今日はザック・スナイダー監督の『300(スリーハンドレッド)』について語ろうと思うとります。
紀里谷和明はもうちょっと頑張って欲しいものです。
<公式サイト>
http://wwws.warnerbros.co.jp/300/
<作品あらすじなど>
300 <スリーハンドレッド> - goo 映画
紀元前480年。スパルタ王レオニダスのもとに、圧倒的な軍力を誇るペルシア帝国・クセルクセス王の遣いがやって来た。曰く、土地と水を差し出さなければ、国を滅ぼすという。しかしレオニダスは遣いを葬り去り、ペルシアと戦う道を選んだ。託宣師のお告げも無視し、テルモピュライでの決戦に挑むスパルタの精鋭たち。その数はたった300人。対するペルシアの軍勢は、なんと100万の大軍だった…。
ヘロドトスの「歴史」にも記されている伝説の戦いを描いたフランク・ミラーのグラフィック・ノベルを映画化。圧倒的不利な状況にも全くひるまず、むしろ楽しむかのように戦いに挑んでいくスパルタ戦士たちの姿を、壮大なスケールで描いていく。全ての映像は“クラッシュ”と名づけられた画像処理が施され、まるで小説の挿絵のような斬新な風合いになっている。その中でジェラルド・バトラー、デイビッド・ウェナムらが演じるスパルタ戦士たちが、雄々しく猛る。監督は『ドーン・オブ・ザ・デッド』でジョージ・A・ロメロの名作を見事にリメイクしたザック・スナイダーが務めた。また原作のフランク・ミラーは製作総指揮も担当している。
<レビュー>
なんだかこの映画が妙に気に入っておりまして、もう三回目です。
昨日テレビで『トロイ』をやっていましたな。
あんなくそつまんねーのは観なくて結構です。
やはり男なら本作を観ていただきたい。
ちょっとさっきに柳下毅一郎や町山智浩や高橋ヨシキたちの、グラインドハウス映画座談会の動画を観ておりまして、
その中で以下のようなやりとりがあったのだ。
おおよそこんな感じ。
柳下「ロバートロドリゲスのシンシティは良かったよ」
町山「ええ?あんなのつまんないよ。あんなの全然アクションになってないよ」
柳下「あれはアクションじゃなくて、『絵葉書』なんだよ」
それで腑に落ちました。
300も、いわば絵葉書の映画である。
もっと言えば紙芝居の映画である。
スローモーションを多用しているせいか、アクションだらけのはずなのに何故かアクション不足な印象。
カッコいい静止画をみせられているような気分になる。
つまり、マンガなんですな。
いいじゃないかねマンガで。
だって面白いんだもの。
少年ジャンプ読んで興奮していた感覚が蘇ってきました。
この映画はおそらく賛否両論でしょう。
受け付けない人はただの荒唐無稽なモノにしかうつらないでしょう。
ぼくは断然擁護したい。
ヒーローが戦うのに余計な注文はいらないのです。
どんどん人間離れしたモンスターが出てくれば良いのです。
正面からぶん殴りあえばいいのです。
PRIDEの入場前VTRみたいに煽りまくればいいのです。
痛覚描写なんて無くたって良いのです。
テレビゲームみたいだって?
バカ言うんじゃないよ。
マチズモが男の誇大妄想でしかないのだとすれば、テレビゲームでいいじゃないですか。
人種差別?障害者差別?
そんなものは現代の倫理観ですよ。
そんないっときの倫理観にしばられて映画なんか作ったらいかんのですよ。
それにスカムやモンドに比べたら、露悪的にすらなっていないし、むしろおとなしいと思ったよ。
ということで、バキと男塾とドラゴンボールが好きな男性におススメです。
P.S.
さっきPRIDEのVTR云々のくだりのときに思ったけれども、こういう映画は煽ってナンボですね。
どれだけ煽れるか、というのが勝負です。
あと、主人公の怒鳴り声とか雄たけびを聴いて思ったんだけど、外国人の迫力って凄いよね。
まるでハードコア音楽だよね。日本人のノドじゃあの迫力はだせないんだよね。うらやましい。
★★★★★
そういえば年が明けたわよね。いかがお過ごし?
今日は『スーパーバッド 童貞ウォーズ』について書くわ。
アテシこれを海外で見たんだけど結構話すの早くて大変だったわ。
最近字幕版で再見したから書こうと思ったの。
要は童貞を捨てたいティーンエイジャーの映画よ。
今までアメリカで腐るほど作られてきたテーマね。
まぁでも面白いわよ。笑えるって言う意味で面白い映画ないか探してるならこれを見るといいわよ。
トークも突き抜けて汚い言葉使いまくりだからリアリティあるわよね。
男同士で規制を気にして喋ることなんてあるわけないんだし。
童貞を捨てたい、未成年だけどお酒を買いたい、友情と恋、それぞれの道へ
みたいな話が好きならいいと思うわ。
アテシ、エヴァンがあんまり好きじゃなかったわね。
どうも当たり障りのない正論で無難に角を立てずに自分が悪者になることなく立ち回ってる感がしてまるでシカヲちゃんを見てるようだったわ。
セスなんて正直じゃない。フォーゲルがお酒買ってるときに警察が来て、フォーゲルのことなんて考えずお酒買えないことに苛立ってるセスなんてかわいいもんよ。
エヴァンはフォーゲルはどうするんだとか言っちゃってるけど結局何もせず車に乗ってるじゃない。
一番最後にエヴァンを助けるのもセスだし、思い出してみるとエヴァンがセスのために何かしてあげたことなんてないんじゃないかしら。
あ、あと女の子達がかわいいわよ。
いかにもいそうなかわいさがいいわよね。
この映画で引いちゃうような女なんてダメだと思うわ。
男たちのことを愛しく思うくらいじゃないと。
そんな感じよ。
ごきげんよう。
『エグザイル / 絆』に続いて、ジョニー・トーの『ザ・ミッション/非情の掟』を観ました。
<作品解説>
ザ・ミッション 非情の掟(2000) - goo 映画
香港電影金像賞をはじめ数々の賞を受賞し、日本でも2000年秋に開催された香港映画祭で絶大な支持を受けた傑作アクション。アンソニー・ウォン、フランシス・ンなど、欧米でも人気の実力派俳優が多数出演している。監督は「ヒーロー・ネバー・ダイ」のジョニー・トゥ。
<レビュー>
『エグザイル/絆』の完成度に驚き、さっそくジョニー・トーの他の作品を観ようとTSUTAYAに駆け込み、
この作品を手にしたのです。
ザ・ミッションはジョニー・トーが世界的に知られるようになった作品。
タイトルぐらいは聞いたことがあったような気がするが、ミッションと名のつく映画はたくさんあるわけで、
本当に知っていたかどうかは疑わしい。
いずれにせよぼくは香港ノワールに注目していなかったのだ。
『インファナル・アフェア』はたしかに面白かった。
思ったよりスタイリッシュでハリウッドでも全然いけると思った。
けれどもパート2、3と回を重ねるごとに尻すぼみになっていったために、最終的な印象は薄れてしまったのだ。
で、『エグザイル/絆』が去年から世間でやけに評判になり、遅ればせながら鑑賞し、衝撃を受け、
ごめんなさいごめんなさいと映画の神様に謝っているところなのです。
『エグザイル/絆』が贅沢モードでつくられたフルコースのディナーだとすれば、
『ザ・ミッション/非情の掟』は底知れぬ可能性を秘めた一品料理という感じ。
単純な面白さでは『エグザイル/絆』に軍配が上がるが、ヤバさでは『ザ・ミッション/非情の掟』に軍配が上がる。
とにかく両作とも年末に大きな大きなインパクトを残してくれた。
ハードボイルドの匂い、フィルムノワールの匂い、いかがわしいアジアの匂い、西部劇の匂い、など、本作にはいろいろな匂いがある。
それらの匂いをオリジナリティに昇華させてしまう力を持ったジョニー・トーは間違いなくシネフィルなのだろうが、タランティーノ的ではない。
