今回は井筒和幸監督の『パッチギ!LOVE&PEACE』です。
パッチギ!の一作目はなかなか良かったのですが・・・。
<公式サイト>
http://www.pacchigi.jp/loveandpeace/
<作品解説・詳細>
パッチギ!LOVE&PEACE - goo 映画
1974年、東京。江東区枝川でサンダル工場を営む叔父夫婦のもとに身を寄せるリ・アンソン一家。難病に冒された幼い息子チャンスの治療のために京都から出てきたものの、医師の下した診断は厳しく、さらに多額の費用が必要なことがわかり、乱闘騒ぎをきっかけに親友になった元国鉄職員の佐藤と命がけの計画を立てるアンソン。妹のキョンジャは稼ぎのいい芸能界に飛び込むが、人気俳優の野村と出会い恋に落ちて…。
68年の京都でエネルギッシュに青春の日々を送った『パッチギ!』のアンソンとキョンジャの兄妹が帰ってきた。大人になった彼らはさらなる厳しい現実に立ち向かうことになる。日本の植民地時代に生きた2人の父親の若き日の姿も交え、親子三代にわたるドラマが展開するが、それは「在日」の人々の物語にスポットを当てると同時に、非「在日」も含めた矛盾だらけの日本の姿も痛烈に浮かび上がらせる。ありきたりな続編ものとは一線を画し果敢に攻め続ける井筒和幸監督は、徹底的に生きることを肯定する。何が何でも生き延びてやるという必死さこそがパッチギの心意気なのだ。新たに主役に抜擢された井坂俊哉と中村ユリも好演。
<レビュー>
前作は、井筒監督が渾身の力を振り絞って作った、これぞ井筒映画ともいうべき、まさに監督の集大成と呼ぶにふさわしい作品であったし、傑作であったという声もある。
しかしながら、前作の続編であるこの作品の評価は非常に辛い。
ぼくも世間の評価と同じく、出来は良くないと感じた。
映画を作る際の方法論は前作とまったく同じである。
ラストの盛り上げ方にしろ、何もかも似ている。
それなのに、なぜ今回は失敗だったのか。
素人のぼくにはよく分からないけれども、
エンターテイメント映画の傑作をつくるには、ある程度強運も必要なのではないだろうか。
前作は、非常に幸運に恵まれたのかもしれない。
映画に必要な部分、必要じゃない部分、下世話な部分、政治的メッセージ、喧嘩、青春、フォークソング、恋愛、在日問題などなどありとあらゆるものを二時間映画という小さな土鍋にぶち込んで作ったわけだが、
それが奇跡的に共存して見事な青春群像劇になったのが前作。
そもそもあれほどいろんなものを鍋にぶちこめば、普通は味が邪魔し合って失敗するのであろう。
だから、今回の失敗は妥当なのである。ような気がする。
井筒監督の持ち味は、不良の格好悪くてやけくそな熱気を映像の中にダイレクトに伝えられることだ。
そのへんは、『仁義なき戦い』や『バトルロワイヤル』の深作監督にも通じる部分がある。
バトルロワイヤルのラスト、「走れ!」という字幕をデカデカと映して、文字でメッセージを伝えてしまうという禁じ手を犯してしまった深作監督は、映画的に正しいとか正しくないとか関係なしに、熱い。
というか、映画的には完全に間違っている。
あれにはぼくは思わず笑ってしまった。
ただし、深作監督は熱い監督だと思った。
『仁義なき戦い』の手ブレおかまいなしのキャメラワークだって、映画的には「無し」なんだろうが、あれでこそ『ゴッドファーザー』の重厚さと対極をなす日本のヤクザの熱気、バイオレンス、悲哀といったものがでると思うのだ。
話がそれた。
パッチギ!シリーズのラストのたたみかけるようなシーンの連続は、くさいし、わざとらしいし、名曲「イムジン河」は卑怯だしTVドラマっぽいけど、嫌いじゃない。
ええいもうなにもかもやっちまえ!みたいなやけくそな感じが伝わってきて良いと思う。
★★★☆☆
駿河シカヲ
夜中の12時から3時にかけて映画を観ることが多い。
近所を自転車で疾走している姿をよく目撃されている。
<マダム葵>
短期間でもの凄い本数の映画を観たりする。
夕方の花街でそそくさと歩く後姿を目撃されることがある。