターで、見る者すべてが思わず応援したくなるヒロインを好演している。美大生という設定だけに、ファッションやインテリアなど、小物にまで凝る心配りは女性監督(本作がデビュー作となった大九明子監督)ならではか。劇中に登場する家屋(=東品川)、アパート(=中目黒)は実際に存在するそうで、鑑賞後に探してみるのも一興かも。
<レビュー>女性向けの映画である。
「ロハス」
「スローライフ」
「無印良品」
「美大生」
「インテリア」
「カフェ」
「ハンマースホイ」
「小物」
「ちょいとしたお洒落」
上記のキーワードに関心のある女性には一応おすすめである。
なんとなくアレな感じなのです。
要はその、ガーリーな映画です。
ちなみに、下記のようなキーワードにひとつでも関心のある人にはおすすめできません。
「仁義なき戦い」
「トラック野郎」
「にっかつ」
「エレファントカシマシ」
「全日本プロレス(旧)」
「越中詩郎」
「木戸修」
「ズンドコ節といえば小林旭だ」
「海といえば港だ」
「アルコールといえばワンカップ大関だ」
「人材派遣といえば日雇い労働だ」
「芸術といえば爆発だ」
「俺は村上春樹が嫌いだ」
「そもそも俺は本を読まない」
「倖田 來未」
「小悪魔ageha」
「大好きです。飯島愛さん ゆっくりお休みになってください。」
「俺は東京生まれヒップホップ育ち」
「悪そうな奴はだいたい友達」
「マジ親に迷惑かけた本当に」
そう、さっきも言ったようにこれはガーリーな映画です。
「ガーリー」って言うと、ぼくのような腐った貧乏青年には虫酢がはしる言葉です。
でも女性に罪はない。
ぼくが腐っている。
腐っているぼくは、やたら体温の低そうな演技をするガッキーを、
なんとか無茶苦茶にしてしまいたいと思いながら観ていました。
音楽担当はスネオヘアーだそうです。
なるほどね。
それっぽい気もしないでもないかもね。
ちゃんと聴いたことないけどね。
恋するマドリの「マドリ」というのは、別に主人公がマドリちゃんという名前なのではなくて、
おそらく部屋の間取りのことなんです。
おそらくね。
物凄い腹が立つね。
センスが悪いにもほどがあるね。
主人公がマドリちゃんなら「恋するマドリ」は馬鹿っぽくて許せるけれども、
ひとひねりではなく半ひねりしているぐらいの頭の悪さが完全に許せないね。
なんというか、片山恭一的な、市川拓司的な、日本ラブストーリー大賞的な、
この、なんというか、淡く繊細なタッチの、あの、あれですね、中途半端な頭の悪さですね。
ああいうのに一番腹を立てるべきだと、ぼくは思っているのですね。
でもクソ映画じゃないんだよね。
悪口ばっかり言っているけれども、別につまらなくはないのですね。
正直、劇中頻繁にかかるあのメロディーはちょっと好きなんだよね。
なんかこう、土曜日の、昼下がりの、ちょっと都会的な、あの感じね。
最低だね、ぼくは。
悪口を無理矢理言いたいだけなんだろうね。
どことなく岩井俊二の「四月物語」に似ている。
でも、決定的に違うのは、「四月物語」のほうがあきらかに気持ち悪いってことだ。
つまりあっちはぼくみたいな少女漫画が好きな男性向けで、こっちは正しい女性向けなのですね。
ガッキーを生かすにはどうしたらよいか。
最近よくそれを考えている。
ポッキーでやたら頑張って踊っていたけれど、ぼくにはかなり無理しているようにみえる。
基本的に死んだような演技をする人だと思う。
声が根本的に小さいし。
かといって、清涼感のある爽やかな役柄にも微妙に向いていない。
そうすると、「恋するマドリ」のような、ちょっとおとなしい美大生という役はわりかしハマっていたように思う。
最終的に結論付けると、これはガッキーのイメージビデオです。
四月物語の松たか子ほどの画面の傲慢な主張はないです。
そこがまた、いかにも新垣結衣の特徴というか特長を生かしていて良いのではないのでしょうか。
では、またさようなら。
★★★☆☆
ついに「恋空」を観てしまったのであります。
テレビで放送されておりました。
<公式HP>
http://koizora-movie.jp/index.html
<作品解説・紹介>
恋空 - goo 映画
高校1年生の美嘉は、暖かい家庭で育った優しい女の子。夏休みに入る前、図書室に忘れた携帯を取りに戻ると、それまでのメールも電話帳も全て消されていた。そこに見知らぬ男の子から電話がかかる。「大事な友達なら連絡が取れるから大丈夫」。その日から、その少年からの電話が毎日来るようになった。最初は不審がっていた美嘉だったが、次第にその少年に好意を持つようになった。学校でその少年に出会った美嘉は恋に落ち…。
1200万人が涙したケータイ小説最高のラブストーリーが映画に。思いがけない運命に巻き込まれる美嘉とヒロの優しくもせつない恋を、温かいタッチで描く。原作の小説は、著者である美嘉の体験を基に書かれた真実の物語。10代でこれほどヘビーな体験をするとは。また、誠実で高校生とは思えないほどしっかりした恋人や優しい家族が本当にいたと思うと、また涙が。主演は新垣結衣、三浦春馬、小出恵介他。美嘉役の新垣結衣は、あまりにせつないストーリーにリハーサル中、号泣してしまったとか。監督、脚本とも女性が手がけているだけあって、女の子の気持ちを描き方は秀逸。タイトルどおり、空や川など自然の風景が印象的に使われている。