タランティーノは映画が好きで好きで仕方がないという姿勢が見てとれるけれども、
ややオタク的な嗜好性がある。
すなわちマニアを喜ばせたい、メタ的な解釈で喜ばせたい、という部分があるのだ。
それは間違ってはいないけれども、例えば彼の変質狂的な過去映画の引用は細かすぎて、
彼よりも明らかに映画に詳しくないぼくなんかは一切無視して見ているのである。
で、全部はぎ取って根幹だけ見ると彼の映画は驚くほど映画的ではなかったりする。
一方ジョニー・トーの映画の撮り方は非常に映画的である。
何故かと考えて分かったのだが、彼はいろいろなジャンルの映画を撮っているのだ。
『ターンレフト、ターンライト』なんていうテレビドラマみたいなくっさいくっさい映画を撮っている。
つまり彼は職人なのだ。
作家主義を捨てている部分がある。
ぼくは北野武のマニアを自称している。
だから北野映画の影響を受けている作品を見るとそれに触れずにはいられない。
ジョニートーがキタノ映画を見ているのは間違いない。
まずガンアクションにおいて、静と動のコントラストからの突然の暴力、恐怖をうみだし、緊張感をあおる手法は、西部劇でもあるけれども、時代的に同じことをやっているのはキタノ映画である。
それから、紙屑をサッカーボールにして蹴りあうシーン。
会話ではなく、無言の『遊戯』を見せることによって、男たちのゆるぎない結束をこちらに分からせてしまうセンスもキタノ映画である。
気がつくとセリフがほとんどないのもキタノ映画。
つまり両者に共通するのは、映画を物語として見せるのではなく、画面の中の動作で見せてしまうという演出方法である。
本来映画はアクションなのだ。
これができる監督は絶対的に優れていると思う。
違う部分もある。
初期の北野武は映画の神から授かったセンスだけで作品をつくりあげてしまったけれども、
ジョニートーはいわゆる職人である。
セルジオレオーネというよりも、ハワードホークス的であるのだ。
実はそれって大きな違いなのである。
初期キタノ映画はただただ斬新な衝撃があったが、ジョニー・トーは過去の映画的記憶をズルズルっと引っ張りだされる快感があるのだ。
それから、細かい部分で言うと、キタノ映画はこれがリアリズムだと言わんばかりに撃たれたら即死するけれども、
ジョニー・トー映画は撃たれたあと、倒れるまで奇妙な「間」がある。
この奇妙な「間」には非常に映画的リアリティがあってゾクゾクした。
象徴的なのがクビになった気弱なボディーガードがボスをかばって撃たれるところ。
撃たれた後の数秒間の表情は滑稽で悲しくて切なくて怖い。
撃たれた、死ぬ、死ぬ、死ぬ・・・という、非情な「間」である。
映画にはこの数秒間のロスタイムがあって許されるのだ。
ある意味キタノもジョニー・トーもホラーである。
『死』に触れるときのセンスにはどちらも戦慄を覚える。
特典映像インタビューで、ジョニー・トーは「正直俳優は誰でも良い」と言っていた。
これには一つ言いたいことがあって、実はジョニートーは誰でも良いわけではないのだと思う。
それは深読みではないと断言できるのです。
「誰でも良い」と言う監督のもとで使われる俳優ほど分かっているのである。
実際エグザイルもザ・ミッションもほぼ同じ役者陣で固められている。
つまりジョニー・トー組があるのだ。
「誰でも良い」とのたまう監督に使われたい役者がそろっているのだと思う。
アンソニーウォンのインタビューがおそろしくかっこいい。
すべての答えがでている。
まさになんでも即興でとってしまう香港スタイルの矜持。
素晴らしい。拍手をおくりたい。
役になりきるだとか余計なことを考えずに、ただ画面に映ればよいのだ。
そこで動けばよいのだ。
最後に一つ。
この映画には大ファインプレーがある。
この映画のテーマソングには恐ろしいほどの殺傷能力があるのだ。
やたらチープな電子音で妙にクセいなるメロディーが延々繰り返されるのだが、
それが劇中くどいほど流れる。
元来音楽がずっと流れる映画は好きではないが、これは完全にアリ。
★★★★★
駿河シカヲですこんばんは。
周防正行監督『シコふんじゃった。』を観ました。
<解説・あらすじ>
シコふんじゃった。(1992) - goo 映画
キリスト教系の教立大学4年の秋平は、父親のコネで就職も決まり、残りわずかな大学生活を思いっきりエンジョイしていた。ある日、卒論指導教授の穴山に呼び出される秋平。授業に一度も出席したことのなかった秋平は、穴山から卒業と引き換えに、彼が顧問をしている相撲部の試合に出るよう頼まれ、仕方なく引き受けてしまう。ところがその相撲部の部員は8年生の青木ひとりだけ。相撲を心から愛しているものの一度も試合に勝ったことがない。やがて秋平と同じようにデブのクリスチャン田中と、秋平の弟・春雄が入部。さらに春雄に思いを寄せるデブ女の正子がマネージャーとして参加。このメンバーで何とか団体戦に出場するが惨敗。秋平は思わず「今度こそ勝ってやる!」とOB達に宣言。こうして3カ月後のリーグ戦を目指すことになってしまう。そんな秋平らを見守る名誉マネージャーの夏子。それにイギリスからの留学生スマイリーも加わるが、人前でお尻をさらけ出すことを拒むスマイリーは、まわしの下にタイツをはく始末。名門相撲部復活をかけて厳しい練習の毎日が続く。そして夏合宿を経て、ようやくリーグ戦出場。秋平らは何とか勝ち進んでいくがやや苦戦気味。スマイリーも彼らの奮闘する姿に圧倒され、ようやくタイツをはぎ取り試合に出場。教立大学相撲部は優勝するのだった。そして、部員はそれぞれの道を歩み、いつしか相撲を心から愛するようになった秋平は、ひとり相撲部に残る決意を固めるのだった。
<レビュー>
日本映画って素晴らしいと思うことがある。
この作品もそう思えました。
後から考えると、非常にレベルの高い作品でした。
ぼくは周防監督の作品はそこまで好きだと思ったことはないのだけど、
『シコふんじゃった。』は好きです。
『Shall We ダンス?』より笑えます。そして好感がもてます。
なんだっけ、あのシンクロナイズドスイミングの糞映画がありますね。
いわばあれと同じストーリーですわ。
けれどあれよりずっとマシです。
いちいち大袈裟なんだけど、いやらしい大袈裟じゃないんですね。
押さえる部分と、抑える部分をわきまえる。
青春モノにはそれが特に必要とされるのです。
この作品にはそれが出来ている。
そこがあのシンクロの映画との違いです。
部員役がみな良い。
まず何と言っても竹中直人ですね。
ああいう年をとった大学八年生っていますよねえ。
サークルとかにねえ。
まあ、以前のオレなんですけど。
そして、モッくんの弟役の人が素晴らしかった。
台詞の棒読み加減、
アレはまさに小津映画ですね。
(そういえば明らかに小津へのオマージュと思われる撮り方もあったりしました)
相撲を淡々と撮っているのがいい。
技巧的な演出を必要としなくても、映画は撮れるんです。
似たところで『ロボコン』を思い出しました。
ぼくは相撲のテレビ観戦が趣味でして、
生放送は仕事で見られないんですが、大相撲ダイジェストなんかでちゃんと取り組みはチェックしているのです。
で、そこそこ目の肥えた私に言わせると、
この映画、相撲をちゃんと撮っています。
技術的なところで意外にしっかりしています。
という風に、褒めまくったわけですが、
ただ、もっと何か頑張れば、
『稲中卓球部』の奇跡的な高みに到達できたんじゃないかと、
そんな風におもうのです。
惜しいです。
もしかしたら周防監督なら、稲中卓球部の実写版を作れるかも・・・?
