皆様お疲れ様です。駿河シカヲです、フォー!
俺を殺せ!
デレク・ジャーマン「BLUE」を観たよ。
<作品解説>
BLUE(1993) - goo 映画
94年2月にエイズで死去した映画作家デレク・ジャーマンの遺作。画家イヴ・クラインに触発されたブルーのみの映像が続く中、青についての随想と詩、そしてジャーマンが入院中に書いたエイズとの闘病についての随想が、ナレーションで語られる。日本公開に当たり、青一色の映像という監督の意図をより尊重した字幕スーパーのないプリントも上映された。製作はジェームズ・マッケイと「ヴィトゲンシュタイン」の浅井隆。音楽は、ジャーマンとは「エドワードⅡ」など4作でもコンビを組んだサイモン・フィッシャー・ターナーで、ブライアン・イーノ、モーマス、ヴィニ・ライリー、ミランダ・セックス・ガーデン、コイルなど全20組のアーティストの曲が挿入されている。ナレーションはジャーマンと、「ヴィトゲンシュタイン」のジョン・クェンティン、「カラヴァッジオ」のナイジェル・テリー、「エドワードⅡ」のティルダ・スウィントン。
<レビュー>
いわゆる実験映画である。
まるで文字のない小説だ。
または、審判しかいないオリンピックだ。
または、ボーカルしかいないバンドだ。
または、みずのないみずうみだ。
または、マリリンマンソンのいないマリリンマンソンだ。
または、青色しかない世界だ。
または、 。
画面は青一色。他には何も映らない。
そしておっさんがなにかブツブツつぶやいている。
もしも字幕がなければ、本当にぼくは混乱していただろう。
というか五分で観るのをやめたであろう。
goo映画の解説には、「日本公開に当たり、青一色の映像という監督の意図をより尊重した字幕スーパーのないプリントも上映された」とあるけれど、本当だとすればこれは凄いことである。
生きていることに意味はない。
映画にはまったく意味がない。
映画はただの茶番劇。
映画はくだらない。
映画は芸術ではない。
映画はすでに死んでいる。
デレク・ジャーマンはバカだ。
観た人はもっと馬鹿だ。
映画を観る人は基本的に馬鹿だ。
騙されている。
馬鹿であることを認識していれば、馬鹿じゃない。
というわけでもない。
★★★☆☆
駿河シカヲ
夜中の12時から3時にかけて映画を観ることが多い。
近所を自転車で疾走している姿をよく目撃されている。
<マダム葵>
短期間でもの凄い本数の映画を観たりする。
夕方の花街でそそくさと歩く後姿を目撃されることがある。