<レビュー>
いやはや、噂に違わぬ異常映画であった。
ポッキーでおなじみになったガッキーと、三浦なにがしという若手イケメン俳優が非常に頑張って、
異常な設定の原作を濡れ場一切無しの爽やかな作品にねつ造しておる。
こんなシーンがあった。
これは昼下がりの川辺における、高校一年生のカップルの会話である。
会話は忠実に再現できぬが、ほぼ以下のような感じ。
金髪青年は三浦何某が演じている。
金髪青年「なあ、子供ができたら何ていう名前にしようか」
ガッキー「まだおなかの中の赤ちゃんが男の子か女の子かわかんないよ」
金髪青年「そうだ、男でも女でも生まれてきた赤ちゃんには『本』という字をつけよう」
ガッキー「どうして?」
金髪青年「だって図書館でできた子供だろう?」
ガッキー「それじゃあ子供が大きくなった時に説明に困るよ」
二人「あははははは」
非常に性にたいする倫理が乱れておりますな。
要するに図書館で二人はセックスをして、子供ができてしまったのである。
川辺に佇む高校一年生の爽やかなカップルが、実は上のような会話をしていることを知ってしまったら、
君はどうする。
これは、ジェットコースタームービーである。
次から次へと異常な話が展開してゆき、
考える暇をあたえない。
「ちょ、待てよ!」と言っている間にセックスしたり、レイプされたり、
おなかの中の赤ちゃんが死んだり、別れたり、恋人が病気になったり、
死んだり、立ち直ったり、ミスチルの歌が流れたり、終わったり、
つまりなんやかんやで、開いた口が塞がらないまま、
結局あとに残るのは「ガッキーがかわいかった」ってことである。
ところが、それだけかと思っていたら、
あとからこれは異常な映画であったということをしみじみ呑めばしみじみと思い起こされ、
これは早いところ文字として記録しておかねばという気になり、
こうしてここに記しているわけである。
前回とりあげた「椿三十郎」では、襖や障子の開け閉めが気になった云々と書いたが、
それと同じような役割をこの作品ではたしているのは、「携帯電話」である。
いや、椿三十郎のそれよりも、この作品における携帯電話の役割は大きい。
というか携帯電話がなければ話が成立しない。
ロッセリーニの「イタリア旅行」を観て、「男女と一台の車があれば映画が成り立つ」と思ったゴダールは「勝手にしやがれ」を撮り、そして「気狂いピエロ」を撮ったわけだが、
もしかしたら「男女と携帯電話があれば映画が成り立つ」時代が来ているのかもしれない。
エンディングテーマはミスチルの曲だった。
まさにこの異常な映画にふさわしい。
★★☆☆☆
駿河シカヲ
キサラギを観たよ。
<公式HP>
http://www.kisaragi-movie.com/
<作品解説・詳細>
キサラギ - goo 映画
知る人ぞ知るアイドル如月ミキが自殺をして一年が経ち、一周忌追悼会に集まった5人の男たち―家元、オダユージ、スネーク、安男、イチゴ娘。ファンサイトの常連である彼らはそこで初めて顔を合わせた。それぞれオタク心を通わせながら、彼女の思い出話に花を咲かせる。誰しもが「自殺なんかする娘じゃない」と思っていた。そして誰かが「彼女は殺されたんだ」と。この発言をきっかけに、男たちの侃々諤々の推理が始まった…。
ひとつの部屋の中で繰り広げられる“密室劇”。日本映画には珍しい(?)ワンシチュエーション・サスペンスで、謎が謎を呼ぶ展開がとてもスリリングなのに、観終わるととても爽やかな後味のハートフルドラマ。そんな不思議な魅力の作品だ。三谷幸喜の舞台劇を観ているかのような絶妙な会話劇を構築したのは、『ALWAYS 三丁目の夕日』で知られる脚本家・古沢良太と、「僕の生きる道」など秀作TVドラマを手がけてきた佐藤祐市監督。映画界、TV界のそれぞれタイプがまったく違う人気者5人を巧く配置して、不協和音が奏でる“一体感”を作り上げた。
<レビュー>
まず言っておきたいのは、こんなものは映画とは呼べない代物である、ということである。
どう考えても、これは映画でやる必要がない。
舞台でやればよい。
それに、映画でしか味わえない映画的な感動が一つも無く、最後の、邦画にありがちな意味のないエンディングテーマが流れるというダメ押しがあって、最終的には怒りさえ覚えたのである。
といいつつも、世間が評価しているように話はまあよく出来ていて、単純に楽しめると思う。
どんでん返しにつぐどんでん返しはややワンパターンな気がした。
最後の宍戸錠がでてくるくだりは、もういいだろうしつこいよ、と思った。
なんでこんなにこの映画の評価が高いのだろう。
いろんなレビューを観たが、絶賛の嵐である。
★★★☆☆
by 駿河シカヲ
夜中の12時から3時にかけて映画を観ることが多い。
近所を自転車で疾走している姿をよく目撃されている。
<マダム葵>
短期間でもの凄い本数の映画を観たりする。
夕方の花街でそそくさと歩く後姿を目撃されることがある。