★★★★☆
どうもお久しぶりです。駿河シカヲです。
本当にお久しぶりです。
正直なところ、面倒くさくなって投げ出していました。
見た映画すべてレビューするのは性格上無理です。
ごめんなちゃい。
とりあえず、松本人志監督『しんぼる』を。
<作品解説・詳細>
メキシコのとある町。妻子と父と暮らすプロレスラー“エスカルゴマン”は、いつもと変わらぬ朝を迎えていた。しかしその日、妻は彼の様子がいつもとは違うことを感じていた。それは今日の対戦相手が、若くて過激なレスラーだということだけでなく、何かが起こりそうな妙な胸騒ぎを感じていたからだった。一方、奇妙な水玉のパジャマを着た男は、目を覚ますと四方を白い壁に囲まれた部屋に閉じ込められていた。ここがどこなのか、どうして連れてこられたのか…。見当もつかないまま、とりあえず出口を探し始めた彼は、壁に“あるもの”を見つけ…!?
初監督作『大日本人』(07)から2年。松本人志、注目の長編監督作品第2弾が完成した。カンヌ国際映画祭の監督週間で公開され、今年に入ってアメリカで劇場公開されるなど、海外からも熱い注目を浴びた前作。カンヌに足を運び、現地の反応を肌で感じた松本は、最新作では日本語のわからない観客の存在をより強く意識した様子。セリフの応酬ではなく、ほぼ唯一の出演者である松本の表情や動き、さらに“超”日本的なモチーフを登場させるなど、直感的に笑わせる内容になっている。しかしその笑いは、シュールで無邪気で、時にシニカルな松本ワールド全開! この日本が誇る“お笑い”センスが、世界にどう受け取られるのかも気になるところだ。
<レビュー>
今回は世界を意識した笑いを表現したかったようです。
しかし、はっきり言って、というか松ちゃんファンのほとんどが思っていると思うが、
彼の笑いが世界に通じるわけがない。
というと語弊がありますね。それは悪い意味じゃないのです。
それに、ぼくは松本人志の笑いが一番面白いと思っているし、一番好きだ。
「笑い」というのはローカルであればあるほど笑える、ということをどこかで聞いたことがある。
つまり、ごく親しい友人内での狭い狭い共通理解のうえでしか成り立たない笑いこそが最も笑えるのである。
「俺達にしかわからない」感じってあるでしょう。ある種の差別的な意識も作用しているはずなのです。
で、松本人志の面白さというのは、極めてローカルな部分にあると思うのだ。
だから本当は人気があってはならない存在なのだが、才能がケタ違いなのと、浜ちゃんのツッコミの分かりやすさでもって日本の笑いのトップに君臨していると思うのです。
だからよくて日本まででしょう。
特に、言い方で笑わせる部分は、捨てなければならない。
松ちゃんの「言い方の面白さ」は絶対に世界に伝わりませんよ残念ながら。
あと、誰も作ったことがないような、斬新な作品を作りたい、という気概は半端じゃないほど感じる、それはこの映画で最も買いたい部分なのだが、しかしながらその試みは失敗だったでしょう。
かなり駄目だったと思います。
特に後半はかなりクソだと思います。
ラストなんて残念極まりないですよ。
まあネタバレは避けたいのでこれ以上言いませんが。
ライムスターの宇多丸さんが、ウィークエンドシャッフルというラジオのシネマハスラーというコーナーにて、非常に的確な批評をしております。
ポッドキャストで聴けますので、是非そちらを。
言いたいことは宇多丸さんが代わりにほとんど喋ってくれています。
ちなみに「20世紀少年」のほうはほぼ99%同じ意見です。
まあ、しかし、次回作も映画館で観ますよ。
それだけの価値があるってことは間違いないです。
そういう意味では素晴らしい作家なんだと思います。
★★★★☆
更新が滞っておりました。
このブログを始めた時、観た映画を片っ端からレビューしていこう、
どんなにクソみたいなレビューでも残していこう、
と、そのように思っていたのですが、
ここまで更新が溜まってしまうと、もう無理です。
もう何を観たのか忘れました。
とりあえず、覚えているのをレビューします。
三池崇史監督「スキヤキ・ウエスタン・ジャンゴ」を観ました。
<公式サイト>
http://www.so-net.ne.jp/movie/sonypictures/homevideo/sukiyakiwesterndjango/
<作品あらすじ・解説>
スキヤキ・ウエスタン ジャンゴ - goo 映画
壇ノ浦の戦いから数百年、平家の落人が拓いた山あいの寒村“湯田”は、埋蔵金の噂を聞きつけ押し寄せたよそ者たちに荒らされ放題だった。そして今、平清盛の平家ギャングと源義経率いる源氏ギャングの果て無き抗争の真っ只中に、さすらいのガンマンが流れ着く。清盛も義経も凄腕のガンマンを用心棒にしようと画策するが、寡黙な男が目を留めたのは、清盛への復讐心に燃え、義経の元に身を寄せる女・静だった。
マカロニ・ウエスタンがあるならスキヤキ・ウエスタンがあったっていい。かつて黒澤明の名作『用心棒』が翻案されてイタリア映画『荒野の用心棒』が生まれたのだから。しかも全編英語のダイアローグが、源平合戦と西部劇がミックスされた異空間にぴたりとはまる。さらには、伊藤英明の寡黙なガンマン、佐藤浩市演じる卑怯者の清盛、伊勢谷友介の残忍で美しい義経、香川照之の壊れゆく保安官等々登場人物の造形が秀逸で面白いのだ。クエンティン・タランティーノと桃井かおりの秘められた絆も、北島三郎の主題歌も、もちろん体を張った泥だらけの本格アクションも申し分ない。これは、監督・三池崇史が送る娯楽活劇の決定版だ。
<レビュー>
あれです。これはタランティーノのノリが許せる人、もっと言えばキル・ビルを許せる人は、
大丈夫でしょう。
B級映画を金かけて撮ってます。
まあぼくは許せます。
こういうのは楽しめばいいんです。
楽しみ方はなんでもいいんです。
普通にフィクションを楽しむのも良し、映画マニア的にメタフィクションを楽しむのも良し。
全体的に、非常に「映画的」な映画です。
わかりますかね。
ああ、映画だなあ、って感じです。
だから、良いってことにしましょう。
いろんな批判があると思いますが、無視しましょう。
これはタランティーノ色のメガネをかけたセルジオ・レオーネかと思いきや、最終的にはほとんど何もかもがクロサワでした。
静御前(?)を演じる木村佳乃が悲しいほどエロくない。
これは一番の不満です。
いつも言っているんですが、ヒロインは大事なんです。
なんとか頑張ってジェシカ・アルバを起用できなかったものですかね。
ちなみに、全員英語を喋ります。
英語を喋るのにみんな必死です。
唯一、ただ見ているだけで惹きこまれるのは伊勢谷友介です。
彼の顔は、こういった場合に優位性を持っています。
窪塚君を超えましたかね。
