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駿河シカヲとマダム葵による映画レビュー、書評、対談、コラム等のブログであります。 コメントやリンクはいつでも大歓迎でお待ちしております!
2025.05.13,Tue
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2009.08.04,Tue
駿河シカウォンビンです。
一か月半ぐらい前にルパン三世のルパンVS複製人間が放送されてたんですよ。
観たのわすれてました。

<金曜ロードショーHP>
http://www.ntv.co.jp/kinro/lineup/20090619/index.html

<作品解説・あらすじ>
(金曜ロードショーのHPから)
ルパンが処刑された!?
ルパンを逮捕することだけを目標に生きてきた銭形警部に、こんなショッキングなニュースが舞い込む。そこで銭形警部は真相を確かめるべく、ルパンの亡骸が眠るドラキュラ城へと急ぐ。そして棺の蓋を開けると、そこには安らかな顔をしたルパンの死体が……な――――い! ルパンは生きていたのだ。嬉しさと悔しさが同時に銭形を襲う。そこへ本物のルパンが登場。「おのれ、ルパンめ!!!」。男銭形の刑事としての血が激しく沸き立つのを横目に、ルパンは颯爽とその場を去っていく。
ところ変わってエジプトのファラオの墓。ルパンの次なる目標は、不二子に依頼された、ピラミッド内に眠る「とある石」だ。厳重なセキュリティとしつこい銭形を撒き、相棒の次元と五右ヱ門の強力助っ人も加わり、無事この石を盗みだしたルパンは、依頼主の不二子へと石を手渡す。しかし、不二子もまた自ら“神”と名乗る謎の男・マモーに依頼されていたのだった。一体この石にどんな価値があるのか? なんと、その石は人間に永遠の生命を与えると言われている「賢者の石」だったのだ。こんな石ころになんの価値があるのか分からないルパンは、不二子に偽物を渡し、彼女の動きを観察することにする。しかし、そのことでマモーの怒りをかい、ルパンたちはマモーの執拗な追跡にあい、さらに不二子の誘惑にまんまと引っ掛かり、ついには捕えられ、本物の賢者の石も奪われてしまう。
罠に落ちたルパンが連れこまれたのは、ナポレオンやヒトラー、毛沢東やジャンヌ・ダルクといった世界史に大きな影響を与えた人物が生きている不思議な島だった。そして、この偉人たちはマモーのクローン技術によって複製された人々で、マモー自身も1万年前から自らを複製し続けた複製人間(クローン)だという驚愕の事実が明かされる。もちろん、そんな非現実的な話はてんで信じないルパン。するとマモーは「君もこのコレクションに加えたい」とルパンの命を狙う。さすがのルパンも危うし!と思われたその時、次元と五右ヱ門が絶妙なタイミングで助けに現れ、マモーを射殺して島から逃げだすことに成功する。
が、これで安心してはいけなかった……。コロンビアの田舎町のホテルで休息をとっていたルパン一行の元へ、死んだはずのマモーが再度現れ、不二子をさらって行ってしまったのだ。不二子に騙されても凝りないルパンにあきれた五右ヱ門はルパンの元を去り、次元はマモーの力を前に諦めモード。ルパンは不二子を助けるため、単身敵陣に乗り込み、マモーとの全面対決を迎える。奇想天外な兵器を操り、謎だらけの島に、無防備で乗り込んだルパンにはたして勝算はあるのか?
誰よりも人間臭いルパンと神との戦いが、今始まった―――。

<レビュー>
いやーあれですよ。
すみません、内容をほとんど忘れています。
結構面白かったですよ。
あの、前にカリオストロのレビューの時に言ったんですが、
ルパンシリーズを私はほとんど観たことがないのです。
ちゃんと見たのはこの前のカリオストロに続く二作目です。

この作品はね、多分かなり面白かったですよ。
エンターテイメント性はカリオストロぐらいの感じで、テーマ的には幾分真面目だったような。
不老不死がどうのこうのみたいな。
まあその辺はもう今更興味ないのですが、
とにかくなんというかカリオストロに比べると、ややカオティックな印象です。

ただね、ルパン三世ってのは、ちょっとしたかんじですな。
大人のエンターテイメントなんじゃないかな。

峰不二子はやっぱセックスシンボル足り得る存在です。
カリオストロを観たときは、あんまり印象になかったけれど、今回はルパンと同じぐらいの存在感を放っておりました。

以上です。
すんませんぼんやりとしたかんじで。

★★★☆☆
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2009.05.20,Wed
駿河シカヲです。
宮崎駿監督「ルパン三世 カリオストロの城」を観たよ。

