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駿河シカヲとマダム葵による映画レビュー、書評、対談、コラム等のブログであります。 コメントやリンクはいつでも大歓迎でお待ちしております!
2025.05.13,Tue
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2009.08.07,Fri
駿河シカヲです。
魔女の宅急便を観賞。
風邪引いた。

<作品あらすじ・解説>
魔女の宅急便(1989) - goo 映画

都会へ旅立った魔女の女の子の自立を描く。角野栄子原作の同名小説の映画化で脚本・監督は「となりのトトロ」の宮崎駿、撮影監督は「陽あたり良好! 夢の中に君がいた」の杉村重郎がそれぞれ担当。

魔女の娘は、13歳になると修行の為独立するという古くからの掟があった。キキもそんな女の子の一人で今晩がその旅立ちの日なのだ。翌朝、黒猫ジジと共に港町コリコに着いたキキは大都会に夢中。しかし、誰も相手にしてくれず、早々おちこんでしまうキキだが、偶然お客の忘れ物を届けたことから、パン屋の女主人おソノに気に入られ、その好意で店先を借りて宅急便を開業することになった。張り切るキキだが、不注意で配達中のぬいぐるみを森の中に落としてしまう。そしてそれを拾ってくれたのは絵描きの少女ウルスラだった。こうして何とか初仕事も無事終り、少しずつ町の生活にも慣れていくキキに気のいい少年トンボが飛行クラブのパーティーに招待した。急いで仕事を終わらせ、パーティーに行こうと思うキキだったがそんな時、孫娘に手作りのパイを贈りたいという老婦人の手助けをした為、パーティーに行けなくなってしまい、その上パイの届け先の娘から冷たい態度を受け。そんな中で雨にぬれて風邪をひいてしまったキキを見かねたおソノのはからいで、キキはトンボとデートすることになった。人力飛行機で空を飛ぼうと夢みるトンボの姿にキキの心もほぐれてゆくが、彼の仲間に例のパイの少女を見たキキは、前より増しておちこんでしまい、さらに自分の魔法が弱まっているのに気付く。そんな時ウルスラが訪ねて来た。キキのおちこみようを見た彼女は、キキを自分の家へ誘った。そこでウルスラと語り合い落ち着きを取り戻したキキは、翌朝あの老夫人から連絡があったことを聞きつけ屋敷を訪ねた。老婦人はこの間のお礼にケーキを焼いてくれたのだった。その時、テレビのニュースで飛行船のロープにトンボがぶら下がったまま飛び立ってしまったことを知ったキキは屋敷を飛び出し、掃除夫から借りたデッキブラシに乗って現場へ飛び立った。そして、間一髪でトンボを助けたキキは、人々の歓声の中に降りていったのであった。

<レビュー>
もう今更ですよ。
この作品はもうあれですから。
素晴らしいのは小学生の時からわかってますから。
涙が出そうになりますから。

周辺情報。

魔女の宅急便の原作がついに完結したとのことです。
キキがトンボと結婚したんですって。

『ルージュの伝言』『優しさにつつまれたなら』この二つの名曲はこの映画が作られた時よりも更に十五年ほど前の曲なんです。
制作当時すでに昔の曲だったんです。
七十年代の曲を取り入れた真意は如何に。

「落ち込んだりもするけれど、私は元気です。」という名コピーが全てを語っていますね。
駄目だ。風邪引いて無理。
全然頭が動かない。

★★★★★

 

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2009.01.21,Wed
夜にこんばんは。
駿河シカヲです。
今回はハワード・ホークス「三つ数えろ」です。
これは、実はすごい映画でありました。
:
<作品解説・詳細>
三つ数えろ(1946) - goo 映画

