荒んでいます。駿河シカヲです。
今回はキム・ギドク「リアル・フィクション」です。
キム・ギドクは私が最も注目している監督のひとりです。
いつもはgoo映画のリンクで作品の概要・あらすじを紹介するのですが、
この作品はgoo映画に無かったので、wikipediaからのコピペで勘弁を。
<作品概要・あらすじ>
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%AA%E3%82%A2%E3%83%AB%E3%83%BB%E3%83%95%E3%82%A3%E3%82%AF%E3%82%B7%E3%83%A7%E3%83%B3
実験的手法を用いた韓国映画である。脚本を書いたキム・ギドクを総監督として、12人の監督がオムニバス的にシーンを撮り、チュ・ジンモを主演に、2000年4月25日の午後1時から撮影を始め、午後4時20分に終了するという韓国映画史上最短記録(3時間20分)で撮影された映画である。脚本が巧みであり、見終わった後に何が現実で何がフィクションであったのかがしばらく理解できないような不思議な感覚に陥る、まさに「リアル・フィクション」の世界を表現した映画といえる。
「私」(チュ・ジンモ)は、マロニエ公園で、近くの電話ボックスを盗聴しながら肖像画を描いている。描いた絵を下手だとののしられても、その絵を破られても、チンピラに売上げを横取りされて殴られても、感情を抑え込んで、文句ひとつ言わずに静かにそこに座っている画家である。ある日、「私」の前に現れた少女(キム・ジナ)に連れられて雑居ビルの一室に入って行くと、そこには舞台があり、激しい感情を吐露する<もう一人の私>である俳優(ソン・ミンソク)が立っており、「私」を殴りつけ、「私」にピストルを持たせて、「撃て」と言い始めた。
<レビュー>
韓国史上最短記録で撮られたというが、記録更新をめざして撮ったのならば、それは本当にくだらないことだと思う。
そんなことはどうでも良いことなのである。
史上最短記録であってもそうでなくても、これは非常に刺激的で面白い映画である。
妄想だったというオチは北野武の「3-4x10月」と共通している。
何かと比較される両者である。
ときどき共通点がでてきてしまうから不幸にも比較されてしまうのだ。
なるべく両者を比較するのはやめておきたい。
というよりも、キムギドクを「韓国の北野武」というふれこみは無視してゆきたい。
北野武と比較する以前にキムギドクはキムギドクである。
この人の映画を見れば見るほど、北野武という枕詞が邪魔になってくる。
この作品は基本的にワンシーンワンショット、つまり長廻し撮りである。
何故なら時間がないからである(NGは出さずにすべて一発本番OK)。
ただ金がないとか、ただ時間がないとか、そういう理由でのワンシーンワンカットは、
溝口健二のように人物の動きと背景が緻密に計算され尽くされた用意周到なものではなく、
どこかしら刹那的で衝動的で暴力的な匂いがする。
そうするとそれが気がつけば、細かいカット割りが主流のTVドラマ(堤幸彦とか)のような、いかにも神経質でそれでいて投げっぱなしで無責任なショットと同じ視点にたってしまっている、ということを我々は自覚してゆかなければならぬ。
つまり、この映画は実験的でもなんでもなく、ただの失敗作なのである。
取るに足らぬことだ。
いつものキムギドクの映像美も感じられない。
だがしかし、この映画は面白い。
やっぱりどう考えても異常な映画だからだ。
上に書いたのは、キム・ギドクを異端と片付けずに言いくるめることはできないだろうかと思案した末に無理矢理「これは実験映画ではなく、ただの失敗作だ」とねじ伏せてみようと試みただけのことなのである。
ぼくは無力である。
これはいまのところキム・ギドクの裏ベスト1作品。
★★★★★
駿河シカヲ
夜中の12時から3時にかけて映画を観ることが多い。
近所を自転車で疾走している姿をよく目撃されている。
<マダム葵>
短期間でもの凄い本数の映画を観たりする。
夕方の花街でそそくさと歩く後姿を目撃されることがある。