<作品解説・詳細>
ルパン三世 カリオストロの城(1979) - goo 映画

ヨーロッパの小国カリオストロ公国の秘密を暴くルパン三世の活躍を描く劇場用シリーズ第二作目。脚本は宮崎駿と山崎晴哉の共同執筆、監督は宮崎駿、作画監督は大塚康生が担当。

人口三千五百、世界一ちっぽけなカリオストロ公国の田舎道をボロ車でドライブしていたルパンと次元はクラリスという美女を助けた。彼女はカリオストロ公国・大公家に残された最後の娘で、カリオストロ伯爵は彼女を強制的に妻に迎え、公国の権力をひとり占めにしようと狙っていた。クラリスはルパンに助けられたが、再度捕えられてしまう。召使いとして城内に忍び込んでいた不二子の手引きで、彼女の閉じこめられている塔に潜入、彼女を連れて逃げ出そうとすると、床が開いて地下室へ落下。不二子が裏切ったのだ。排水口から脱走するが、辿りついたところは、地下の造幣工場。金を必要としている世界の権力者のためのニセ札の製造だ。これが、四百年もの間、カリオストロ公国が大国から侵略も受けずにこられた秘密。ルパンは放火魔に変身、城は火の海となった。しかし、いったんは奪還したクラリスがまたして、捕まってしまい、カリオストロと彼女の結婚式が行なわれようとしていた。伯爵の企みは成功するかに見えたが、大司教になりすましたルパンが二人の前に立ちはだかり・・・。

<レビュー>
ルパン三世のシリーズの中でもカリオストロは最高傑作として名高い(ただし一部のルパンフリークスには不評のようだ)。
にも関わらず今回が20代後半にして初見なのでした。
それどころかぼくはルパンシリーズをほとんどまともに観たことがない。
よって、シリーズの他の作品と比較は出来ないが、とにかく言えることは、極めて質の高いアニメであったということである。
はじまってすぐの、ルパンと次元がカリオストロの王女クラリスを救うカーチェイスシーンの躍動感は、宮崎駿の真骨頂である。
このシーンを見て、やっぱりこれは面白いに違いないと期待するわけです。
で、期待通り徹頭徹尾アクションシーンの躍動感に満ちていて素晴らしいわけです。
カリオストロ城の作りも見事。
まるでそこに自分もクラリスを助け出すためにいざ侵入せしめようとしているかのように錯覚してしまう全体の空間設計。
男なら、男として生まれたのなら、この難攻不落の城に勇気をもって潜入しなければならぬ。
そう、何故ならそこにはシータ、もとい、クラリスが待っているからなのだ。
それはまるで私の人生最高の映画「天空の城ラピュタ」のようではないか。
このような単純に楽しめるボーイミーツガールな冒険活劇だけを作っていてくれたら、100%ポジティブに宮崎駿を肯定できるのだが。
とりあえず、宮崎映画にありがちな説教くささも皆無なので、ぼくはこの作品を擁護したい。

石川五右ヱ衛門がずるいと思う。
「またつまらぬものを斬ってしまった・・・」の一言で心を鷲掴みにしてしまうのだもの。
少なくともこの作品においては彼はただのルパン一味の道具でしかないんですよ。
云わば困った時に重宝する便利なカッターの役目ですよ。
それ以外たいして使われないわけですよ。
ぼくは趣味でギターを弾くんですがね、弦を張るときに、余分な部分をカットするペンチが必要になるわけです。そのペンチが言ってみれば五右エ門なんですね。ペンチはそれ以外使わないわけです。
ルパンがエレキギターで次元がアンプで不二子がエフェクターだとすれば、五右エ門はペンチですよ。
それなのに、彼は非常に格好よろしい。
だからずるい。
他に個人的にあげると、以前マダムが私に指摘していたシーンが良かった。
次元が車内の灰皿から溢れたシケモクを吸うのです。
結構何気無いんだけど、次元大介というキャラクターの肉付けに貢献している素敵なワンシーンだと思います。

★★★★★

 駿河シカヲ

2009.04.15,Wed
駿河シカヲです。
最近4、5時間睡眠が完全に板についてきました。
慣れるって凄いです。
絶対に無理だと思っていても慣れるんですね。
でも週末はたくさん寝ます。
ガイ・リッチーの「ロック、ストック&トゥー・スモーキング・バレルズ」を観ました。