どうでしょう、褒めすぎですかね。
香川照之は大好きなんですが、今回の香川さんの演技は良くも悪くも最早オナニーですね。
いや、でもこれは楽しめます。
無駄に豪華なキャストとか。
もう少しテンポが良ければ、もっと楽しめます。
三池崇史にあたりはずれが多いのは、もう全然オッケーです。
今回はハズレですが、なんでもやっちゃう三池監督が好きです。
★★★★☆
葵姐さんにこの場を提供してもらいました。映画について書こうと思います。
というわけで今回は『スウェーディッシュ・ラブ・ストーリー』について書きます。
原題は"En Kärlekshistoria"です。
日本初公開のときの邦題は『純愛日記』らしいです。1971年のことです。
この映画はすごいです。
何がすごいって、かわいすぎます。死ねます。
僕のロリコン人生の中でも五指に入ります。
余裕でジブリのヒロインと張り合えます。
アニカという少女とペールという少年の恋の話です。
アニカのかわいさが尋常じゃないです。
というか、この映画は
「ヨーロッパの片田舎に微妙な不細工として生まれ、13歳のときに同い年の美少女と恋に落ち、純粋な愛とぎこちない性に溺れたい」
というロリコンである僕の夢を半ば実現してるのです。
もうね、アニカがかわいすぎるのですよ。ペールは不細工なくせにね。
アニカの何がかわいいって、ペールのこと大好きなのがかわいいんですよ。
いや、それはムカつくんですよ。死ねって思うんですよ。
でもね、アニカのペールを見る目とかね、ペールとあったときの嬉しそうな顔とかね、やばいくらいかわいいのですよ。
ていうか何あの顔。あの目。あの微妙な仕草。
演技とはいえないくらい愛おしいではないですか。
死ねって思うよ。
というかですよ、というかですね、この映画、普通の恋愛映画としてみてもラブラブっぷりがすごいのですよ。
さらに、というか、この映画ね、ただただ二人のラブラブっぷりを見るだけの映画なのですよ。
これは語弊がありますがね。
わりと深いとこ色々考えさせられますよ。でもね、そんなのは関係ないんです。
そんなのはみんなが自分で見て感じ取ればいいんです。
アニカがかわいすぎるってことが僕にはやばいの。もうやばいの。
ペールが彼女の家に行って二人で過ごしてるときのね、アニカの表情とかやばいの。
ペール大好きなの。僕死ぬの。
まぁその夜やっちゃうんだけどね。
もうね、僕ね、こんな記憶をね、15歳のとき、13歳のアニカとこんな風に過ごした記憶っていうのをね、アニカにあんなふうに見つめられたっていう記憶をね、持てたらもういいんだ。
死んでもいいんだ。
でもね、ペールはその記憶を持ってるでしょう。もういいにして欲しいんだよ。
その不細工さを活かして人生路頭にでも迷ってほしいんだよ。
そのまま年取ってアニカと結婚して一生愛し合って暮らすならそれはまた逆にありです。
でもね、ペールみたいな微妙顔とアニカっていうのは実にリアリティがあるのだよ。
なんかね、ペールは不細工なくせにしばらくしたら「おっぱいがちっちゃい」っていう理由で捨てそうなんだよ。アニカは泣くんだよ。ペールが大好きだから。
死ねばいいのに。
体験したいってことじゃないんだよ。まぁしたいけどさ。
記憶が欲しいの。それでいいの。
自分の15歳のときの記憶に欲しいの。
とにかくね、これラブラブなのですよ。
まず冒頭でボーイミーツガールですよ。
で、もうね、お互い一目惚れ。
で、そしたらまぁとってつけたような葛藤やすれ違いがあるんだけど、結局お互いのベタ惚れっプリを示してるだけなのですよ。
ていうかすぐにくっつくし。物語の序盤ではもうくっつくの。もうね、すぐラブラブ。
で、その後ね、ちょっとした諍いがあるのね。とってつけたように。
第三者とイザコザがあってね。
で、まだクソガキだからさ、ペールはちょっとアニカを無視しちゃうの。
でもアニカはすごくペール大好きなの。
アニカを無視してバイクで走り出そうとするの。
アニカは泣きながら叫ぶの。でも行っちゃうの。アニカは立ち尽くすの。
すると戻ってくるの。抱きしめるの。あとはもうずっとラブラブ。
この諍いなんて映画の中ではほんの少しのホントにとってつけたようなものなんだけどね。
とにかく後はもうずっとラブラブなの。葛藤もすれ違いも疑惑も邪魔も何もないの。
色んなフラグとかあるのにね、全部無視。
なんの邪魔もなくずっとラブラブなの。
ペールがアニカの家に行って、両親は出かけてその日は帰ってこないの。
で、やっちゃうの。朝になってエヴァが来て見つかるんだけど、エヴァは話がわかるからそれで終わるの。両親にばれて引き離されてどうのこうのはないの。うまいこといっちゃうの。
好き好きすぎて、なんにも不安とかないの。不満もないの。
家庭環境とか両親のこととか、悲劇を混ぜようと思えばいくらでもできる環境なのに何もないの。
両親との軋轢をわかってくれないペールに徐々に不満が積もるとかないの。
ペール大好きなの。
この時代のヨーロピアンローティーン恋愛物的な悲劇的エンドもないの。
ラブラブのまま何もなく終わるの。
ハッピーエンドですらないの。
こう書くとくだらなく見えるだろうけど、そうでもないのですよ。
さらにアニカのかわいさだけでも見る価値はあるといえるのです。
今度ぜひ熟女専のシカヲ君と共に鑑賞会でも開いてこれを一緒に見たいと思います。
そしてレビューをここに書いてもらいたいです。
キム・ギドク「絶対の愛」を観ました。
<作品解説・詳細>
絶対の愛 - goo 映画
交際を始めて2年になる男性ジウを深く愛しながらも、彼に飽きられてしまうのではないかと不安に思っているセヒ。彼女は顔を整形する事を決意、突如ジウの前から姿を消す。セヒを忘れられず苦悩していたジウは、何人かの女性と肉体関係を持とうとするが、その都度何者かに邪魔をされる。そして半年後、以前セヒとよく行った喫茶店で魅力的なウェイトレスに出会う。彼女の名はスェヒ。次第にジウは彼女に惹かれてゆくのだったが…。
『サマリア』『弓』など、年1作のペースで快作を連打する韓国映画界屈指の鬼才、キム・ギドク監督が贈る究極のラブ・ストーリー。愛情の疑心暗鬼から、自分の顔を整形した女性と恋人の激しい愛が今作のテーマだ。顔を作り変えてまで永遠の愛を求めるヒロインに『女は男の未来だ』のソン・ヒョナ。彼女自身、数年前に整形したということを告白し、韓国での公開時に話題となった。世界有数の整形大国といわれる韓国の美容事情を背景に、キム・ギドク流の独創的なストーリーが観るものを圧倒すること間違いない。
<レビュー>
goo映画には「キム・ギドクの独創的なストーリー云々」と書いてあるけれども、
テーマ自体はもはやありふれている。
恋人の顔が整形手術によって変わっても愛し続けることができるのか。
絶対の愛とは・・・?