「紳士は金髪がお好き(1953)」のハワード・ホークスが1946年に製作・監督に当った推理映画で、「深夜の告白」のレイモンド・チャンドラーの処女作を「脱出(1944)」のウィリアム・フォークナー、リー・ブラケット、「北京超特急」のジュールス・ファースマンが脚色した。撮影は「暴力に挑む男」のシド・ヒコックス、音楽は「欲望の谷」のマックス・スタイナー。「裸足の伯爵夫人」のハンフリー・ボガート、「百万長者と結婚する方法」のローレン・バコール、「腰抜けM・P」のジョン・リッジリー、「地獄から来た男」のマーサ・ヴィッカーズ、「殺人者はバッジをつけていた」のドロシー・マローン、「銅の谷」のペギー・ヌードセン、レジス・トゥーミーらが出演する。

※ストーリーの結末が書かれているので注意!
私立探偵フィリップ・マーロー(ハンフリー・ボガート)は両肢不随の老将軍の妹娘で抑欝症気味のカーメン(マーサ・ヴィッカーズ)が古本屋アーサー・ガイガーから恐喝状をつきつけられたことについて調査依頼をうけた。将軍は同時に姉娘ヴィヴィアン(ローレン・バコール)の夫リーガンが行方不明になったことも心配していた。ガイガー家を探りに行ったマーローはあられもない格好でガイガーの死体の傍らに佇むカーメンを発見し、家へ送りかえした。彼女はここで秘密写真を撮られていた。翌日彼は地方検事局のバーニー・オールズから、将軍家の自動車が暴走して前にカーメンと駈け落ちしかけたことのある運転手テイラーが死んだニューズを知らされた。ヴィヴィアンはマーローの事務所を訪れるうち彼に恋心を抱くようになった。マーローは恐喝の張本人がいかさまギャングのジョーであることをつきとめたが、ジョーは彼をガイガー殺しの犯人と思いこんでいるガイガーの身内に殺された。しかし真犯人は死んだテイラーであった。リーガンと関係のあったモナという女の夫で暗黒街の大物エディ・マースがリーガン事件に関係あると睨んだマーローは、リーガンの仲間ハリーに当たって見ようとしたが、一足おそくハリーはエディの手下カニノに毒殺された。マーローはカニノの後を追ったが、計略にかかって捕えられ、危いところを居合せたヴィヴィアンに救われた。ガイガーの家に行ったマーローは電話でエディを呼びつけ、彼からリーガンがカーメンに殺された事実を聞き出した。ガイガーの家を取り囲んだエディの手下たちはマーローの策にかかって誤って発砲し親分エディを殺してしまった。マーローは検事局のバーニーにリーガン殺しはエディであったと告げた。

<レビュー>
とにかく、まず観終えた人のほとんどが思うだろう。
結局、運転手(テーラー)を殺したのは誰だったの?と。
しかし、気にするなかれ。
制作陣も誰が運転手を殺したのか分からないのである。
しかも、原作(大いなる眠り)を書いたレイモンド・チャンドラー氏ですら、運転手殺しの犯人を知らないのだ。

作っているほうが分からないのだから、僕らに分かるはずがないのだ。

しばらくして、とんでもないことに気づく。
とんでもないというのは、あくまでもぼくにとってとんでもないことなのであるが。
実はこれ、主人公である探偵のマーロウ(ハンフリー・ボガート)の出ていないシーンがないのだ。
ということは、これはすべてマーロウの一人称で語られる映画なのである。
だから、マーロウが見ていること、聞いたこと以外は映画の中で語られていないわけである。
と、いうことは。
ここからが更に大事なのだが、
マーロウに興味のないことは、どうでも良いことなのである。
彼の興味はエディ・マースと、ヴィヴィアン(ローレン・バコール)にあるわけで、
運転手殺しの犯人などは最終的に自分と関係のないことだから、興味が無かったのだ。
だから、運転手殺しの犯人が明かされないまま、映画が終わるのだ。
ぼくはそう思う。

この、主役目線でしか語られないという制約が非常に面白い。
マーロウがエディをピストルで撃った時のシーンはそれが見事なアクションシーンに結実している。
詳しくいうと、こんな感じ。
マーロウがドアに向かって二三発、発砲する。
ドアの向こうにはエディがいて、エディは撃たれたわけだが、それは画面には映らない。
なぜなら、撃たれたエディがマーロウには見えていないからだ。
それで、即死したエディがドアに身を預け、ドアがこちら側に開く。
それで、マーロウがエディを見事に撃ち抜いたことを、マーロウとともに観客は知る。
という具合。