<作品解説・詳細>
ロック、ストック&トゥー・スモーキング・バレルズ(1998) - goo 映画

カード賭博で借金を抱えて一獲千金を狙う4人組の若者とたくさんのギャングたちが入り組んで争奪戦を繰り広げる様を、巧妙でスピーディな展開で綴った犯罪アクションの快作。監督・脚本はミュージックビデオやCMで活躍してきた新鋭ガイ・リッチーで、製作のマシュー・ボーンと組んで映画化を実現。製作総指揮は「フォレスト・ガンプ 一期一会」のスティーヴン・ティッシュ、自ら本作に出演を申し出たというアーティスト・俳優のスティングの妻であるトルーディ・スタイラー(「グロテスク」)、ピーター・モートン、アンガッド・ポール、スティーヴン・マークス。撮影はティム・モーリス=ジョーンズ。音楽はデイヴィッド・A・ヒューズとジョン・マーフィで、ストゥージズ、ジェームズ・ブラウンはじめ新旧の凝った選曲で聴かせる。美術はイアイン・アンドリュース、「普通じゃない」のイヴ・マヴラキス。編集はニヴン・ハウィー。衣裳は「ピーターズ・フレンズ」のスティーヴン・コリー。出演は新鋭ニック・モーラン、「スパイス・ザ・ムービー」のジェイソン・フレミング、「日蔭のふたり」のデクスター・フレッチャー、「スカートの翼ひろげて」のスティーヴ・マッキントッシュ、元サッカーの名選手ヴィニー・ジョーンズほか。

※ストーリーの結末が記載されているので注意!
ロンドン、イーストエンド。ヤミ商売で小金を稼ぐチンピラ4人組、リーダー格のエディ(ニック・モーラン)、トム(ジェイソン・フレミング)、ベーコン(ジェイソン・ステイサム)は、ポルノ王として町を牛耳るハチェット・ハリー(P・H・モリアーティ)相手にカード賭博で勝負を挑むが、ハリーの用心棒バリーの八百長にひっかかり、50万ポンドと巨額の借金をつくってしまう。ハリーはかつて張り合ったことのあるエディの父親JD(スティング)の酒場を借金のカタに取り上げてしまおうという腹だったのだ。返済期間はたった1週間と決められ、窮した4人だが、エディの隣のフラットに住む麻薬の売人ドッグとブランクが、ウィンストン(スティーヴ・マッキントッシュ)が上流階級の子弟仲間で営むマリファナ工場を襲う計画を話しているのを偶然盗み聞き、ブツを横どりすることに決める。ギリシャ人のニックから犯行用に骨董品の2丁の散弾銃を買い取る4人だが、実はそれは骨董マニアのハリーが必死に探しているお宝だった。バリーに命じてディーン&ゲリーのベンツ兄弟に盗ませたはいいが、手違いでニックから4人にわたったというわけだ。さて、首尾よくドッグたちから横どりは成功し、地元の麻薬王ロリー(ヴァス・ブラックウッド)にブツを渡したはいいが、それはウィンストンがロリーに渡すはずの品物だった。激怒したロリーはエディのフラットを襲うが、部屋にいたのはブツを4人に横どりされたドッグたちだった。さらにそこにハリーに雇われたビッグ・クリス(ヴィニー・ジョーンズ)とその息子も来た。さて、祝杯をあげていた4人がフラットに戻ると、そこは激しい銃撃戦で死体の山。金も麻薬も銃も消えていた。とっさに事態がのみこめない4人だったが、大金と麻薬を求めて町へ繰り出す。かくして大混乱の末、当事者のギャングたちは不測の最後を遂げていき、4人は命こそ助かるが予想外の結末を迎えてしまうのだった。

<レビュー>
困ったことになりました。
書くことがないんです。
何故なら、先日観た同監督の「スナッチ」とほぼ同じ感想だからです。
要するにこの「ロック、ストック~」を下地にして新たに作りなおしたのが「スナッチ」なのですな。
似たようなシーンがたくさんあるし、キャストもかぶってるし、これはもうなんとも言えないですな。
で、どっちが面白いかといえば、こういうのはだいたい最初に観たやつのほうが面白いに決まっているわけです。
だから「スナッチ」のほうがぼくは新鮮に楽しめたのですが、だからといって「スナッチ」が「ロック、ストック~」よりも優れているかといえば、おそらくそんなことはないんです。
どうしたもんでしょうね。
ところでガイ・リッチー監督はマドンナの元旦那さんです。
最近離婚してニュースになりましたね。
話は変わるけれど芸能人の離婚・結婚・交際ニュースってマジでどうでもいいですね。
玉置浩二と石原真理子復縁はどうでも良すぎて笑ったけど。
まあそれはいいとして、ガイ・リッチーは本作とスナッチで名をあげたものの、その後はてんで駄目なようです。
何がどう駄目になっていったのかはちょっと気になります。
この二作品は結構面白いんだけどなあ。
2002年の「スウェプト・アウェイ」というのはクズ同然の超駄作のようです。
それはそれでちょっと気になります。