下手すると民放テレビドラマなんかでありそうですね。
今で言えば相武紗季あたりが主演でね。
ただしキムギドクはアウトサイダーなので、簡単なドラマにはならない。
極めて激しく危険なドラマになってしまう。
だが今回は、ありがちな話であるということで、ストーリーそのものについてキムギドクを褒めることはしないでおく。
ただ、最後と最初をつなげることで、話が延々ループするという構造はさすが。
キムギドクが優れているのは、なによりも単純な映画としてのクオリティの高さである。容赦のないアブノーマルな描写ばかりに気を取られてはならない。
おそらくこの人はひどく退屈な原作だって印象的な映画にしてしまうだろう。
演出そのもののレベルが非常に高いために、単純に映画として楽しめる。
シンボリックな演出、小ネタを配置することで話が立体化してゆく。
けれどもドラマツルギーがしっかり準備されているわけでもなさそうである。
要は天賦の才能で映画を作れる人なんですね。
つまりは北野武と同種の才能があるってことだ。
二十代は軍人として過ごし、三十代前半はフランスで画家として過ごし、ろくに映画も見なかったキム・ギドク。
天才である。
基本的に最近の韓国映画を最近の邦画よりも擁護している私ですが、ひとつだけ言わせていただきたい。
韓国人ちょっとキレやすくないですかね。
登場人物が瞬間湯沸かし器の率が多いと思うんですが。
そのへんの、我々との国民性の明らかな違いを、韓国映画から見出すことができます。
これは映画云々とは関係なく、文化人類学的な、社会学的な勉強。
★★★★★
駿河シカヲ
マダムとともに、フランク・ロッダム監督の「さらば青春の光」を観ました。
<作品解説・詳細>
さらば青春の光(1979) - goo 映画
英国のロック・グループ“ザ・フー"が73年に発表したLP“四重人格"を基に若者たちの暴走、愛、挫折などを描く青春映画。製作総指揮はデイヴィッド・ギデオン・トムソン、製作はロイ・ベアードとビル・カービシュリー、監督はフランク・ロダム、脚本はデイヴ・ハンフェリーズとマーティン・スチルマンとフランク・ロダム、撮影はブライアン・テュファノ、音楽はロジャー・ダルトリーとジョン・エントウィスルとピート・タウンゼンドが各々担当。出演はフィル・ダニエルス、レスリー・アッシュ、スティング、フィリップ・デイヴィス、マーク・ウィンゲットなど
派手なデコレーションをしたスクーターに乗った若者たちが集まり、それぞれキマッた服に身を包み降り立った。細身のアイビー・スーツにネクタイを締め、米軍放出のロング・コートを無造作にはおっている彼らは、自分たちのことを“モッズ"と呼んでいた。ジミー(フィル・ダニエルス)は、広告代理店のメイル・ボーイをしている。仕事はつまらないが、給料は悪くないので、洋服代と散髪代とクスリ代には困らない。会社がひけるとジミーは、モッズの溜り場のクラブに行き、夜中をそこで過ごした。そのクラブには、絶えずロックの音楽が流れ、デイヴ(マーク・ウィンゲット)、チョーキー(フィリップ・デイヴィス)らが集まっていた。ジミーはその店で見つけた娘ステフ(レスリー・アッシュ)に関心を寄せていた。モッズの間では、ロッカーズとの対決の話題でここのところもちきりだった。リーゼントの髪をグリースで固め、汚ない皮の上下でオートバイを乗り回しているこの“ロッカーズ"とは、お互いに軽蔑し合う仲で、ことあるごとに衝突していたのだ。次の週末には、“ブライトン・ビーチ"で勝負をつけることになっておりジミーはスーツを新調し、クスリを大量に手に入れ、その日の来るのを待った。いよいよ、決闘の日が近づき、ブライトン・ビーチに集まるモッズとロッカーズ。ステフも来ている。しかし、彼女はクロームの銀ピカのスクーターでキメているエース(スティング)に夢中のようだ。翌朝海岸通りをシュプレヒコールで歩くモッズとロッカーズの乱闘がはじまった。しかし、その決着がつかぬうちに、警官隊が出動した。ジミーとステフは狭い路地に逃げこみ、そこで2人は体を合わせた。留置場で一夜を明かし、戻って来たジミーは、母親から家を出るように言われ会社もクビになってしまった。ものにしたと思ったステフも今はデイヴの恋人になっていた。むなしいままに一人スクーターを走らすジミーは、いつのまにかブライトン海岸に来ていた。モッズの矯声の消えたカフェに坐り、浜辺にうずくまるジミー。ロッカーズとの衝突の日が嘘のように、そこは色褪せてみえた。海岸通りを歩くジミーの眼にクロームの銀ピカのマシーンが映った。それはエースのスクーターだった。一緒に警官と闘い捕まり、裁判に立ったエース。しかし、懐かしさに歩み寄るジミーの目の前に現われたエースの姿は、イソイソと働いているベル・ボーイであった。モッズのスーパー・スターのみじめな姿をそこに見たジミーは、完全にすべてが過去のものになったことを感じた。エースのスクーターを奪うと、ジミーはドーバー海峡の壁面の断崖を走った。彼は思いつめた表情で何か叫ぶと力いっぱいアクセルをふかすのだった。
<レビュー>
さらば青春の光って言ったら、ぼくの中ではやっぱ布袋さんですよ。
布袋さんの暑苦しいボーカルを思い出します。
大学時代ぼくは軽音楽サークルにおりまして、一部の先輩がモッズの格好をしておりました。
当然べスパに乗っていました。
で、この映画はモッズの話です。
こいつらはただの馬鹿です。チンピラです。ロクデナシです。
モッズはロッカーズと抗争します。
アホです。
この二つのグループがブライトンに集結して大乱闘になります。
物凄い人数です。暇な奴等です。いい迷惑です。興奮します。
みなさん、何はともあれ、ブライトン・ビーチの大暴動は必見です。
人がうじゃうじゃいて、そいつらがワーワーやり合うだけで、映画として面白いということが分かります。
主人公ジミーは最後死んでおりません。
このあと最初のスクーターを落として海岸を歩くシーンにつながっている、ということです。
We Are MODsの大合唱でふと思いました。
We Are REDsの大合唱はこれからパクったんですかね。多分そうですね。いやどうだろう。
若者は挫折する生き物なのでしょう。
若者の挫折を描いたこの作品を観て、痛々しさを感じないのは何故だろう。
ただし、若いということが惨めだというのは、
まあそうなんだろうなあと思います。
ファッションはキメすぎていて軽薄な印象だし、喜怒哀楽すべてが怒に向かっていて、苛立ちをコントロールできないサマは身につまされないわけでもない。何もかもかっこ悪すぎます。
お洒落な雰囲気を楽しむ見方もあります。
まあそれでもいいんでしょう。
モッズ達の憧れであるエース役のスティングはそんなにカッコいいのでしょうか。
正直良く分かりませんでした。
エースがホテルのベルボーイの仕事をしていることを知って、
それに幻滅した主人公ジミーはあろうことかエースのバイクを奪って疾走します。アホです。
金がなきゃ、お洒落なんてできないからね。
ジミーは本当にアホです。
挙句の果てにジミーは死ぬこともできず、エースのバイクを崖から海に放ります。
アホのスパイラルです。
良くも悪くも、
印象的な映画です。
★★★★☆
駿河シカヲ
昨日マダムがコラムで紹介していた「Happy Tree Friends」は観ましたか?
