今回はロベルト・ロッセリーニの「無防備都市」を紹介。
<作品解説>

無防備都市(1945) - goo 映画
ローマ解放直後の極めて困難な状況で六カ月にわたって製作されたが公開されるや一躍映画史上の最大傑作と激賞され、イタリアン・ネオレアリズムの濫觴となった記念碑的作品。監督ロベルト・ロッセリーニの名は世界的となった。脚本にフェデリコ・フェリーニが参加、原案はセルジオ・アミディ、音楽はレンツォ・ロッセリーニ、撮影ウバルド・アラータ。
<レビュー>
「映画は映画の内側においてのみ特権的に語られるべき」とは、某有名映画評論家の言葉であるが、
教養の浅いぼくはそれを、「映画を語るなら、画面に映っていることだけを語れ」ということであると、曲解している(おそらく)。
それでぼくは映画を観ている最中はなるべく周辺情報を無視するように努めている。
しかし、この映画に関しては、あまりにも劇的な製作背景を無視せずに語ることはできない。
製作されたのは第二次世界大戦、ナチスによる支配からローマが開放された直後。
ロッセリーニは戦時中に映画資金と粗雑なフィルムの切れはしをかき集め、エキストラを含む出演者はほとんどが本物のレジスタンスを起用。
ということは、映画の内容と実際の社会で起きていることとほとんど時間のずれがなく、極めてドキュメンタリーな作品なのである。
リアリズム的でありながら、ストーリーは起承転結をふまえたドラマティックな構成であり、
実は娯楽性に富んでいる。
登場人物はどれも魅力的で感情的だから、それぞれがきっちりとキャラクターを備えているという点でも「ドラマ」と言ってよいだろう。
特にドン・ピエトロ神父などは非常に人間的なおかしみをもった親近感のあるキャラクターを持っており、我々は比較的近い視線で登場人物に接することができる。
といっても、もちろん主要人物は殺されるし(特にナチに連行される恋人を追いかける女は「あっけなく」殺される)、単なる悲劇では済ますことのできないような暗い結末が用意されているように、基本的には冷徹な視線で描かれている。
というわけで、思ったよりよく分かりやすく、走攻守バランスのとれた「普通に素晴らしい作品」という印象である。
真に実験的で前衛的なアプローチは、ヌーヴェルヴァーグまで待たなければならない、ということか。
ネオリアリズモとはもっととんでもなく刺激的なものだと思っていたのだが、そうでも無かった。
とは言いつつも、なんとなくヤバイという萌芽は感じ取ることはできた。
とかいってロッセリーニを観たのは初めてで、まだそんなことを言う資格はないので、観られるのはこれから全部観てゆこうと思っている。
★★★★★
by 駿河シカヲ
夜中の12時から3時にかけて映画を観ることが多い。
近所を自転車で疾走している姿をよく目撃されている。
<マダム葵>
短期間でもの凄い本数の映画を観たりする。
夕方の花街でそそくさと歩く後姿を目撃されることがある。