ということで、無理やりレビューを書きました。
話が面白いです。
散らかった話が最終的に見事に収束してゆく気持ちよさを味わいたい人に、これと「スナッチ」はおすすめです。

★★★★☆

駿河シカヲ

2009.03.20,Fri
駿河シカヲで御座います。
フラストレーションが溜まっております。
どうも最近アレなんですよね。
そういえばマダムにもこないだ言われたのです。
「シカヲちゃん、アナタ最近妙に文章がとげとげしくない?」とね。
だから、ぼくはね、言ってやりましたよ。
バカヤロー!っつって。
というか嘘です。
ノープランで適当なことを書いているとすぐに書くことが無くなる。

ジョン・ウー監督「レッドクリフ part.1」を観ました。

<作品解説・詳細>
レッドクリフ Part I - goo 映画

西暦208年。曹操軍に追われる劉備軍は孫権軍と同盟を結ぶため、軍師の孔明を孫権のもとに遣わした。しかし孫権軍では曹操に脅威を感じているものの非戦を唱える臣下が多く、同盟は容易に成立しそうもない。そんな中、孔明は赤壁で孫権軍の司令官・周瑜と出会い、そのカリスマ性に魅了される。一方の周瑜も孔明の人柄と戦術眼に驚嘆し、その存在を意識するようになる。そして二人は信頼を深め、共に戦う事を決意するのだった。

日本でも高い人気を誇る中国の史伝・英雄譚「三国志」。その中でも最も有名な合戦である「赤壁の戦い」を、名匠ジョン・ウー監督の手で映像化。壮大な戦いと戦の最中に繰り広げられる人間模様を2部構成で描いていく。第1部にあたる本作は周瑜、孔明を中心に「赤壁の戦い」に至るまでの経緯を丁寧な描写で追う。周瑜を演じたトニー・レオンは芯のしっかりとした演技でカリスマ性を見事に表現。一方、諸葛孔明を演じた金城武は常に微笑をたやさぬ悠然とした演技で、希代の名軍師の懐の深さを印象づけることに成功した。名将たちが奮戦する戦闘シーンも迫力満点。『Part II』の公開が楽しみになる作品に仕上がった。

<レビュー>
良くも悪くも、ほぼ完全に予想通りです。
三国志は好きなので、まあ普通に楽しめたが、それ以上のサムシングは無かったです。
もともと期待していた作品が、蓋をあけるとやっぱり期待通りだったということで、全然悪くないんだけど、なんか貶したいんですね。
所詮感想文なんていうのは、そのときの精神状態によりけりなんですね。
だから、この映画を今から徹底的にこき下ろしてみようと思います。
と思ったけど疲れるのでやめよう。
本当はもうどうでもいいのです。
別に更新するのはまた今度でいいのです。

非常にわかりやすい演出。
とにかくわかりやすい。
キャラクター付けがしっかりしているので、外国映画にありがちな、誰が誰かわからないということが無い。
ゲームの三国無双的な感じで(やったことないけど)、武将の個人としての強さが戦いの優劣を左右する。
普通はありえないんでしょうけれどもね。

ただ、全体的にどうせなら蒼天航路ぐらいまでおおげさにやって欲しかったな。

あと、中村獅童が呉の甘興という架空の武将として登場するのですが、どうせなら黄蓋の出番を増やして欲しかったです。ほとんど出てこないんだもの。まあそれはパート2に期待しよう。
ちなみに中村獅童は中国語が流暢でないので、彼だけ吹き替えで、すごく違和感があります。
しかし映画というのはそういった違和感をスルーする能力が求められる娯楽である、と無理矢理片付けてしまえば、ぼくの修行不足ということになるので、まあオッケイとしよう。