ぼくはさっき初めて観たのですが、怖いですね。愉快ですね。何より怖いですね。
さて、千原兄弟のコントDVD「15弱」を観ましたので、簡単にレビューをします。
<ウィキペディアの紹介>
http://ja.wikipedia.org/wiki/15%E5%BC%B1
<レビュー>
千原兄弟のコントです。
トーク番組の彼らは面白いですね。
千原ジュニアは鉄板ネタをたくさん持っていますよね。
しかしコントのほうをぼくはあんまり観たことがなかったんです。
それで試しに観賞したわけですが、良い意味で予想通りでした。
なかなか斬新な切り口で、ちょいとブラックな感じ。
ひとつひとつはわりとあっさりしていて、パッと思いついたひとつのアイデアで一発勝負するネタが多いです。
長いコントはひとつもないので、割と気楽に楽しめます。
それでいて非常に良く出来ていて、濃厚な味わいがあります。
あとから思い出してはそのたびに「良く出来ているなあ」と感心します。
とりあえず「コイツ」「世界の未来」「マスカ!?」の三本は名作だと思います。
その他、「Yの新しいやつ」「黒子・有限会社ダイトー」「ナイトラウンジ美鈴」なども秀逸です。
こういう言い方をすると、「結局かよ」って思われるかも知れないですが、ダウンタウン好きな人は確実に楽しめるんじゃないでしょうか。
では。
★★★☆☆
ロバート・ロドリゲスの「シン・シティ」を観ました。
ロバート・ロドリゲスは初めてです。
<作品解説・詳細>
シン・シティ(2005) - goo 映画
犯罪の街"シン・シティ“を舞台に、愛を貫こうとする3人の男たちの生きざまを描くアクション・ドラマ。監督・製作・脚本・撮影・音楽・編集は「レジェンド・オブ・メキシコ/デスペラード」のロバート・ロドリゲス。監督・製作・脚本・原作はコミック・クリエイターのフランク・ミラー。特別監督は「キル・ビル」シリーズのクエンティン・タランティーノ。出演は「ホステージ」のブルース・ウィリス、「レジェンド・オブ・メキシコ/デスペラード」「マイ・ボディガード」のミッキー・ローク、「キング・アーサー」のクライヴ・オーウェン、「ファンタスティック・フォー/超能力ユニット」のジェシカ・アルバ、「21グラム」のベニシオ・デル・トロ、「エターナル・サンシャイン」のイライジャ・ウッド、「ホワイト・ライズ」のジョシュ・ハートネット、「ジャスト・マリッジ」のブリタニー・マーフィ、「ワイルド・スピードX2」のデヴォン青木、「アレキサンダー」のロザリオ・ドーソン、「ターミネーター3」のニック・スタール、「キル・ビル Vol.2」のマイケル・マドセン、「バレット・モンク」のジェイミー・キングほか。
醜い傷跡が顔に残る仮出所中のマーヴ(ミッキー・ローク)に愛をくれたのは、高級娼婦のゴールディ(ジェイミー・キング)だった。しかし彼女は殺され、罪をきせられたマーヴは復讐を心に誓う。農場で殺人鬼ケヴィン(イライジャ・ウッド)にハンマーで倒されたマーヴは、この男こそゴールディ殺しの犯人と確信。脱出したマーヴは、黒幕がロアーク枢機卿(ルトガー・ハウアー)であることを突き止める。街に戻ったマーヴを、ゴールディの姉ウェンディ(ジェイミー・キング、二役)が迎える。再び農場へ向かったマーヴは、ケヴィンを殺害し、ロアークの元へ進むが、結局警察に捕らえられ、すべての罪を被ることになる。マーヴは処刑される前に、面会に来たウェンディを、ゴールディとして受け入れるのだった。ある時、ドワイト(クライヴ・オーウェン)は、恋人のシェリー(ブリタニー・マーフィ)につきまとう男、ジャッキー・ボーイ(ベニシオ・デル・トロ)を痛めつける。退散したジャッキーは、ドワイトの昔の恋人ゲイル(ロザリオ・ドーソン)が仕切る娼婦たちの自治区、オールド・タウンへ。実は警部補であるジャッキーは、殺人兵器ミホ(デヴォン青木)に殺され、オールド・タウンの協定が崩れる危険に。街を手に入れようと画策するキャング一味との全面戦争となり、ドワイトと娼婦たちは、ギャングたちを皆殺しにするのだった。ハーディガン刑事(ブルース・ウィリス)は、引退の日にも幼女殺人犯ロアーク・ジュニア(ニック・スタール)を追っていた。誘拐された11歳のナンシーを救出したハーティガンだが、相棒ボブ(マイケル・マドセン)の裏切りの銃弾に倒れ、ロアークに罪をきせられる。8年後、出所したハーディガンは、19歳のストリッパーに成長したナンシー(ジェシカ・アルバ)と再会。2人は互いの強い愛を確認し合い、やがてロアーク・ジュニアに復讐を果たす。だが自分が生きている限りナンシーに危険が及ぶと考えたハーディガンは、彼女を送り出してから、自殺するのだった。
<レビュー>
観始めて十分ぐらいは、モノクロの色彩がわざとらしくて、これは嫌いだな、俺としては無しだな、とか思っていたのだが、いつの間にかシンシティの世界に入り込んでしまって、嫌悪感は微塵もなくなっていた。
単純に面白いではないか。
ロバート・ロドリゲスはインタビューで、「本を映画にするというより、映画を本にしたかった」と言っていた。
なるほど。
っていうか、シンシティというコミックすらぼくは知りませんでした。
原作者のフランク・ミラーも共同で監督しているのですね。なるほど。
あと、どっかしらタランティーノの映画っぽいと思っていたら、タランティーノも一部で監督しているんですね。
つうかタランティーノとロドリゲスは仲がいいんですね。
全体的にバカっぽいところ(悪い意味じゃない)が共通しているしね。うなずける話ですね。
ぼくはその辺のことを全然知りませんでした。
ジェシカ・アルバという女優は間違いなく日本人好みの顔だと思います。
当然ぼくも好きです。
これだけで★ひとつ上乗せです。
ベニチオ・デル・トロはやっぱりあの劇画的な風貌がたまんないですね。
こういう作品には合いますね。
ブルース・ウィリスはやっぱりヒーローの役ですね。
彼はあれしかできないですね。あれしか似合わないですね。
でも最期死にましたね。怖い怖い映画ですね(淀川風)。
ミッキー・ロークの使い方は最高ですね。
彼は間違いなくスターではないですね。
これからは「哀しき巨人」というニックネームにしたいですね。
先日プロレスに出てましたね。
相変わらずの猫パンチでしたね。
最終的に物語をシメたのはジョシュ・ハートネットでした。
奴は始めと終りのおいしいところだけドロボーみたいに奪っていったのです。
というわけで、面白かったです。
どこが面白いのか全く伝わっていないでしょうけれども、面白かったです。
あまりに適当なレビューでした。
★★★★★
駿河シカヲ
休日をのびのびと満喫しました。
今回はガイ・リッチー監督「スナッチ」です。
<作品解説・あらすじ>
スナッチ(2000) - goo 映画
ロンドンの暗黒街を舞台にしたスタイリッシュなクライム・ムーヴィー。監督・脚本は「ロック、ストック&トゥー・スモーキング・バレルズ」のガイ・リッチー。製作はマシュー・ヴォーン。撮影はティム・モーリス=ジョーンズ。出演は「ファイト・クラブ」のブラッド・ピット、「ラスベガスをやっつけろ」のベニシオ・デル・トロ、「60セカンズ」のヴィニー・ジョーンズ、「レインディア・ゲーム」のデニス・ファリーナ、「スペース カウボーイ」のラデ・シェルベッジヤ、「ロック、ストック&トゥー・スモーキング・バレルズ」のジェイソン・ステイサムほか。