「自分は映画を語るだけ」と言ったホークスは、職人的な監督である。
素晴らしいと思う。
映画は、ストーリーをどう語るかである。
それはストーリーそのものよりはるかに大事なことだ。
いかに語るか。
ホークスは、「大いなる眠り」を主人公の一人称で語った。
この作品を観たとき、鋭敏に研ぎ澄まされたような印象をもったのは、そういうことだったのだ。
これはやられました。
素晴らしい。

★★★★★
駿河シカヲ
2008.12.17,Wed
駿河シカヲである。
今回はロベルト・ロッセリーニの「無防備都市」を紹介。

<作品解説>

無防備都市(1945) - goo 映画

無防備都市(1945) - goo 映画

ローマ解放直後の極めて困難な状況で六カ月にわたって製作されたが公開されるや一躍映画史上の最大傑作と激賞され、イタリアン・ネオレアリズムの濫觴となった記念碑的作品。監督ロベルト・ロッセリーニの名は世界的となった。脚本にフェデリコ・フェリーニが参加、原案はセルジオ・アミディ、音楽はレンツォ・ロッセリーニ、撮影ウバルド・アラータ。

<レビュー>
「映画は映画の内側においてのみ特権的に語られるべき」とは、某有名映画評論家の言葉であるが、
教養の浅いぼくはそれを、「映画を語るなら、画面に映っていることだけを語れ」ということであると、曲解している(おそらく)。
それでぼくは映画を観ている最中はなるべく周辺情報を無視するように努めている。
しかし、この映画に関しては、あまりにも劇的な製作背景を無視せずに語ることはできない。

製作されたのは第二次世界大戦、ナチスによる支配からローマが開放された直後。
ロッセリーニは戦時中に映画資金と粗雑なフィルムの切れはしをかき集め、エキストラを含む出演者はほとんどが本物のレジスタンスを起用。
ということは、映画の内容と実際の社会で起きていることとほとんど時間のずれがなく、極めてドキュメンタリーな作品なのである。

リアリズム的でありながら、ストーリーは起承転結をふまえたドラマティックな構成であり、
実は娯楽性に富んでいる。
登場人物はどれも魅力的で感情的だから、それぞれがきっちりとキャラクターを備えているという点でも「ドラマ」と言ってよいだろう。
特にドン・ピエトロ神父などは非常に人間的なおかしみをもった親近感のあるキャラクターを持っており、我々は比較的近い視線で登場人物に接することができる。
といっても、もちろん主要人物は殺されるし(特にナチに連行される恋人を追いかける女は「あっけなく」殺される)、単なる悲劇では済ますことのできないような暗い結末が用意されているように、基本的には冷徹な視線で描かれている。

というわけで、思ったよりよく分かりやすく、走攻守バランスのとれた「普通に素晴らしい作品」という印象である。
真に実験的で前衛的なアプローチは、ヌーヴェルヴァーグまで待たなければならない、ということか。
ネオリアリズモとはもっととんでもなく刺激的なものだと思っていたのだが、そうでも無かった。
とは言いつつも、なんとなくヤバイという萌芽は感じ取ることはできた。
とかいってロッセリーニを観たのは初めてで、まだそんなことを言う資格はないので、観られるのはこれから全部観てゆこうと思っている。

★★★★★

by 駿河シカヲ

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駿河シカヲ & マダム葵
性別:
非公開
職業:
ひたすらに映画
趣味:
映画
自己紹介:
<駿河シカヲ>
夜中の12時から3時にかけて映画を観ることが多い。
近所を自転車で疾走している姿をよく目撃されている。

<マダム葵>
短期間でもの凄い本数の映画を観たりする。
夕方の花街でそそくさと歩く後姿を目撃されることがある。
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