★★★★☆

駿河シカヲ

2009.03.18,Wed
駿河シカヲで御座います。
今回はガス・ヴァン・サント「ラスト・デイズ」で御座います。
好きな映画です。

<作品解説・詳細>
ラストデイズ - goo 映画

1人森の中をさまよっている男がいる。リハビリ施設を抜け出したロック・アーティストのブレイクだ。独り言をつぶやきながら歩く彼は、やがて1軒の屋敷にたどり着いた。そこは取り巻き連中が居候しているブレイクの家だった。家の中をうろつき、時おり倒れ込むブレイク。しかし誰も彼の姿に関心を払わない。そんな状況にはお構いなしに、セールスマンや宗教団体の勧誘者、レコード会社の重役などが屋敷を訪れてくる。ようやく誰もいなくなり、静かになった屋敷でブレイクは楽器を演奏する。翌朝、温室でブレイクの死体が発見された。

グランジ・ロックの代表的なバンド“ニルヴァーナ”のヴォーカリストで、中心人物でもあったカート・コバーン。彼はバンドの成功と引き換えに孤独やプレッシャーに悩まされ、やがてドラッグに溺れるようになり、1994年4月5日に自ら命を絶った。その前に友人のリヴァー・フェニックスを亡くし、大きなショックを受けていた監督のガス・ヴァン・サントは、その経験とコバーンの死からこの作品のイメージが浮かんだという。映画ではブレイク(=コバーン)がなぜ精神を病むようになったかは明示されていない。ただ、そこには周囲から断絶した、絶望的なまでの孤独がある。生気を失い、森や屋敷をうろつくブレイクは、まるで無害なゾンビのようだ。誰も彼の姿は見ていても、彼の心の中まで見ようとしない。大きな喪失感が画面の隅々にあふれている作品だ。

<レビュー>
ぼくの世代のロック好きは、ニルヴァーナの洗礼を受けた人が多い。
だが、ぼくはそこまで影響を受けなかったクチである。
で、この映画はガス・ヴァン・サントがニルヴァーナのカートコバーンに捧げた作品である。
ここで気になるのは、世間のこの映画に対する評価である。
おおまかにそれらをまとめると、「ニルヴァーナ信者しか感情移入できない、退屈な映画である」といった感じ。
ぼくはそれに対して大いに腹が立っているのである。
これは、話題になった前作「エレファント」に勝るとも劣らない傑作なのである。
何故君たちは、冴えわたる移動撮影の美しいロングショットに心を動かされないのか。
鈍感極まりないと思うのだ。

死のうと思ったことがない人には分からないのだろうか。
どうなんだろう。
独りになりたいと思ったことがない人にも分からないのかも知れない。
言い過ぎだろうか。

あれのどこが退屈なのだろうか。
最初から最後まで、ただならぬ緊張感がある。
人が死ぬ、というのは、ああいうことなのだ。
説明的じゃなくて、親切じゃなくて、限りなく暴力的なのだ。
理由が大事なのではない。
そこらじゅうに死の匂いが充満していることが重要なのであり、その緊張した状況にまったく気付けないとは何事なのだ。
画面をもっと見るべきだ。
文脈を読むな。

「エレファント」だってそうだ。
理由がなくても人は行動するのだ。
それでも、ああこの人死にそうだなとか、ああこの人殺しそうだなとか、なんとなくわかるのだ。
そうせざるを得ないような必然性が優れた映画には漂っている。
その後、本当にそうなるかどうかは、作る側の自由意思で良いとは思うが、そこに行きつくまでは往々にして決定論に支配されて然るべきなのである。

また言い過ぎた気がする。

とにかく、カート・コバーンを抜きにしても、この映画は素晴らしい。
ぼくはむきになって擁護したい。

例えばVUの「毛皮のヴィーナス」をレコードで聴きながら口ずさむワンシーンワンカット、あれなどは実に良いのだ。
それから、最後のほうで家を出て行った男女が、車内でギター弾いているシーンの、あの金髪女性の顔は美しい。初めてアップで出てきて、ああ、美しくそして哀しいと思った。
また、主人公ブレイクの一挙手一頭足がなんとも痛ましい。
ドラッグのやりすぎでああなっているというより、根本的に病んでいるような感じ。
ただただ一人にさせて欲しい、あの感覚。
そして、リリシズム溢れる美しい風景がまた倒錯的で、リアルじゃない。
風景としてのパラフィリアというのだろうか。
ただし、現実のクソっぷりを拒絶しようとする意思が制作側にあったならば、美しい風景で対処するしかないのかもしれない。
ある種これはだまし絵の世界である。
ただ、最期に警察が現場検証しているシーンが妙にリアリティがあって残酷で、胸にずっしりとくる。