ロンドンの下町イースト・エンド。非合法ボクシングのプロモーター、ターキッシュ(ジェイソン・ステイサム)と相棒トミー(スティーヴン・グレアム)は、裏会社の大物になろうと、ノミ屋経営で大儲けしている悪党ブリック・トップ(アラン・フォード)に接近し、彼のために八百長試合を仕込むことになる。当日使うボクサーを連れパイキー流浪民のキャンプを訪れた彼らだが、トラブル発生。ボクシングで勝負させたものの、パイキー青年ミッキー(ブラッド・ピット)がボクサーをノック・アウトしてしまったのだ。一方、ベルギーでは86カラットのダイヤが盗まれる事件が起きており、強盗団の一人、4本指のフランキー(ベニシオ・デル・トロ)は、ダイヤをNYのボス、アヴィー(デニス・ファリーナ)に届けねばならなかったが、途中で小粒の盗品をさばくためにロンドンに寄り、非合法ボクシングの賭けで罠にはめられる。フランキーからの連絡が途絶えて業を煮やしたアヴィーが、ロンドンにやってくる。こうして事態は大混乱に陥っていくのだった。
<レビュー>
パルプフィクションみたいだ。オーシャンズシリーズっぽい(12あたり?)ところもあるような。
いや、それよりも、日本のドラマでこんなのをよく見るな。
クドカンが絡んでいるやつ。
例えば木更津キャッツアイとか、池袋ウエストゲートパークとか。
矢継ぎ早に繰り出されるエピソードをスタイリッシュ(という言い方は嫌だけど)なカット割りでテンポ良くまとめる。
そうか、つまり日本のいくつかのドラマはこの軽快なノリに影響を受けているのか。
内容はびっくりするほど中身がないけれども、そんなのは全然オッケーなのだ。
中身があるようなのを狙ってスッカラカンになってしまったダメダメな映画よりはずっとまし。
とても良い気分転換になりました。
ブラピも楽しそうだし、間抜けな黒人ギャングも良かったし、ジェイソンステイサムはちょっと硬かった気がするけれど(まあ彼だけ悪人なのに悪人になりきれていないのは主人公だからだろう。ちょっと損な役回り)、みんなだいたい悪くてずるくて賢くて馬鹿で楽しくて、まあとにかく全体的に良いんじゃないでしょうか。みたいな。
話が込み合っていて分かりづらいって人もいるみたいだけれど、そこまでじゃない気もする。
無理して全部分からなくても十分楽しめるんじゃないでしょうかね。
あと、人がちゃんと死ぬのが良かった。
別にリアリズムは求めていないけれども、あれで人が死ななかったらズルい気がする。
ちょっと甘いかもしれないけれど、星四つあげよう。
「ロックストック~」のほうも観てみようかな。
★★★★☆
駿河シカヲ
押井守監督の渾身の力作「スカイ・クロラ」を観ました。
宮崎駿なんてくそくらえだって思っているのでしょうか。
愛憎入り混じったライバル関係なのでしょう。
<作品解説・詳細>
スカイ・クロラ The Sky Crawlers - goo 映画
ショーとしての戦争が行われる、仮初めの平和の時代。永遠に年をとらない「キルドレ」のユーイチは、新たに兎離州基地に配属となった。過去の記憶のない彼だが、初めて乗る機体も身体に馴染み、エースの座に着く。基地司令のスイトはそんなユーイチを複雑な眼差しで見つめていた。そんなある日同僚のパイロット、ユダガワが撃墜され死亡してしまう。墜とした相手は、「ティーチャー」となのる敵のエースパイロットだった……。
世界中のクリエイターからリスペクトを受ける押井守監督が撮りあげた鮮烈な物語。森博嗣の小説を原作に、「キルドレ」呼ばれる年をとらない若者たちが、戦闘機のパイロットとして戦いながら生きる意識を変化させていく姿を描く。澄み渡る蒼穹の中を時にあがき、時に愛を求めながら飛ぶキルドレの若者たちは、そのまま生きづらい現代社会で彷徨する現代の若者たちと重なっていく。キャラクターの心情は淡々と描かれる一方、空中戦のスピード感は圧巻。プロペラ機がまるで生き物のように縦横無尽にスクリーンを飛び交う。声優には菊地凛子や加瀬亮ら有名俳優たちをキャスティングし、独特の雰囲気を生み出した。
<レビュー>
年明けあたりに森博嗣を読もうと思って、図書館へ行き、適当に選んで「フラッタ・リンツ・ライフ」を借りたのである。
森博嗣のことをよく知らないぼくは、その時点ではまだその本がスカイクロラシリーズの一つであることを知らなかった。
帰ってさっそく読む。
実はそこまで期待していなかったのだが、予想外に面白く、ぼくはそれからしばらく、つい最近まで森博嗣のスカイクロラシリーズにハマっていたのだ。
シリーズ全巻読み終え、外伝の「スカイ・イクリプス」も読み、そしてようやく、満を持してDVD化された本作を鑑賞した、という流れなのであります。
全然かまわないレベルの話なのだが、原作と違う点はいくつかある。
結末が大きく異なるというのは、実はたいした話ではない。
読み終わった後、観終えた後、同じような種類のやりきれなさと切なさが残った。
つまり、どっちにしろ救いようがない話なのである。
原作との一番大きな違いは何か。
原作の空気感は絶妙に再現されているのだが、だんだん物語の主題が「父殺し」に巧妙に滑ってゆく点である。
「父」というのは、敵の会社のエースパイロットである「ティーチャー(原作ではティーチャ)」である。
ティーチャーは最強の絶対的なパイロットとして君臨している。
主人公のカンナミ・ユーイチ(原作ではユーヒチ)は、そのティーチャーに対して、最後に意を決して堂々と戦いを挑む。
その場面で押井守は主人公に「I'll kill my father!」という原作には無かったセリフを語らせる。
ここが押井守が新たに据えた独自の視点であり、若者に向けた(そして宮崎駿に向けた)強烈なメッセージになっていて、さらにそれが主題であるということを高らかに宣言したことで、物語が非常にクリアなものになっている。
原作では、「謎解き」という大きな側面がある。
キルドレって何?
いったい「僕」って誰なのか。クサナギ・スイト?クリタ・ジンロウ?カンナミ・ユーヒチ?
あれ、クサナギってもしかしてクリタであってカンナミでもあるのか?という疑問。
伏線がたくさん張りめぐらされていて、後々とんでもないトリックに気付いてゆくのである。
しかし、映画のほうでは謎解きのほうはカットされていて、逆に説明不足にも思えるけれども、二時間でいろんなものを詰め込みすぎるのはたいてい良い結果にならない。
原作の雰囲気はかなり近いところまで再現できている。
キルドレたちは、空の上ではイキイキしているのに、地上での生活はまるで死んだようだ。
ぼんやりしていて無個性。妙に無機質で特徴が無い登場人物の表情は巧い。
それから、やたら煙草を吸うところも再現されていて面白かった。
この時勢にあれだけ煙草ばかり吸うアニメは珍しい。
そして、一番見ものだったのはもちろん空中戦で、意外にもそのシーンは少なかったが、アニメの世界的な巨匠である押井守だけあって大変素晴らしく、興奮できた。
だがこれはどう考えても子供が楽しめるドラマでは無い。
おそらく僕らのような自傷の世代の、しかも落ちこぼれた人たちが観て、一番痛みを感じるのではないかという気がする。
いまいち自分の感想を伝え切れていないのが悔しいのだけれど、ぼくはかなり好きな映画です。
少なくとも、もののけ姫以降のジブリよりは百倍好きだな。
★★★★★
駿河シカヲ
「死ね」と思った人は、ぼくを殺して欲しい。
自宅で待ってます。
今回は三隅研次『座頭市物語』です。
<作品解説・あらすじ>
座頭市物語(1962) - goo 映画
子母沢寛の随筆集「ふところ手帖」から「色の道教えます 夢三夜」の犬塚稔が脚色、「銭形平次捕物控 美人蜘蛛」の三隅研次が監督した遊侠もの。撮影は「蝙蝠屋敷」の牧浦地志。
※ストーリーの結末が記されているので注意!