ちなみに、キム・ゴードンがレコード会社の人の役でカメオ出演している。
まあ、それはどうでもいい話。

★★★★★

駿河シカヲ

2009.02.07,Sat
みなさん、どうもごきげんよう。
荒んでいます。駿河シカヲです。
今回はキム・ギドク「リアル・フィクション」です。
キム・ギドクは私が最も注目している監督のひとりです。
いつもはgoo映画のリンクで作品の概要・あらすじを紹介するのですが、
この作品はgoo映画に無かったので、wikipediaからのコピペで勘弁を。

<作品概要・あらすじ>
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%AA%E3%82%A2%E3%83%AB%E3%83%BB%E3%83%95%E3%82%A3%E3%82%AF%E3%82%B7%E3%83%A7%E3%83%B3

実験的手法を用いた韓国映画である。脚本を書いたキム・ギドクを総監督として、12人の監督がオムニバス的にシーンを撮り、チュ・ジンモを主演に、2000年4月25日の午後1時から撮影を始め、午後4時20分に終了するという韓国映画史上最短記録(3時間20分)で撮影された映画である。脚本が巧みであり、見終わった後に何が現実で何がフィクションであったのかがしばらく理解できないような不思議な感覚に陥る、まさに「リアル・フィクション」の世界を表現した映画といえる。

「私」(チュ・ジンモ)は、マロニエ公園で、近くの電話ボックスを盗聴しながら肖像画を描いている。描いた絵を下手だとののしられても、その絵を破られても、チンピラに売上げを横取りされて殴られても、感情を抑え込んで、文句ひとつ言わずに静かにそこに座っている画家である。ある日、「私」の前に現れた少女(キム・ジナ)に連れられて雑居ビルの一室に入って行くと、そこには舞台があり、激しい感情を吐露する<もう一人の私>である俳優(ソン・ミンソク)が立っており、「私」を殴りつけ、「私」にピストルを持たせて、「撃て」と言い始めた。

<レビュー>
韓国史上最短記録で撮られたというが、記録更新をめざして撮ったのならば、それは本当にくだらないことだと思う。
そんなことはどうでも良いことなのである。
史上最短記録であってもそうでなくても、これは非常に刺激的で面白い映画である。

妄想だったというオチは北野武の「3-4x10月」と共通している。
何かと比較される両者である。
ときどき共通点がでてきてしまうから不幸にも比較されてしまうのだ。
なるべく両者を比較するのはやめておきたい。
というよりも、キムギドクを「韓国の北野武」というふれこみは無視してゆきたい。
北野武と比較する以前にキムギドクはキムギドクである。
この人の映画を見れば見るほど、北野武という枕詞が邪魔になってくる。

この作品は基本的にワンシーンワンショット、つまり長廻し撮りである。
何故なら時間がないからである(NGは出さずにすべて一発本番OK)。
ただ金がないとか、ただ時間がないとか、そういう理由でのワンシーンワンカットは、
溝口健二のように人物の動きと背景が緻密に計算され尽くされた用意周到なものではなく、
どこかしら刹那的で衝動的で暴力的な匂いがする。
そうするとそれが気がつけば、細かいカット割りが主流のTVドラマ(堤幸彦とか)のような、いかにも神経質でそれでいて投げっぱなしで無責任なショットと同じ視点にたってしまっている、ということを我々は自覚してゆかなければならぬ。
つまり、この映画は実験的でもなんでもなく、ただの失敗作なのである。
取るに足らぬことだ。
いつものキムギドクの映像美も感じられない。

だがしかし、この映画は面白い。
やっぱりどう考えても異常な映画だからだ。
上に書いたのは、キム・ギドクを異端と片付けずに言いくるめることはできないだろうかと思案した末に無理矢理「これは実験映画ではなく、ただの失敗作だ」とねじ伏せてみようと試みただけのことなのである。
ぼくは無力である。
これはいまのところキム・ギドクの裏ベスト1作品。

★★★★★

駿河シカヲ

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About
HN:
駿河シカヲ & マダム葵
性別:
非公開
職業:
ひたすらに映画
趣味:
映画
自己紹介:
<駿河シカヲ>
夜中の12時から3時にかけて映画を観ることが多い。
近所を自転車で疾走している姿をよく目撃されている。

<マダム葵>
短期間でもの凄い本数の映画を観たりする。
夕方の花街でそそくさと歩く後姿を目撃されることがある。
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