下総飯岡の貸元助五郎の所へ草鞋を脱いだ異風なやくざは、坊主で盲目で人呼んで座頭市。ツボ振りでも居合抜きでも目明きの及ばぬ市の腕を見込んだ助五郎は、彼を客分扱いにし乾分蓼吉を世話係につけた。やくざ嫌いでやくざの飯を食う市は、釣で逢った病身の浪人平手造酒と心をふれ合う思いをしたが、その造酒は助五郎とは犬猿の仲の笹川親分の食客となった。助五郎は新興勢力の笹川一家を叩き潰す機会を狙っているが、その時は市と造酒の面白い勝負が見られると乾分たちにうそぶいた。その頃、身投げしたか落されたか蓼吉の女お咲が水死体となって溜池に浮かんだ。何気なくそこを訪れた市は再び造酒と逢い、その夜二人は酒をくみかわした。お互いに相手の剣に興味を持ったが、やくざの喧嘩に巻込まれて斬り合うのは御免だと笑い合った。この時造酒を訪れた笹川の繁造は、市が飯岡の客分と知り乾分に市を斬るよう命じた。帰り途、市を襲った乾分は市の刀に一たまりもなかった。市の腕前に驚いた繁造は、造酒に喧嘩の助勢を頼んだが造酒は頭から断った。一方、市は昨夜の答礼に酒を贈ろうと思い蓼吉にその使いを頼んだが、代りに行った弟分の猪助は間もなく無惨な死体となって飯岡の鉄火場で発見された。笹川は、この機会を利用して喧嘩を売る決意をしたがそんな時、造酒が血を吐いて倒れてしまった。それを知った助五郎は好機到来とばかり喧嘩支度にかかった。笹川の繁造は、飯岡勢を笹川宿場の迷路へさそい込み座頭市は鉄砲でうちとる策略を立てた。それを知った病床の造酒は鉄砲をうつことだけはやめてくれ、その代り自分が働くと繁造に頼むのだった。そこへ造酒を訪ねた市は、彼が友情のため死を決して喧嘩に加わったことを知った。笹川の作戦は功を奏し飯岡方は苦戦に陥った。血をはきながら斬りまくる造酒。その行手には座頭市が立っていた。ついに二人の宿命的な対決の時が来たのであった。座頭市の剣に造酒は倒れた。座頭市は彼を慕うおたねと共に下総を去っていくのだった。
<レビュー>
勝新太郎といえば座頭市であり、三隅研次といえば座頭市である。
座頭市シリーズをこうしてはじめて観たわけであるが(北野武のは観たことがある)、
想像していたものとは結構違っていた。
これからそれら点をあげてゆく。
まず、冒頭のシーン。杖をついて歩く盲目の勝新が、盲目ゆえに目測をあやまってつまずく。
ここで、あれ?と思う。
はたしてこの盲目の男が戦いで勝てるのか、と。
座頭市に対して無敵の超人をイメージしていたぼくはまず違和感を覚えた。
それから、殺陣のシーンが思ったより少ない。
座頭市が仕込み杖を抜くのはたしか二回しかないし、
実際に戦うのは最後だけである(ちなみに敵役の天知茂は非常に良い味をだしている)。
しかし、いざ剣を抜いたときのインパクトは凄い。
勝新の驚異的な瞬速抜刀術は、観る価値が大いにある。
ただ、それだけを期待して観たら、かなり出し惜しみしてくるのでイライラするかもしれない。
そして、勝負は一瞬で決まる。
それがとてもかっこいい。
三点目は、思ったより暗いということ。
ダーティーハリーをはじめて観た時に残った苦々しい感覚に似ている。
これはただのエンターテイメント時代劇では無い。
★★★★☆
駿河シカヲである。
今回は世界の巨匠、溝口健二監督の「山椒大夫」について。
<予告編>
http://jp.youtube.com/watch?v=PAQMXboXgmI&feature=related
<作品解説・詳細>
山椒大夫(1954) - goo 映画
森鴎外の原作(大正五年一月“中央公論"発表)を「唐人お吉」の依田義賢、「鯉名の銀平(1954)」の八尋不二が再解釈を加えて脚色、「祇園囃子」の溝口健二が監督にあたった。撮影宮川一夫、音楽早坂文雄と溝口作品のレギュラー・スタッフの他、建築考証に日本古建築専攻の藤原義一、衣裳考証に「西鶴一代女」その他に協力した上野芳生が加わっている。「恋文(1953)」の田中絹代、香川京子、新派の若手花柳喜章、「にごりえ」の三津田健、「にっぽん製」の菅井一郎、「心臓破りの丘」の清水将夫、「男の血祭」の進藤英太郎などが出演。
※結末が書かれているので注意!!
平安朝の末期、越後の浜辺を子供連れの旅人が通りかかった。七年前、農民の窮乏を救うため鎮守府将軍に楯をつき、筑紫へ左遷された平正氏の妻玉木、その子厨子王と安寿の幼い兄妹、女中姥竹の四人である。その頃越後に横行していた人買は、言葉巧みに子供二人を母や姥竹と別の舟に乗せて引離した。姥竹は身を投げて死に母は佐渡へ売られ、子供二人は丹後の大尽山椒大夫のもとに奴隷として売られた。兄は柴刈、妹は汐汲みと苛酷な労働と残酷な私刑に苦しみながら十年の日が流れた。大夫の息子太郎は父の所業を悲んで姿を消した。佐渡から売られて来た小萩の口すさんだ歌に厨子王と安寿の名が呼ばれているのを耳にして、兄妹は母の消息を知った。安寿は厨子王に逃亡を勧め、自分は迫手を食止めるため後に残った。首尾よく兄を逃がした上で安寿は池に身を投げた。厨子王は中山国分寺にかくれ、寺僧の好意で追手の目をくらましたが、この寺僧こそは十年前姿を消した太郎であった。かくして都へ出た厨子王は関白師実の館へ直訴し、一度は捕われて投獄されたが、取調べの結果、彼が正氏の嫡子である事が分った。然し正氏はすでに配所で故人になっていた。師実は厨子王を丹後の国守に任じた。彼は着任すると、直ちに人身売買を禁じ、右大臣の私領たる大夫の財産を没収した。そして師実に辞表を提出して佐渡へ渡り、「厨子王恋しや」の歌を頼りに、落ちぶれた母親と涙の対面をした。
<レビュー>
まず、これを読んで欲しい。
ぼくの敬愛するビクトルエリセと山椒大夫の出会い。
http://www.acejapan.or.jp/film/list/mizoguchi/Erice.html
ある映画のことを書くとき、
その映画が素晴らしければ素晴らしいほど書きづらくなる。
この作品はまさにそれの最たるもので、「とにかく観てください」という他はない。
美しい。
特に、安寿の入水シーン、ラストシーン、この二つの美しいシーンを観た時は、
映画が好きで良かった、と思えて泣けてきた。
間違いなく今年のベスト1。
そして、人生のベスト3にはいる作品。
美しさ・・・★★★★★★★
田中絹代・・・★★★★★
香川京子・・・★★★★★★★
衝撃・・・★★★★★★★
駿河シカヲ
アテシ書くわよ。『思春の森』について。
ロリータ映画の最高峰とか言われているわね。
でもそんなのどうでもいいの。
っていうかアテシ少女なんかに興味ないのよね。
美少年がいいわ。それにこの映画には出てるのよ。超美少年が。
美少年過ぎてハンパないわ。オ○ン○ンだって見放題よ。涎が出ちゃうわ。
やばいですって?
どうでもいいわよそんなの。
キャバ嬢は滅べばいいのよ。
それにアテシこの映画、日本版とドイツの無修正版の両方見たけど、12歳と13歳のオ○○コが丸見えじゃないの。
だいたいヤってるじゃないのよ。
そんな小娘なんかじゃなくってアテシを触ってファブリツィオ!!
って言いたいわ。あぁなんて美少年。
ちょっと冒頭から飛ばしちゃったけど、だいたいアテシ、ブログの文字装飾って嫌いなのよね。
だいたいね、この映画単なる児童ポルノって言うよりも、思春期のもうどうしようもないグチャグチャしたところをかなりリアルに抉ってると思うのよね。
ちなみに画像ありよ。
夜中の12時から3時にかけて映画を観ることが多い。
近所を自転車で疾走している姿をよく目撃されている。
<マダム葵>
短期間でもの凄い本数の映画を観たりする。
夕方の花街でそそくさと歩く後姿を目撃されることがある。